アドリブ、やってこそのジャズ
初めてステージでアドリブをやった時は散々でした。キャバレーのフルバンドで吹き始めて、 2年目ぐらいの頃。タイバンのコンボからからいきなり、「すみません、管が来ていないんで」と 頼まれて、ステージに上がったけど、さっぱり知らない曲で、途中でいわゆる行方不明。

どこを行っているのかさっぱりわからない、ドラムに救いの視線を向けても知らん顔、ベースは ニタニタ笑うし、ピアノは額にしわを寄せてにらんでいるし・・ しばらくは、これがトラウマになって、アドリブをやる気になりませんでした。なに、フルなら、 楽譜さえ吹いていれば給料はもらえるんだし。

しかし、ジャズをやっていると、どうしてもアドリブを演奏することが必要になってくる。 ・・アドリブはジャズの根源だから?いえいえ、もっと切実な問題。
アドリブが出来ないと目立たない!
デキシー発生の頃から、いかに目立つか、がバンドマンの使命。それには、フルでもコンボでも、 アドリブをやるしかない。でも、やるとなると、例の行方不明のトラウマが邪魔をして・・。

そんな時便利だったのが、シーケンサーなどの電子機器。小節数もわかるし、何十回でも繰り返し 付き合ってくれるし、にらんだりしないし。人間味がないと言うけれど、とりあえず、密かに 練習するにはもってこいの機械。

そして、いざ本番でやってみると、機械はただの機械、人間同士がやるからこそジャズなんだ、 ということが良く分る。ここに至って、やっとジャズの入り口にたどり着く。これから本当の ジャズの喜びと苦しみが始まる。あーあ、アドリブは長い、人生は短い。