9年8月 伊吹山ご来光 TOP

妻の言葉より

       「孤独で辛い日々」                      7.20.2000

何でこんなにきつい病気になってしまったのだろう、今でもこんな事が現実だとは信じたくない、夢を見ている私が本当の私で、起きている時は『まぼろし』ではないのだろうか。

 私は、外の世界との関わりがほとんどない状態で毎日を過ごしている。それも、ただ時が過ぎていくだけで実感の伴わない日が多く、この間も起きてきて、不安で不安でどうしようもなく、周りには誰も居ず、ラジオの若宮テイ子さんに『助けてー』と思わず叫んでしまった。

 私の外部との接触はほとんど主人で、それだけでは寂びしすぎるので、先日も主人に頼んで、主人の友達の家に遊びに行きましたが、話をしていても何かピントが合ってこないのです、そう言う時、私はいつも、何か相手が可笑しいんじゃないかと思ってしまうんですが、それを主人に言うと、そう言う事ではないと言われ心の中では釈然としないものが残ってしまうのです。確かに、私の考えが違っている事もあるかもしれませんが、そう言われれば言われるほど、もやもやとした物が湧き出てくるような感じがします。

 主人に対しても、世話になっていて悪いのですが、私のことを理解してくれていないのではと思う事が時々あります。そのせいで口喧嘩をすることもしばしばです、ひどい時は一日中言い合って、へとへとになってしまいます。

 そんな私でも、調子のいい時は、主人と二人でカラオケに行ったり展覧会に行ったり出来るのに、主人は、趣味のカメラも触れず山登りにも行けない。主人の生活の方が辛いのに愚痴も言わず頑張っている。その気持ちも解らず、自分の気分が面白くないだけで主人にきつい事を言ってしまう自分て、なんて自己中心的なんだろうと、反省する事もあります。
 とにかく、早く治りたい、一日も早く治りたい、今すぐ治りたい。

                                     


     「親姉妹への愚痴」                      10.10.2000

 母は、私が夜間高校を中退し仕事をやめ、悩んでいた時「あんたは、あかん人間や、根無し草や、生きている値うちがない。」とひどい事を言った。上の妹が公立高も一回で受かり仕事(昔はデパート勤め)もしっかりして、よく頑張っている立派だと言い。父もしごとをしている妹が立派だと思っている。

 上の妹が、ロミオ&ジュリエットを見た時、何回も母に話をし、母もそれをうんうんと聞いていてやっていた。私が話をしようとしても何も聞いてくれなかったくせに。

 下の妹も母とは臍の緒でつながっていて、母と同じように足が悪いため心が通じ合っているようだ。「あんたいつでもおいでや」と言われ、喜んでいた。 私に「もう!その病気いったい何時になったら治るねん、何でそんな病気になったんや。」冷たい言葉、自分の遊び相手が少ないので、私を遊び相手にしたいだけだ。

 父は、下の妹が実家から帰るとき、「あいつみたいになったら終いや、おまえも気い付けんと、もう人生終わりやで。」無視されてるのは分かっていたがこんな事まで言われているとは。下の妹も私にこんな事いわんでもいいのに、あの連中は、ああ、なんちゅうやつや。
 あいつみたいになったら終いや、仕事もせん、家事もろくにせん、と思われているのだ。「お父さん、お母さん、ありがとう。」なんて手紙出さなければ良かった。

 あの両親は入院中も一回も来ない、「外泊すんにゃったらもう行かんでもええな。」違うやろ、心の病気やから退院後の接し方とかを先生に聞いとくもんやろ。
 上の妹も「そっちの事なんか全然知らんわ。」と冷たい言葉。

 あの人たちはかわいそうな人たちだ。人の優しさがなんにも分からない。私は、あの人たちとは血がつながってないかも知れない、その方が良かった。葬式まで行ってやるもんか。

 若い頃皆に責められ、二段ベッドの上で声を押し殺して 泣いていた。思春期から青春期にかけて自分で情けないと思っているときに「情けないやっちゃ。」と言われ、心の行き場のない思いだった。
 そうでなくても自分で情けないと思っている、死にたくなってくるぐらいだ。
 仲の良い親子がうらやましい。

                                 

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