夫の気持ち | |||
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今まで、構えすぎていたのか、このページを開くと指が動きませんでしたが、中途半端でもいいから気ままに書いていこうと思っています。 |
「ほんま、疲れるわ」 2.11.
2001 先日、『知人』と妻の病気の事で話をしました。 彼の奥さんも、今はすっかり治られていますが、きつい鬱病で入退院を繰り返し、7年ほど苦しんでおられました。以前彼から『近所を一緒に散歩できただけでも、どんな嬉しかったか!!』と言う話を聞いた時、まだ私の妻は、今のような状況ではなかったので、彼の感動の半分も判っていなかったのですが、今は、その時の彼はどんなに嬉しかったことだろうと、つくづく思います。 『どうや、最近は。』 「もう一つやね。どうも、イライラがきつくて。」 『うちも、そうやったなぁ。ああ云えばこう云うで、最後には、そしたら僕はどうしたらええにゃ、もうこれ以上は出来ひんで。と言ってしもてたなあ。まだ、へたばってくれてた時の方がよかったぐらいやなぁ。』 「ほんまに疲れるわ。こっちもイライラしてくるし。ストレス溜まるわ。」 『そやろ。俺も会社来て、皆と馬鹿話して、それで気分転換が出来てたような気がするわ。』 「もう4年経つしなあ。」 『こればっかりは、いつ治る解からへんしな。うちでもなんで治ったかは解からへんし、先生でも、何がきっかけで治ったか解からんと言っていたし、いろいろ薬使って、どの薬がよかったのかも解からへんかったみたいやしなぁ。』 「気長にやるしかないなぁ。焦ってみてもしょうがないし。本人は苦しいやろけど。」 ::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::: この奥さんは、今はすっかり元気になられて、眠剤を少しだけもらっておられるそうです。 |
「健康な人」 11.1.
2000 以前、あるめーリングリストの方から「健康な人から見た私たち病人はどの様にうつってるのかなぁ?」と言う質問を受けた事がありました。 なかなか、難しい質問ですね。 まず、健康な人と言うのが難問ですね、子供から大人へ、そして大人になって からもいろんな事にぶつかり、悩んで、皆生きていくのではないでしょうか? 心の健康を100%満たしてる人が、どれくらいいるのかと思います。ここから 病気でそれまでは健康と言う線引きは難しいように思います。 私自身も、その線の上を、あっちへよろよろ、こっちへよろよろと歩いてきた ように思います。 心の病を特異な目で見る人もいるでしょう、妻の病気も隣近所の人には言わな いようにしています。でも理解してくれる人もあるんだと思います。 なんか、答えになっていないようですね、ごめんなさい。 と言う私のレスです。 心の風邪と言うのは、境目がはっきりしませんね、風邪か風邪でないか?ましてやその風邪がどんな種類なのか? |
「愚か者」 10.27.
2000 20日(金)、21日(土)と二日間、今考えれば自分でも嫌になるが、妻と喧嘩の連続だった。喧嘩の取っ掛かりは忘れてしまったが、たぶんたいしたことではなかったように思います。妻の病状を考えれば、ストレスの溜まるような事は避けなければならないのに、むきになって反論している自分が、愚かで馬鹿で間抜けな人間に見えてきた。 後でこうして落ち着いて考えてみると分かるのだが、その時は、弱いものを相手に必死でやり込めようとしている、自分を制御できないでいる。私は、昔から人に理屈っぽい理論から入っていくと言われるが、そういう癖がこんな時にまで出てくる。情けないことだと思っているがどうしようもない。普通は引き際と言うものがあるんだろうが、それがだんだん興奮してきて泥沼へはまり込んでいってしまう。挙句の果ては、『出て行け』『実家に変えれ』、なんてひどい事を云うんだろう。病気に対する理解の無い両親の所へなんて帰れる筈なんか無いのに。 妻の病状にあく影響するような事だけは避けなければいけないのに、ばかだなぁ。 |
「あれから三年」 10.27.
2000 妻の鬱がきつくなってから三年が経ちました。最初のうちは、そう深刻に考えていませんでしたが、妻が一人でいることが難しくなってきて、会社を早帰りしなければならなくなってきて、自分の中で、妻の病状を心配する気持ちと、なぜ自分までもがこんなに苦しまなければならないのかと思う複雑なものが、日を追うごとに湧き出てきました。 こんな事なら、自分がうつ病になった方がスッキリしていいんじゃないのか?そうすれば堂々と会社も休めるし、保険や手当ても入ってくるし、身体的にも経済的にもずっと楽なのにと、不遜な考えが何度も浮かんできました。 いっそこの場から逃げ出そうか、でもそんな事をすれば良識のある人から非難を受けるんじゃないか?そんな馬鹿な事を思いながら月日だけがどんどん過ぎてゆき、状況は一向に好転せず、妻の不安が増すごとに私の不安も膨らんでいきました。 なるようにしかならないと思うようになったのは、闘病から二年が過ぎた去年の暮れ、二回目の入院をした頃からです。試せる薬はほとんど使いましたと先生にも言われ、じたばたしても仕方が無い、出きるだけの事はしよう、後で後悔しないようにと思いました。 |
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