転職記念だラッフルズホテル! 11年勤めた広告代理店を退職することになり、新しい勤務までは1ヶ月ある、退職金をもらい多少のお金もある、この時期は航空券も安い。こうなれば、「行くしかない」という単純な理由で手配を始めた。当初はスペイン、南仏へ行こうとしたが、妻が一言、「飛行機に10時間以上乗るのはイヤだ」という宣告であっけなく没。それではと、毎度毎度のシンガポール航空
でシンガポールとバリ島というプランを組み立てる。「初めて赤道をこえられる」と喜んだのもつかの間、なんとバリ島でコレラ騒ぎが発生。勿論、相方は「そんなところに娘を連れていくことはできない」と再び宣言。「ごもっとも」ということでこの計画も没。もう面度臭くなり、シンガポールのみの滞在と決定。ボクは、トランジットでシンガポールには何度も降り立っているので、「今更シンガポール」という気がしないでもなかったが、家族連れだし、「まっ、いっか!」ということでシンガポールの一国滞在と決定!
次にホテルだが、1人旅ではないのでベンクーレン・ストリートの安宿と言うわけにはいかず、また通常のパックツアーでは使わないホテルということで消し込むと、「
ラッフルズ・ホテル 」ということで意見が一致した。部屋は全室スィート、円高(1US$=80円・1S$=60円)とはいえ、それでも一番安いコート・ヤードクラスで日本円換算1泊50,000円というお値段! でも、今回は「金がある!」で4泊予約。 ![]() ここで再び問題発生。フライトが関空10:00発の為、ディスカウント・チケットのお約束どおり2時間前には空港についてなければならない。その時間にあわせて到着するJR「はるか3号」の予約に行ったら「満席」・・・結局、「はるか1号」という新大阪6:00発関空到着が7:00前というめっぽう早い時間のしか取れなかった。これは自宅を5:00に出なければならない(自宅は大阪府高槻市)・・・と言うことは4:00起きだぁ。
当日、遠い関空に到着、空港使用料が2,600円に目眩を起こした。(伊丹は近い、空港使用料はなし)過ぎ去った伊丹を懐かしみつつ、3時間の待ち時間を持て余して関空から6時間でシンガポールに到着 ![]()
ここでラッフルズホテルのお話。
そして、とうとうRAFFLES HOTELに宿泊客として到着。LongBarなどの外部の人も入れる施設は何度も入ったが、宿泊客としては初めてである。チェックイン時に小さなルームキーを渡され、部屋に案内された。 ![]() 確かに広い、調度品はセンスが良い、と親子3人ではしゃいでいた。ここはシンガポールで観光名所の一つであり、多くの観光客がこのホテルにやってくるが、しかし、宿泊客でないと入れないというエリアが多くある。 ![]() バトラーの Miss.Tanは娘の京(みやこ・4 才)が気に入ったみたいで何かにつけて、かまってくれる。そして、この後、ルーム・キーが「魔法の鍵」と気がつくのにさほど時間はかからなかった。
「魔法の鍵」はホテルの施設を利用するためのパスポートであり、また、外部の人が入れるエリアでも、Tシャツでサンダル姿でも何もかも優先してくれる、鍵の威力は絶大であった。また、ホテル滞在中にプールサイドのガーデンパーティにも招待され、ホテル滞在を満喫させてもらった。 ![]() パックツアーで、よくあるのが「シンガポールの旅・憧れのラッフルズホテルに泊まる」だが、内容を見ると他のホテルに泊まって1泊だけラッフルズ泊というパターンである。
さて、観光の方だが、セントーサ島で泳いだり、ホーカーズで食事、マレーシア・シンガポール国境を歩いて越えるなど、ホテル以外はいつもの旅のスタイルであったことを報告しておく。 ![]() ![]() 「優雅」というのは日頃の生活や旅のスタイルが優雅であってこそ自然にふるまえるが、「その時だけ」というのは難しいものである。(^^;
娘は帰国後、「もう一度シンガポールに行きたい」「ラッフルズホテルに泊まりたい」と言い、また、東京ディズニーランド某オフィシャルホテルに宿泊した時、一言「ここはラッフルズより狭い、みやちゃんラッフルズがいい」とのたまって、親を悩ませることになる。 1995.3.25 〜3.30 |