中世山城の植生を考える
天正に普請された防己尾の城だが、因幡では数少ない?実戦経験を伝える城のひとつだ。
ここで戦があったのは天正九年で、三度にわたり豊臣秀吉・亀井武蔵守連合軍に責められそれを防いでいる事実は国立歴史博物館所蔵「石見亀井文書」が一次資料として残る。
他に戦から半世紀を下った恐らくは口碑を元に書かれた稲葉民談記が記述され、当時の戦の様子を我々に伝えている。
城の責めては、鋭く刈られた木々に足を痛めないように、草鞋を重ねたとある。
守り手は、戦を前に木々を刈ったとある。

ここで考えないといけないのは、城の防御で切りたての樹木は、武器になるということだが、足に刺さらないまでに成長させてしまっては切っても足がのるので武器にならない。
その代わりに高いところから落とせば、武器になるだろう。
斜面部分の木は、生長してしまうと視界を遮り、相手の手がかり、足がかりとなるし、先に述べた武器となりえる細い間に、定期的に伐採する必要があるだろう。
何らかの植生を見ないと法が崩壊するので、植物は必ず必要である。
郭部分は逆に有事までは放置して、太い木を育てて、垣を結い、櫓を組む材料とすべきであろう。
ただ、これは平山城だったこの城のケースで、 鳥取城の様に比高がある城が全山ハリネズミ状態だったとはとても考え難い。
が、でも火事とか災害とか伐採とか他の要因を考えても、城域に樹齢400年を越えそうな木が少ないのも実際の印象だ。
何処かに中世山城の絵図でも残っていれば面白いのですが。
諸兄は如何考えますか、
昨日は秀吉の命日だったので、秀吉のことを考えていたら頭がこんな内容に飛んでしまいました。
20090919