<<back to index

<<>>

Last whisper

 見渡す限りに広がる鬱蒼とした森。その森を切り開いている道の先にはそれなりの大きさの湖があり、真ん中に浮かぶ小島の上には古びた城が建てられている。この城こそ我が盟友衝撃のアルベルトの私邸の一つだ。18世紀初頭に作られた古い石造りの城は華やかさに掛け、しかしながら持ち主を思わせる威厳と風格にて見る者を圧倒させる。車から降り彼の城を入り口から見上げ、私は口元を僅かに歪ませる。無論、気圧された訳では無い。ただこの中に住まうある人物の顔が脳裏を掠め、少しばかり私の足を留めたに過ぎない。一瞬の思考を払いのけ、私は何時も通りに軽い足取りで私の為に開かれた門を潜り抜ける。

「遠路遥々ようこそお越し下さいました、セルバンテス様」

「アルベルトはいるかね」

 城に入って直ぐ、広い吹き抜けになっているホールが目の前に広がる。極度の絢爛を嫌う城主の趣味を反映し、ぱっと見た目は質素で地味に思える内装だ。が勿論、椅子一つ燭台一つをとっても既製品は存在しない。どれもこれもアルベルトの為だけに作られたオーダーメイドの一点物、当然クオリティも最高級を誇る品々だ。まあ、下世話な言い方をするならば、ベラボウに金が掛かっているって事さ。

 頭を垂れ私を出迎えるのは、五十絡みの定規に似た執事及びに職務に忠実なオールド・ミスのメイドたち。私がこの城を訪れる度に目にする、見慣れた何時もの光景だ。私ならもっと若く、魅力的な、好みの女を揃え侍らす所なのだが、ね。我が物顔にホールを横切り主の部屋へ真っ直ぐと向かいかける私を、執事が言葉で止める。

「大変申し訳ございません、主は現在留守にしております。明日の昼12時丁度にはお帰りになる予定にございます故、」

「そうか、それは残念。まあ、連絡もせずに来てしまった私が悪いのだから仕方が無い。明日また出直す事としようか……いや、しかし折角此処まで足を運んだついでだ。せめて扈三嬢の見舞いだけでもして帰ろうか。此処数日、体調が思わしく無いと聞いていたのでね……何、案じずとも主の留守に良からぬ事をしようなんぞ考えちゃいない。私も命が惜しいからな。アルベルトのものに手を出しはしない」

 戯ける様に軽い響きで嘯く私の言を信じた訳では無かろうが、執事は恭しく礼をした後「あちらのお部屋でお待ち下さい。扈三嬢様へお取り次ぎして参ります」と言い、ホールから階段を足音もさせずに上って行く。私はホール横の応接の間に通され、女の肌の様に滑らかで柔らかい革張りのソファに腰を下ろす。愛想の無いメイドの運んできた凍頂烏龍茶で喉を潤しながら、待たされる事小一時間ばかり。城の女の主は、漸く私の前に姿を現した。

「調子を崩していると聞いていたが、そうは見えんな扈三嬢」

 扈三嬢は、髪形こそ見慣れた形に結い上げてはいたが、珍しい事に洋装であった。シックなデザインの青磁色を基調としたワンピースに、羽織っている紅梅色のケープが鮮やかに栄える。黙って微笑んでいれば聖母にも見えるであろう顔に不快の色を滲ませながら、彼女は私を睨みつける。

「貴男が私の見舞いとは。世界にこれからありとあらゆる天変地異が起きるのでは無いか、と案じたくなるわね」

 厳しい表情に辛辣な言葉を乗せ、彼女は左手にて人払いを命じる仕草をする。忽ちの間にメイドたちは部屋を下がり、午後の眩しい日差しが差し込んでくるこの部屋の中に私と彼女の二人だけが残される。

 全く、察しの良い事だ。

 思わず、私は声を立て笑い出したくなる。私が彼女を多少なりとも評価するなら、それは頭の回転の速さそして美貌においてのみだ。利口で、尚かつ美しい女は嫌いでは無い。だが幸い、と言うべきか彼女は生憎私の好みからは外れている。勿論、好みであったとしても私の仕事が変わる訳では無い。ああ、本当に、私情に流される事無く勤勉に任務を遂行する己に、頭すら下がる思いだね。

「さあ、貴男がアルベルトで無く私に会いにくるとは、どんな理由なのか聞かせてもらいましょうか。真逆本当に見舞いにきた訳では無いのでしょう、眩惑のセルバンテス」

「無論」

 ニィッ。

 口の端に嗤いを張り付かせた顔のまま。私は右手に嵌めていた白い絹の手袋を口に銜え、外す。別段、手袋に力を封じる能力がある訳では無い。ただ、私の半ば無意識下にあるリミッターが手袋を取り去る事により、外された。それだけだ。素肌を外気に曝した我が右手は徐々に熱を帯び、鉄をも溶かせる高温に赤く光る。

 私はその自分の手を扈三嬢の目の前に翳して見せ、態とらしいまでに悠然と微笑んでみせる。

「利口な君の事だ。私が君をどう思っているのか、重々承知しているだろう?そしてそれ以上に自らの立ち場も、な。今、此処で私がどうしようとしているのかも含めて……どうかね?」

「ええ。貴男たちが私たちの敵で、私たちの敵が貴男たちである以上、それは太陽が毎日上って来るのと同じ位解りきった事」

 この手を恐れもせず避けようともせず、扈三嬢は真っ直ぐと前を見据え凛とした態度で応じる。

「殺すと言うのでしょう?私を、今この場で」

「ご名答」

 瞬間。

 私と彼女との間で殺気が、刹那、ぶつかり合う。

 扈三嬢は素早い動作で忍ばせていた懐剣を取り出し、私の喉元に突き付ける。突き付けられた刃のひんやりとした冷たさと、僅かに滲む血の温かい感触が私に伝えられる。当然、私はお人好しでは無いのだから、されるがままではいやしない。刃を突き付けられると同時に突き出した腕を、彼女の顔に触れるか触れないかの距離まで近付けさせる。直に触れずとも、数分も持たずに余熱で肌が黒焦げになる程度の心地よい温度にて。

 私はそして優しく、冷たく、捕食者の顔で囁く。

「遺言くらいは聞いてやろうか」

 私は焦りも追い詰められもしていない。それは明白の事。しかしながらまた、扈三嬢にとっても現状は窮地になりえていないらしい。我が力を間近で感じていながらも尚、彼女は私に向かって優雅に微笑んでみせたのだ。

「おやまあ、随分とお優しい事。けど、必要は無いわね。だって貴男に私は殺せはしないもの」

「ほう?……これは面白い事を。私が君を殺せないと、そう断言する根拠を伺いたいものだねえ」

「ええ。貴男に私は殺せない。絶対にね……貴男が馬鹿でなければ、だけれど」

「おやおや、この眩惑のセルバンテスも見くびられたものだ。腕が立つとはいえ、小娘一人を、国際警察機構がエキスパート一人を打ち漏らす事も見逃す事も、あり得はしない。例え、それが我が盟友にとっての運命の女であっても……いや、運命の女であれば、尚更に」

「子どもが出来たの」

 私の、私が如何に女一人を打ち漏らす事が無いかを滔々と述べる言葉を遮り、扈三嬢は簡潔に告げた。その、あまりに唐突なその告白に、眩惑のセルバンテスともあろう者が思わず言葉を無くし惚けた様に口を開け、間抜け宜しくその場に立ち尽くす羽目となった。

「は……」

「この中に、アルベルトと私の子が宿っていると言ったのよ」

「な……」

「私は兎も角、あの人の血を引く半身とも言うべき存在を、貴男に殺せて?」

「何イィィッッッ!!!???」

 数秒後れで知りたくは無かった事実を脳が認識し、私は仰天の声を張り上げる。扈三嬢はそんな私の反応を楽しんでいるのか、クツクツと喉の奥で笑い懐剣を納める。

「眩惑のセルバンテスともあろう者が、それ位で大袈裟な事。夫婦も同然にしている仲なのだから、私が身籠る位は想定の範囲内では無いのかしらね」

「一体、何時の間に」

「判ったのは昨日、現在妊娠三ヶ月、順調に行けば七ヶ月後には新しい命がこの世界に誕生する」

 とても胎児を収めているとは思えぬ、しかし言われてみれば以前に見たよりも僅かに膨らんだ気のする彼女の腹部を凝視しながら、私は呻き声を上げるより他何も出来はしなかった。

「ア、アルバルトが父親……パパ、ダディ、ファーター、父上、お父さん……あり得ん、あり得なさ過ぎる……」

「ふふふ。さあ、どうする?それでも貴男は、私を殺す?」

 暫く、二人の間に沈黙が流れる。その緊張感を伴う沈黙を先に破ったのは私で、部屋の外にも聞こえんばかりの笑い声を狂った様に発した。

「ふ、ふふふ、フハハハハ、ハ〜ッハッハッハッハッ!!!……いやはや、思いも依らない攻撃だったな。いやはや全く、この眩惑たる私が言葉で封じ込められてしまうとはな!一応祝いの言葉を述べさせてもらうぞ、扈三嬢。君で無く、アルベルトとその子に御目出度うだ!!しかし、フフフ、君の言う通り、確かに今は私に君は殺せんな。しかし、その一大イベントが終わってからは範疇外だと言っておこう。精々束の間、生き長らえる事が出来たその事実を、これから生まれ来る子に感謝するが良い」

「あら、ご忠告有り難う。でも、この子を産んでも産まなくても、貴男にだけは殺される予定は無い。それだけ、私も言っておきましょう」

「言ってくれるね、全く!しかし君、例えばの話で聞くのだが、もし私が腹の子諸共殺すと言ったなら、どうしたのかね。是非、聞いておきたい」

「そんなの、決まっているでしょう?如何なる手段を用いても、返り討ちにしてやるわ。言った筈よ、貴男にだけは殺される予定は無い、とね」

 言い切り堂々と我が目の前に立っている彼女の瞳には、何の迷いも無い。自らの言葉を、強がりでなく真実そうと信じる者の眼差しだ。今の彼女はきっと、ある意味無敵だ。扈三嬢の死は、イコール腹の中の子の死。ならば、少なくとも彼女は死なない。赤ん坊を無事に産む、その日まで彼女は絶対に死なないだろう。如何なる手段を用いても、如何なる窮地に陥っても。

 扈三嬢は、我が子を守る為なら、どんな事でもやってのけるのだろう。私は彼女に突き付けた手を降ろしながら、思う。

 ああ、完全に私の負けだよ。

 全く、女ってのは恐いねえ。ほんの少し以前に見えた時には気の強いだけのお嬢さんだったってのに、今やすっかり母親の顔をしているじゃないか。正直、殺してやりたい気持ちは未だ変わらず、と言うのに。我らがの情報を国警連中に漏らされる前に始末しなければならないのに。

 勿論、アルベルトに殺されるのが恐くなった訳では無いのだがねえ。

 ここアルベルトの半分の血に免じて、暫くは殺さない事にしておこう。今、暫くは。

 

 ……と、私は今から一年程前のあまり愉快とは言い難い出来事を思い返した理由は、彼女の死の間際の一言が原因だ。

−伝えてくれる……

 掠れかけている声が、私の神経をささくれ立たさせる。

「扈三嬢、おい!アルベルトの到着も待たずに逝く気か!?こんな、こんな幕引きを我らが許すと思うのか……!?」

「私は、許され……無、くても……構わない……だから、あの、人に…………、と……そう、伝えて、くれる」

「私が、アルベルトに伝えると思うのかね。適当な嘘を並べ立てるとも知らんぞ。言いたい事があるなら自分で伝えたまえ。私は、君ら二人の為のメッセンジャーでは無いのだからな!!」

 苛立たし気な私の言葉を聞きながら、雑音が多く混じり聞こえる無線の向こう側から、微かに笑った様な彼女の吐息が聞こえた気がした。そして、それを最後に、扈三嬢の生きた気配は感じ取れなくなった。

「息を、引き取られました」

 遠く離れた場所にいる執事の、淡々とした声が分かりきった事実を向こう側から告げる。

 ああ、アルベルトは間に合えなかったというのに。どんな因果で、私は代わりに此処にいるのだろうな。

 私は、ただそう考え頭上を扇ぐ。吹き飛び、崩れ落ち、跡形も無い鉄筋コンクリートの建物の天井からは、空を覆い尽くす黒い雲が見える筈だ。しかし、ゴーグルのレンズ越しに視る空は他の物を見るのと同じく赤く染まっている。

 世界中が、混沌の中にて血に染まっている現状そのままに。私は、赤い空を眺めながら、恨み辛みとも愚痴ともいえぬ言葉を漏らす。

「本当に、私には殺されてくれなかったな」

 真逆彼女が、人災にて命を失うとは、アルベルトも扈三嬢も思いはしなかっただろう。私だってそうだ。あの女は、私たちと同じく闘いの場が死の場所だとそう思っていたというのに。産まれて間もない、サニーと名付けられた子を守り命を落とすなんて所は、実に彼女らしいけれど。

 これではまるで、扈三嬢に勝ち逃げされてしまったみたいじゃないか。

 クソッ、忌々しいにも程がある!

 私は、私は道化では無いのだぞ!

 ……しかし、込み上げる憤怒をぶつける相手は既にいない。地球上の何処にも、いやしない。燃焼しきる事が出来なかった感情を無理矢理宥め押さえ鎮め、私はこれから彼女の死をアルベルトに如何に伝えるかを、それを考える。世界中が混乱の最中にある今、彼が何時このBF団支部跡地に戻って来れるのかは判りはしない。そもそも、何処にいるものかも知れない。アルベルトの事だから生きている事は間違いないだろうから、心配はしちゃァいない。けど、戻って来た時、私は告げねばならない。

 扈三嬢の、死をアルベルトに。

 ああ、本当に嫌な役回りだ。冗談ではない、冗談ではないよ全く。

 深く、深く息を吐き私は今は亡き女を思う。

「気が向いたら」

 私は誰に聞かせる訳でなく、呟く。

「気が向いたなら、そう、私自身の今際の際でも、アルベルトの耳元にそっと告げてやろう。君が最後に囁いた、その言葉を囁いてやろうじゃないか」

『有難う』

 たった一つの彼女の最後の言葉を、囁いてやろう。

 気が、向いたらだがね。


カウンターキック!!!!!」奥崎栂実様から7000hitのキリリクで頂きましたー!

お題は趣味に走って
「囁く(眩惑で)」
でしたv

ううん、予想外!予想外なまでに
扈三嬢カッコイイーー!
誰よりもオトコマエ!!<マテ
さすがは衝撃の奥方ですv
その死に様すら鮮烈で孤高です…(ほろり)

そして、眩惑。
衝撃にはかなり甘くて、
その他には限り無く容赦なく酷薄。
そんな眩惑が大好きだ!<ヲイ!
ええ、私のイメージする所の眩惑とバッチリ合致です。
衝撃の子供がいては殺せない(いなきゃ殺すのに)というのが
いかにも眩惑らしくて、これまた良いですねぇv

…更に、
密かに奥崎様のお宅のweb拍手小咄に繋がっているそうで。
実にこう、ニヤニヤが止まりません…!
(ヘンタイ…)

本当に素敵なお話をありがとうございましたー!(^▽^)