パルミラ周辺の遺跡

ダマスカスからシリア砂漠の中を走る事230km、ようやくパルミラに到着したのはとうに日暮れ時を過ぎた頃であった。 翌日はゆっくり遺跡巡りなのだが、その前に一つだけ予定が・・。  希望者は早朝3時起床で日の出鑑賞ツアーが催されるのだ。 話の種にと興味本位で参加したのが間違いだった事に気付くのにそれほど時間はかからなかった・・・。
ホテルでの朝食後、早速パルミラ遺跡の見学と思いきや、まずは周辺の見どころからと言う事で、先程まで寒さで隣で震えていた「墓の谷」に改めて向かうのであった。


日の出前の情景

ツアーと言っても何のことはない、ホテル近くの岩山の中腹までちょいと登って、そこで日の出を待つだけだ。
使い捨てカイロの支給があったものの、日本とそれほど気候が違わないこのあたりでは、1月の夜中の気温は氷点下である。 寒さに極端に弱い私が「やめときゃよかった」と後悔の言葉を口にするまでに、それほどの時間は必要なかった。 
朝日に映える墓の谷

遺跡本体(?)から西に1km程離れた所に「墓の谷」と呼ばれる共同墓地の遺跡があり、宿泊したホテルはこのすぐ近くにあった。 朝日に照らされた遺跡は美しいといや美しいけど、墓場の横で夜明けを迎えるっていうのもあまりいい気分ではないなあ・・・。

ちなみに奥の山の上に見えるのが17世紀にオスマン朝により建設されたという「アラブ城砦」である。
朝のパルミラ遺跡

んで、日の出を迎えた岩山から遥かに見えるパルミラ遺跡の情景である。 カメラの望遠を最大にして撮っても、この程度である。 遺跡の広さが少しはわかって頂けるであろうか。
エラベール家の搭墓

前述の墓の谷の中でも最も保存状態が良いという墓がこの「エラベール家の搭墓」という遺跡である。 パルミラの貴族でネボ神殿の建設に多額の寄付をしたというエラベール兄弟が造ったという「墓の谷」でも最大の搭墓らしい。 なんでも一族郎党用の共同墓地で300人以上の遺体を収容出来るとか。 墓の中に入れるというので、興味深々、怖さ半分で入ってみると・・・。
「墓の谷」の情景

写真中央に見えるのが、崩壊しかけた搭慕である。 こちらの方が、いかにも遺跡という情景で風情(?)があると感じるのは私だけであろうか・・・。
搭慕の中1

中はこんな感じの彫刻が周囲に据え置かれて、いかにも「墓っ!」という感じである。 遺体はこの彫刻の裏あたりに柩ごと積み置かれるらしいが、不思議な事に遺体は1体も発見されていないらしい。 これだけのもの造って、使わなかったんでしょうかねえ?
搭墓の中2

薄暗い搭の階段を登って行くと、こんな彫刻がお出迎えしてくれる。 どの彫刻も顔が無いのは、やはり例のイスラム教の仕業なんでしょうか。
搭慕の最上階より

「墓の谷」を俯瞰するとこんな感じである。
 
三兄弟の墓

搭墓と同じく「墓の谷」にある地下墓地である。 中でもこの「三兄弟の墓」は保存状態の良い壁画が残っている。 私が行った時には、壁画の保存の為だかで、入場時間と人数を制限していた。

三兄弟の墓 内部

これが内部の壁画である。 保存に影響するので、当然フラッシュは厳禁である。 これは、そんな中で運良く写っていた一枚である。 まあ、保存がどうこう言っているけど、実は本物は壁ごと剥がして、国立博物館の保管庫かどこかに収蔵されてるのではないかな・・・。