ベルリンの壁と湾岸戦争<後編> 列車は東ドイツを抜けてプラハへ。
「千塔の街プラハ」と言われているとおり、多くの塔が建ち、中世の街並みを色濃く残した街である。ここで苦労したのは宿。Chedok(国営の旅行代理店のようなもの)を通しても無く、駅で寝ることを覚悟してChedokを出た。
捨てる神あれば拾う神あり(^^) 車で旅行中と思われるドイツ人に声をかけられた。
路面電車、バスで来てたら絶対に見つからなかったと思う。
翌日になり、市内のもどり、やっと街を歩くことができた。
プラハの街は、前述のとおり中世の街並みのままである。映画「アマディウス」は殆どこの地で撮影されたという。どこがどうと言うより街を歩いているだけで満足であった。
モルダウ川を渡り王宮に行った。
3年前より明らかに雰囲気が明るくなっている。
湾岸紛争の状況は膠着状態になっているようである。
朝、Wien sud駅に到着。こじんまりとした首都は何度来ても良い。
大好きな屋根裏部屋で シャワー使用料が無料 というホテルが取れてご機嫌で街へ。
まず、プラター(大観覧車)へ。映画「第3の男」の舞台となった場所である。そこのスロットマシンで1シリング(=10円)を入れてひいたらジャックポット!ベルはなるわ凄い音で響きわたり人は見に来るわ・・・ああ、恥ずかし。でも、200シリングになりラッキー!
そして、ココでまた1人合流。イタリアを回ってきた友人Tと無事会うことができた。夜になり、郊外のGrinzingへホイリゲ(ワインの新酒)を飲みに行った。このグリンツィングはワイン造り酒屋が集中していて、飲ませてくれる。
その家の玄関先に松の枝が下げてあると「ワインができましたよ」という合図である。でも、これは日本の造り酒屋が日本酒ができたときに玄関に下げる松の枝(枝を編んだ玉)と同じ物である。こんな所で同じモノを見るとは。
ザッハーハウスを見に行ったりして、ウィーンの日々はワルツのようにゆったりとすぎていった。
カールスプラーツ駅のデザインはアールデコデザインで美しいデザインである。
紛争に関するニュースは、新聞を読んでいる限り終わりはいつになるかわからない感じである
日帰りでブタペストへ、こちらも入国審査はあっけないモノで、あの3年前はなんだったのだという感じである。
別名「ドナウの真珠」、美しい街である。
ゲレルトの丘から見た夕景は忘れられないが、今回は日帰りで目的は2つ、1つはF1のハンガリーグランプリを見ること、当日でも余裕で入場でき、接戦の末ウィリアムスのT.ブーツェンがマクラレーンのA.セナを押さえて優勝。
そして、もう1つは温泉に浸かること。この街は街中温泉が湧いている。ルダッシュ温泉は銭湯そのもの、しばらく湯船に使っていなかった日本人一行は気分は有馬か草津でした。極楽、極楽。
さて、旅も終わりになり、ウィーンをもう少し見たいというTと別れて、再びフランクフルトへ、ここでスイス、フランスへ行く予定のUとも別れた。ここで、空港へ行く時間に余裕があったのでマイン川の川岸でビールを飲んでいた。
そこへ日本人が1人やってきた。話をすると、私と同様サラリーマンで夏休みでドイツ一周しているとのこと。2日後に帰国予定だが、イラク航空で来たために現在欠航だとという事である。勿論、格安航空券であるため他の航空会社に変更はできない。
1990.8.2 〜8.14 |