奥の細道:福井の章
福井は三里計なれば、夕飯したゝめて出るに、たそがれの
路たど/\し。爰に等栽と云古き隠士有。いづれの年にか
江戸に来りて予を尋。遥十とせ餘り也。いかに老さらぼひ
て有にや、将死けるにやと人に尋侍れば、いまだ存命して
そこ/\と教ゆ。市中ひそかに引入て、あやしの小家に夕顔
へちまのはえかゝりて、鶏頭はゝ木ゝに戸ぼそをかくす。さては
此うちにこそと門を扣ば、侘しげなる女の出て、いづくより
わたり給ふ道心の御坊にや。あるじは此あたり何がしと云ものゝ方に行
ぬ。もし用あらば尋給へといふ。かれが妻なるべしとしらる。
むかし物がたりにこそかゝる風情は侍れと、やがて尋あひて、
その家に二夜とまりて、名月はつるがのみなとにと
たび立。等栽も共に送らんと裾おかしうからげて、路の枝
折とうかれ立。漸白根が嶽かくれて、比那が嵩あらはる。
あさむづの橋をわたりて、玉江の蘆は穂に出にけり。
等栽宅跡は福井市左内町左内公園の一隅にある。左内公園は安政の大獄に小塚原の露と消えた勤皇の志士橋本左内の墓所がある所です。左内公園へはJR福井駅より徒歩15分又は福井駅より京福バス(赤十字病院線)左内公園入口下車徒歩2分、
LINK:福井市左内公園