釜山の連れ込み旅館


 日本から一番近い外国、韓国釜山。

 「だいたい2時間も遅れた大韓航空 が悪いんや、わずか1.5時間のフライトのために4時間以上空港で待ったことになるやないか。」別に大韓航空が定刻に飛んでいても同じ結果になったと思うが・・・こんな事になるとは・・・「満員」と素っ気なく言われ続けて、やっと見つけた安宿であった。

 旅館名はハングル語のみのため思い出せないが・・・案内された部屋はオンドル部屋であり、鏡台がありテレビがあり、布団も韓国ではどこでも見かける派手は色合いの布団であった。まぁ、これであれば韓国どこにでもある安宿の部屋であった。

 出された麦茶を飲みながら部屋を点検した。「ああ、これがトイレのスイッチか、これは部屋と・・・んん、これは?」と一つのスイッチを入れたところ。部屋全体が赤く照らし出された・・・「ここは連れ込みか」とすぐ理解した。といっても今さらまた宿を探しに街に出る気力はないし、別に連れ込みだって1人だって泊めてくれるのだから問題はないだろうと判断した。だが、この時点でボクの判断は、まだ甘かった・・・・

 食事をして部屋に戻ったら、ドアをノックする音がした。こういう時の相場は決まっている。ボクは釜山に知り合いはいないし・・・となると明らかに日本人ではないイントネーションの日本語で「こんばんわ、開けてください」と女性の声。ああ、やっぱり!! 「ノーサンキュー」と返事したところ、「私となりの部屋です、いつでも来てください。」と返事が返ってきて、右どなりの部屋に入っていった。たぶん、宿の主人が「日本人の男が1人で泊まっている」とでも教えたのだろう。

 それから1時間後。またドアがノックされた。「また営業かよ」と無視していたら、「お兄さん女いらない」と男の声がした。「い・ら・な・い」と返事したら。「ケチね、ほしくなったらいつでも声かけてよ 」と言って左どなりの部屋が開く音がした。オイオイ、右が娼婦で左がぽん引きかよ。しばらくすると、薄い壁を通して、お姉さんにお客がついたのがわかった・・・・。

 宿を変わろうかと思ったが、面白いと思いそのまま泊まることにした。今回は荷物はデイパック一個だし。カメラもCONTAX T2のみ、パスポートなどの貴重品は身体からはなさない、ということであれば部屋の荷物で取られて惜しいモノはないし、こんなおもしろい経験はそうそうない、と言うことで宿は変わらないことにした。

 朝、部屋を出るとき、となり部屋から彼女が出てきた、20歳半ばぐらいのキレイな人であった。会釈をしてボクは宿を出た。

 オリンピックをはさんで5年ぶりの韓国だが、予想どおり物価が上がっていた。特に飲食関係が大幅にアップしていたのには参った。悪名高き日本の物価とそれほど変わらなくなってきている。「漢江の奇跡」と言われ急激な経済成長をとげた韓国は成長に歩調を合わせるように物価も上がっていた。何を食べても、日本での食事と値段がそう変わらないのにはまいった。日本人だからぼられている、というようなこともないし、現地の人も同じ料金を払っている。食べるモノがこんなに上がっていると、これでは生活するほうも大変である。87年は何を食べても安いと感じたが、今回は油断をするとすぐ1000円ぐらいは使ってしまう。
 
 チャガルチ市場でタコの刺身と格闘し、公園でお年寄りが将棋を指しているを見て、公園から、「これが『釜山港へ帰れ』の釜山港か」となんの変哲もない港を眺めては時間をつぶしていた。
 夜、平壌冷麺の夕食をすませ、ビールを数缶抱えて宿に戻った。玄関で娼婦のお姉ちゃんに声をかけられ丁重にお断りして、ぽん引きの兄ちゃんからは、なぜかビールの差し入れをもらった。
 
 部屋でビールを飲みながら「明日どうしよう・・・」とぼんやりとしていた。一日ボーッとできる場所がないし、暑さもあり積極的に街歩きと言う感じでもない。海雲台というところで海水浴ができると知っていたが、マリンブルーの南の海ならともかく、東海(日本海)を一人でいたらそれこそ演歌の世界じゃないか・・・
 
 ガイドブックをパラパラと眺めていたら「慶州」という地名が出てきた、古都でバスで2時間ぐらいで行けるみたいだ。「行ってみようか・・・」
今晩は隣は静かだ、出張かな?

  「高速道路を立ち客乗せて走るなよ」とぼやいていた。バスターミナルで「慶州行き」のチケットはすぐ買うことができ、10分後のバスにすぐ乗ることができた。ただし、満員。慶州まではノンストップだから立ったままである。
「まっ、いっか!」
でも高速道路に入った時には驚いた。立ったままで100キロ近いスピードは怖いものがある、それもぎゅうぎゅう詰め。ともかく慶州に到着。

 こじんまりとした街だ。佛国寺、古墳とぶらぶらと歩いていた。お寺は日本のわびさびの世界とは違い、原色で塗ってある。古墳は鬱蒼とした森ではなく、きれいに刈り込まれ、ゴルフ場みたいである。日本人との美意識の違いがよくわかる。八百屋の軒下で西瓜を食べながら、日本と韓国の美的感覚の違いを考察していた・・・(^^;;
古い家の庭には鶏が数羽放し飼いになっており、古い瓶がいくつも並んでいる、瓦葺きの屋根、がっしりとした木造建築。おそらく今の日本でも田舎にいけばみれるであろう風景が目の前にある。

既視感

韓国へ行くと「既視感」と「異国」の狭間でとまどってしまう。

さて、帰りのバスは無事座ることができた。夕食を取るために国際通りを歩いていたら通勤帰りのOLグループで屋台で食事している、あちこちの店からは歓声があがっている、道には人があふれている。釜山はやはり都会である。

宿にもどり部屋を開けようとガチャガチャ音をたてていたら、隣から娼婦のお姉ちゃんが顔を出した。私はとっさに「アンニョン ハシムニカ」と挨拶した。向こうもハングルで挨拶を返してきた。廊下で立ち話(彼女からしたら営業?)をしてわかったことは、彼女の日本語、英語とも商売に必要な単語だけを覚えているのであった。合理的といえば合理的である。ボクもハングルは全く知らない、当然会話はかみ合わない。
似ているけど似ていない・・・人の顔立ちも風景もビルも似ている、でも異国・・・

帰る日の朝、玄関でぽん引きの兄ちゃんから声がかかった。
「もう行くのか」
「はい」
「釜山は面白かったか?」
「ええ、まぁ」
「これからどこへ行く、ソウル?」
「日本に帰ります」
「そうかまた来いよ、こんどはいい女紹介するからな」
「期待してます、日本語お上手ですね」
「そりゃ、商売だから」
「アンニョン!」
「アンニョン!」
(商売か・・・たしかに(^^))

1991.8.1〜8.4

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