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*** 欲孕みて罪を生み ***

 

欲孕みて罪を生み
罪成りて死を生む

(『ヤコブ書』1-15)

 

 

「機密が漏洩しているだと?」

セルバンテスは綴じられた書類を繰りながら、眉を顰(ひそ)めた。片手は磨き上られたマホガニーのデスク上にあり、人差し指がこつこつ、と其処を軽く叩いている。良く鞣(なめ)された黒のレザーチェアーは柔らかく、スプリングの効いた背もたれが彼の体重を支えた。

「それで、」

と、書類を提出した部下の方へ視線をやる。とはいえ、白いクフィーヤと赤瑪瑙色のゴーグルで目許は見えないようになっているのだが。

「目星は付いているのだろうね。」

「はっ。」

黒覆面をした男の全身が緊張をした。

「漏洩していた事項の内容、時期等からしてこの人物に間違いありません。」

新たに資料を提出する。用紙には50代半ばの男の写真と黒い手帳が添付されている。白髪の混じった髪、黒い縁のメガネ、やせた頬と薄い唇が全体的に神経質な印象を受ける。白衣を着ていることから、技術士か研究者であることが窺える。

「モール(潜入スパイ)ということは無いだろうな?」

セルバンテスは砂漠の国を中心として、あらゆる部門に枝を広げている会社のトップである。またオイルダラーという名称を冠しているが、現在において石油はエネルギー利用としては皆無で、繊維であったり、容器であったり、あるいは武器として利用されることを主とされている。
彼が座っている椅子が武器の製造・開発を行う施設に置かれていることから、そこにスパイの侵入を許すということは禁忌とされる。
さらに言い加えると、ここはカバー(表向きの会社)ではなく、彼が所属する秘密組織の施設である。不審者の侵入は保安部の責任問題に繋がる。

「は・・・、いえ、彼自体がスパイ行為をしている形跡はありません。現在、秘密裏に監視下に置いておりますが、施設内での行動、思想言動、私生活及び金銭関係での不審な点は見つかりませんでした。」

セルバンテスは、ふむ、と口元に生やした長い髭を指先で撫でた。

「ただ、彼の情婦と思われる女の身元が・・・。」

黒覆面の男は3つ目の資料を渡した。先日のこと。給水車に偽装した武器輸送トラックが国際警察機構に摘発されるという、好ましからぬ出来事があった。
偶然か故意か。
摘発された規模は微々たるものであったが、セルバンテスはすぐに調査に取り掛かるよう“CI部”(防諜部)に命令を下した。
偶然であれば更に巧妙な手口を考えることも出来るが、故意、つまり情報の漏洩が事端となっているのであれば見過ごせない事だ。今後の活動にも障害が出る。
CIの出した結論は後者であった。

「ならば此方も彼をうまく利用するか。」

セルバンテスは“ある準備”をするように黒覆面の男に命じた。

 

男は神経質そうに黒い縁の眼鏡を人差し指で上げ直し、鍵をドアに差し込んだ。センサーが主の帰宅を感知して、ライトを点ける。10日ぶりの自宅だ。組織の準備した部屋なので、少々留守にしてもセキュリティーは完璧だ。それに、自宅のベッドで眠るのと、絶えず場所の変わる仕事先の簡易ベッドで眠るのとでは、随分差があるというもの。
――今日は来客もある。
帰りに寄った店で密輸入のワインを2本買った。この国には禁酒法が有るので、特殊なルートを使わなければ手に入れることが出来なくなっている。痩せた体に羽織っていたグレーのトレンチコートを脱ぎ、リビングへと足を向ける。
開けたドアの向こう、白い影がソファにあった。

「な・・・。」

「やっとご帰還かね。待ちくたびれたよ。」

その声に、手に持っていたワインが音を立てて床に落ちた。
白い影のように見えたのは、クフィーヤと呼ばれる砂漠の国独特の頭から被る布であった。それがゆっくりと立ち上がった。見覚えのある顔だった。テラコッタに焼けた肌。その両頬には呪い(まじない)のような赤い傷跡がある。口元には古い中華風の長い髭。クフィーヤの影ではっきりとは見えないが、何時もトレードマークのように着けている濃い色のゴーグルは無く、裸眼のようだ。

「セ、セルバンテス様・・・!」

「ああ、ワインを買うために寄り道をしていたのかね。」

青ざめる男とは反対に、セルバンテスは微笑を浮かべている。

「安心したまえ。“彼女”が来るまでには帰る。」

「何故、その事を・・・。」

男は自分よりもずっと年下のセルバンテスから与えられる強烈なプレッシャーで、押しつぶされそうになっている。
セルバンテスはオフホワイトのスーツのポケットに手を入れ、黒い手帳を取り出した。それは、男が5日ほど前に紛失したと思っていた物だった。

「君は随分、几帳面なタイプなんだね。
 今日の日付のところに時間と女性の名前が書いてある。」

「あなたが何故、お持ちなのですか?」

「・・・・・。
 先日、武器輸送車が国警に摘発されたことを知っているね。」

男は思念した。
確か、偽装のための給水車を自分が改造したときのもの。

「まさか・・・!わたしは組織に対して反逆行為は犯しておりません!」

「君自体は、ね。だが、君の“彼女”は問題だ。
 教授時代の教え子だそうだね。親子ほどの年の差の。」

「し、しかし、それは・・・。
 わ、わたしが積極的に声を掛けたのではなく、彼女の方が・・・。」

 

「彼女は、国警のイリーガル(非合法工作員)だ。」

 

がたん、と男の背中がドアにぶつかった。

「そんな・・・。」

「だいたい無用心だ。手帳に『耐水』だの『車』だのと書き込んでいるのは。
 たとえ単語だけだとしても、繋げれば答えが出てしまうじゃないか。」

「わたしは、ただ・・・仕事を完璧にこなそうと・・・。」

「危険な目に合わないようにするためには、
 メモは取らないで頭の中に記憶させておくものだよ。」

セルバンテスはクフィーヤに手を掛けた。

「若く美しいヨーロッパの女性だ。誘惑は簡単。彼女は教授時代からの君の癖や好みを知っていたのだろう。同衾した君が鼻の下を伸ばして惰眠を貪っている隙に手帳を盗み見た、と言う所かな。」

クフィーヤが徐々に外されて、癖のあるハニーブラウンの髪があらわれる。

「組織の掟は知っているな?」

裏切りには“死”を――

何時もは濃い色のレンズに隠されているオリーブの瞳が、妖しく揺れている。
抜き身の殺気を感じて、男はがたがたと震えた。

「お、お待ちください!わたしは、し、知らなかったのです!
 本当に!まさか、彼女が・・・。」

「ほう、君は知らなかったと云うのだね?
 だから赦して呉れ、と。助けて呉れ、と。」

「本当に・・・知らなかった・・・。」

「・・・ふむ。知らなかったのなら仕方が無い。教えてあげよう。」

 

「知 ら ぬ 事 自 体 が 罪 な の だ よ !」

 

クフィーヤを腕に巻きつけるように外しつつ、男の方へ近づく。

「さあ、償い給え。」

男は最早、恐怖で声も出なくなり、床にへたり込んでしまった。
ただ首を力なく横に振るのみ。
セルバンテスの人差し指が、男の眉間を指した。

 

「宜しい。私が君の罪を断じてあげよう!」

 

――動悸及び血圧の上昇。
突然、男は心臓を鷲掴みにされたような激痛に襲われ、呻きながら左胸を押えた。

――意識混濁。
胸を押えたまま、どっ、と倒れこむ。

――呼吸困難。瞳孔拡大。
荒い息遣いが徐々に浅い呼吸に変化する。

――全身痙攣。心拍停止。
男は目を見開いたまま、事切れた。

足元に、うずくまる様に倒れた男の死体。
男は自らの意思で、自らの心臓を止めて死んだ。
どんなに優秀な検死官でも、心臓発作による病死以外の診断結果は出さないだろう。
まさかこれが他殺とは!
セルバンテスは1枚のメモ用紙を黒い手帳に挟み、男のポケットに戻した。
メモはディスインフォメーション(逆情報工作)もうじきやって来る国際警察機構の“彼女”が、持ち帰ってくれる。毒の入った餌とは知らずに。

それでは此方は狩の準備をして待っていよう。

獲物が罠に掛かりやすいように、細心の注意を払って。 セルバンテスはクフィーヤを直し、そのまま夜の闇の中に溶けて消えた。

 

fin

DITEの住人」male様から一周年のお祝いを頂きました〜〜!!

拙宅の断罪眩惑からイメージして書いて下さったとの事です☆

あんな断片みたいな台詞と状況不明なイラストから
こ〜んな重厚なお話が出来てしまうとは!!感嘆する事しきりですvV
文字書きさんって本当に凄いですよね!

ああ、眩惑サイコーにワルモノくさい〜〜vV(※褒め言葉)

male様、本当にありがとうございました〜〜!!