もうすぐ体育祭という6月の頭、校内は中間テストも終わって、思い切り身体を動かせる
という、喜びと活気に満ち溢れていた。
学校行事はどれも物珍しいが、特に興味があるわけでもない越前リョーマは、体育祭で
は部活に差し障りのないように、なるべく練習の必要のない種目を選んでいた。
一人最低3種目は出なければいけないという決まり事に遵って、全員参加のものを含め
て3種目にしか参加していない。もちろん、短距離走がかなり速いことを知っている同じ団
の者に、リレーなどへの出場を頼まれたりもしたのだが、花形競技で対抗戦の中心となる
ものだけに、かなりの練習時間を拘束されるので、何とか断っていた。
今週の週末に本番を控え、授業も短縮で終わり、放課後は各種競技の練習に充てられ
ている。今日は何の予定もないリョーマは、部室へ向かって歩いていた。
部活の時間にはまだ少し早いが、他にも誰か来ていれば一緒に打ち合いでも出来るだ
ろうと期待してなのだが。周囲に人の気配は無く、まだ誰もいないかも知れないと、少々
気落ちしかけていた。
部室へと続く並木道、そこから脇に逸れてゆく小道の奥に、生徒達の間では願いの叶う
桜、と呼ばれている大きな桜の古木がある。別名告白桜と言われるその場所では、リョー
マの所属するテニス部の部長などが、しょっちゅう呼び出されている姿を見かけることがあ
るのだが、丁度今もその当人が、どうやら告白されている真っ最中らしい。相手の女生徒
は樹に隠れて見えないのだが、何か手渡しているのを手塚が断ろうとしているらしい様子
が窺えた。もっと人目につかない所でやればいいのにと思うのだが、その桜の木には恋に
まつわるジンクスがあるらしく、リョーマもそういったシーンを目撃したのは初めてではなかっ
た。
初めてではないのに、リョーマは何か落ち着かない気持ちになって、急いでその場を通
り過ぎる。
部室に辿り着いて中に入ると、案の定まだ誰も来ていない様子だった。
いつもの場所にバッグを置き、ベンチに腰を下ろす。まだ着替えても仕方ないというのも
あるが、何故だか身体を動かす気になれなかった。
部長である手塚国光とは、他の先輩のように特に親しく話をする訳でもなく、どちらかと言
えば部内では距離を置いた存在であった。
しかしその彼と、一度だけ校外で会ったことがある。部長自らが規律を破って行われた
非公式試合で、リョーマは彼に負けた。それ以来、リョーマは自分でもテニスに対する姿勢
が変わったと思うし、それだけの影響を与えた手塚のことを、特別に意識するようになって
きていた。
彼のプレーから目が離せなくなり、彼の姿も声も、いつでも自然と目や耳がそれを追いか
ける程の特別な存在。気が付けばすっかりそうなっていたのだ。
だから少しびっくりしたのだと思う。手塚が多くの女子から好意を向けられている存在だと
いうことを、改めて目の当たりにして。壁に背を預け、リョーマは自分の足の先をぼうっと眺
めていた。
ガチャリと部室のドアが開く音が聞こえ、ゆっくりと目を上げると、その手塚が入ってきた。
「ちース」
反射的に小さく、口の中で言う。手塚は頷いて、訊ねた。
「越前、一人か?」
「・・・・っス。部長、早いっスね」
「ああ・・・・競技練習はないからな。お前と同じだ」
そう言えば手塚は同じF団で、しかもその団長でもあるのだった。ここの体育祭は、Aから
Fの6つの団に分かれて成績を競い合う。団分けがどのように行われているのか判らない
が、クラスも出席順も関係なく、全生徒がランダムに6つに分けられている。
テニス部のレギュラーも、ほとんどバラバラに配置されており、3年間同じ団であるため、普
段とは違う組み合わせで行動している者を見ることも多いのだ。
手塚もバッグを置くと、ほぼ定位置になっている椅子に座り込んだ。
しん、と音がなくなり、リョーマは急に息苦しさを覚えた。考えてみれば、手塚と二人きりに
なったのは、あの試合の日以来だった。会話の無い自分達に、以前は何とも思わなかった
のに、今は居心地の悪さを感じる。
足元に落としていた視線を、手塚の気配にそろりと上げる。机に肘をついた手で目元を押
さえているのに、珍しいものを見たような気がして、目を見張った。
外された眼鏡が机の上に置かれている。目頭を指で揉み解している様子に、やはり目が
悪いと疲れるのかな、と思った。それとも、先程の遣り取りで気疲れしたのだろうか。
「いつも大変そうっスね、呼び出されて。何プレゼントされてたんスか?」
声を掛けると、手塚はわずかに眉を顰めて、リョーマに向き直った。
「見ていたのか・・・・断ったんだがな。あれだ、団長用の鉢巻きをな・・・・ま、別に2、3本あっ
ても困るという物ではないが」
「ふうん・・・・嬉しくはないわけ?それとも、相手が好みじゃなかったとか」
手塚は机の上から眼鏡を取り上げてかけた。それに心の中で、勿体無いという言葉と、や
はり見慣れた顔の方がホッとするという思いが浮かび、リョーマは自分の気持ちに戸惑った。
手塚が一つため息をつくのに、変なことを訊いてしまっただろうかと、不安にもなる。
「好きでも嫌いでもない者からの好意ほど、手に余るものはない」
「手にあまる・・・・って?」
「ああ、どうにも出来なくて困る、といった感じだな」
そしてまた黙り込む。多分これ以上続けたい話題でもないだろうし、リョーマから切り出さ
なければ、別の会話を続ける雰囲気ではなかった。
こうして二人きりになれる機会は、なかなか無いだろうし、次にいつ来るかも判らない。リョ
ーマは、前から気になっていたことを思い切って聞いてみることにした。
「あの・・・・俺、一つ聞いてみたかったんスけど」
「ああ、何だ」
「前、春野台で試合した時・・・・アンタに本気出させられたかどうか、判らなかったから。どう
だったスか?あの時・・・・」
言いながら、負けた自分が聞くのはどうなのかと、段々と恥ずかしくなってきて、下を向いて
しまった。
あの日、自分は手塚に、本気を出してもらうと言った。でも気付けば自分のことで手一杯に
なり、果たしてあれが手塚の本気だったのかどうか、判断することは出来なかったのだ。
少しの間があって、手塚は答えた。
「・・・・本気だったさ、もちろん。でなければ、お前とやる意味がない」
そう言って手塚は立ち上がり、リョーマの方へと近付いてくる。
「越前は、あれから変わったな・・・・」
頭の上に手を乗せて、くしゃりと撫でられる。こんな風に触れられたのは初めてで、手塚の
匂いのようなものを感じて、ドキリと胸が高鳴った。
見上げると、どこか優しく見える瞳が、微かに笑みをたたえているのが判って、初めて見る
表情に何か嬉しさが込み上げてくる。
離れてゆく手を名残惜しむように目で追って、そんな自分に気付いて我に返ったリョーマは、
急に頬がカッと熱くなるのを感じた。
何故こんなにドキドキするのだろうか。
そして、手塚から感じるこの心地好さは、何故他の人と違うものなのだろうか。
「アンタが、変われって言ったんでしょ」
やっとの思いで、そう声を出す。
「そうだったかな・・・・」
「どうして・・・・俺なんスか?どうしてアンタは・・・・」
自分にとってこんなにも特別なのかと、訊こうとしたのだが、言葉の続きは口の中で消えた。
その答えは多分、リョーマ自身の中にあるのだろうから。
「お前は存在自体が、俺の手に余る」
「え・・・・どういう意味スか?」
「少なくとも、気に入っていることに違いはないが・・・・少し、他の奴とは違うな」
どう違うのか、更に問いかけようとしたその時、部室のドアが開いて、菊丸を先頭に3年のメ
ンバーが入ってきた。
「おーっス、手塚。おチビちゃんも来てたんだー。少し早いけど、練習始めようぜー」
続く大石と乾の姿に、リョーマは改めて挨拶をする。どうやらもうこれ以上、手塚と話をする
ことは出来なさそうだ。まぁ仕方ないか、とリョーマは小さくため息をついた。
ベンチから立ち上がって、ロッカーの方へ歩き出す。手塚の横を通り過ぎようとした時、さり
気なく一瞬、肩に置かれた手に気付く。
軽く叩くようにしてそれはすぐに離れてしまったが、何かしらの手塚からの気持ちを感じて、
リョーマは頬が緩みそうになるのをこらえた。
多分、判ってくれている。自分が特別に感じていること。そして、きっと自分も手塚にとって
の特別であるということ。
――――その気持ちにつけられる名前に気付く、少し前のことだった。
−Ende−
020618 波崎とんび
日本のW杯がベスト16で終わった日。
試合を見れない鬱憤を晴らす為に、一本書き上げて
しまいました。今度はリョーマさん視点で、前の続きの
ような感じ?文章が荒れているのは集中力がない為
かと・・・・というか今凄くスランプです。全然文が書け
なくて・・・・いつまでも書けないでいるわけにいかない
ので無理やり並べてみただけの物でした。
体育祭、4コマとかでも描きたいネタがあるんですが。
というか団分けの設定は自分の母校です。
本番の話も書きたいんですが〜・・・・読みたい人、
いますかね?