ソウル再び


「・・・只今、地上温度は0度です。」という機内アナウンスがあり、KE721便 は金浦空港への着陸態勢をとった。

今回の同行者は、会社の後輩のB・・・そう社員旅行の香港でツアーを「腹が痛い」と訴え、サクッと雲隠れした面白いやつである。(^^)

事前に彼と打ち合わせをして、「おまえが西行けば、私は東」という話はついていた。つまり2人で行くが、個人旅行と同じである。ただ、晩飯ぐらいは一緒に食べようということになった。今回の旅行は、「なんとなく」決まったもので、「どうしてもソウルへ行きたい」というので決まったのではなく、「とりあえずソウルでも行ってみるか」という感覚であった。
市内の大祐旅館(5年前と同じ)に部屋をとった。

とりあえずBを案内だてら南大門に向かった。
ソウルのアメ横はほんとに人が多い。
そして原色の世界でもある。

ふらふらとあてどもなく歩いていくと、徐々に韓国にきたという気分が出てくる。
前回のソウルはけっこうしんどい旅をしたので、「今回は楽に旅しよう」が私のテーマである。
さすがオリンピックを経験した都市だけのことはあり、主要な場所での英語表記が増えたために格段に歩きやすくなっていた。
そのかわりと言ってはなんだか、物価は高くなっていた。
まぁ、これは前年行った釜山でも感じていたので何を今さらではあるが・・・・

それと90年代に入ってから、アジア各国でのポン引きを極端に見なくなった。
この商売が無くなったとは思わないが、駅や空港、タクシーであからさまな形での取引は目立たなくなってきていた。

夜になって焼き肉食べた後、屋台に飲みに行った。辛いアテと甘い「眞露」は良くあったが、背中は氷点下で飲んでも飲んでも酔いは回らなかった・・・
屋台のおばちゃんは「これはどう」なんて良いながら次々料理を出してくれたが、あとで料金の上乗せはなかった。
「幸先の酔い」もとい「良い」旅のスタートであった。

翌日は、石焼きビビンバを食べに全州に行った。天気はあいにくの雨。
高速道路を2時間あまり走り全州に到着。
ここが石焼きビビンバの発祥の地であるらしい。
ビビンバを食べ・・・・その後、あれっ記憶がない??

写真を見ても夜の全州のバスターミナルのブレた写真が何枚かあるだけである
う〜む何をしていたのだろう?

夜はBと合流して食べ歩いていた。
キムチをあてに飲んでいた記憶はある。
ほんと曖昧な記憶だけである。


ogawa「きょうはどうだった」
B「いやぁ〜、可楽洞市場に行って白菜をトラックごと売っているのを見て、その後、ロッテワールドに行きました。」
ogawa「おまえ一人で遊んでいたわけ?」
B「そうです。でもあそこは男一人でいくところではないですね、女の子といくか子連れでいくとこですね」
ogawa「とうぜん・・・だろ・・・(^^;; じゃぁ、私も明日可楽洞市場にいってみるわ」
そして翌日。
ボクは地下鉄をおりてロッテワールドを横目で見て可楽洞市場に向かって歩いていた。
昨日とはうってかわって快晴である。

市場についてみると、確かに広い、あまりにも広すぎてどこへ行ったら良いのかわからない。
市場の一角にをみると、あるある白菜だけを積んだトラックが。
Bの言ったとおりである。

そのあと市場の一角で「おでん」と「のりまき」の朝御飯を食べ、そして水原に向かった。

水原の市場をうろついて、スルメを買って歩いていたら、犬にスルメを持って行かれてしまった。
なんだあいつは・・・

また記憶が切れている・・・
写真を見てもどうも曖昧である。
ネガ、ポジを見たらだいたい一日の行動は思い出されるのに・・・
水原のあとは・・・・どこへ行ったのだろう??

夜はBと飲み歩いていたことは確かである。
Bはトイレの給水漕の蓋を壊して(どうしたらそんなものが壊れるんだ?)床掃除をしていたらしい。

というわけで最終日。
空港へ向かおうとしていた私たちは焦っていた 。
早めにでたにも関わらず、エアポートバスは停まらないわ、タクシーは捕まらないわフライトの時間は迫ってくるわ、1時間以上も路上でウロウロしていた。
「おいB、こりゃ釜山に出て関釜フェリーで帰国かもよ・・・」
フライトまで1時間30分を切った、空港までの時間を考えたら、そろそろタイムリミットである。
そこで私たちはロッテホテルに走った。
玄関にはリムジンタクシーが停まっていた。
それに飛び乗り
「金浦エアポートへ」
ぼられることなく、なんとか40分前に空港に到着した。
なんとか冬の玄界灘をフェリーで渡らずにすんだみたいである。

しかしまぁ・・・何度来ても疲れる国だ。
しばらくはいいか。
食べ物は好きなんだけどね。

1992.12.26〜12.29

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