Divertimento  U  
 怒った顔と、不機嫌な顔、そして普通の顔。
 手塚国光の顔を思い浮かべようとすると、出てくるのはその三種類しかなくて。
 もしかして、大石副部長や不二先輩なら、他の顔も見ているのだろうか。
 そう思うと、何だかムカついた。


 越前リョーマは、昼は学食で食べることにしている。共働きというか、母の方が外へ働き
に出ている越前家の状態で、朝食に加えて弁当まで頼むことは出来ないということと、今
は他にもう一つ、理由がある。
 それは、テニス部部長である手塚の姿を、部活動以外で見ることが出来るかも知れない、
数少ない機会の一つなのであった。
 それは例えば時折、図書室などで見かけることもあるが、自分が係の時にいつも来てくれ
るという訳ではないし、話が出来る事もない。
 もちろん食堂でも、3年の手塚と一緒に並んで食べる訳ではなく、先に座っている彼が友
人と話をしているのを離れた所から眺めたりしているだけ、ではあるのだが。
 それでも、運良く近くに座れれば、声が聞こえることもある。
 挨拶くらいなら、言葉を交わすことも出来るのだ。
 俺って実はケナゲだったんだ、と、桃城辺りが聞いたらふき出しそうな事を考えるリョーマ
であった。


 地区予選後、目の怪我が治った後で、リョーマは手塚に呼び出された。
「越前、頼みたい事があるんだが」
 それまで、「グラウンド20周!」などの言葉しか聞いたことのなかった部長に、二人きりで
話し掛けられて、リョーマは驚いた。
「今度の日曜、俺と個人的に試合をして欲しい」
「・・・・試合?」
「竜崎先生には、許可を貰ってある」
 そう言われて、そういえば部活での練習試合以外に、そうした試合を勝手にすることは禁
止されているんだったと、気が付いた。
 疑問に思ったのは、何故部長が俺と、ということだったのに。
「良ければ、場所はこちらで用意しているから、迎えに行くが・・・・いいか?」
 レギュラー陣の全員とは、いつかちゃんと試合をしてみたいとは思っていたし、青学ナン
バー1であり、全国区の実力の持ち主である手塚に、興味がなかった訳ではない。
「・・・・いいっスよ」
 いくら無敗の記録を誇る部長と云えど、中学生だからな、などと、その時のリョーマは考え
ていたのだった。
 自分が敵わないのは、プロか、親父だけだ・・・・そう思っていた。
 わざわざ電車に乗って、知らない街のテニスコートに連れて行かれて。
 部長と二人きり、という状況は、普通の者であれば緊張してしまうものらしいが、リョーマは
ワクワクしていた。強い相手とテニスをすることは、何より面白い。・・・・もちろん、自分が勝
つつもりで。
「部長って、滅多に本気出さないそうっスね」
 テニスウェアに着替えて、そう訊いた。手塚はちらりと視線を寄越すが、無言のまま自分の
身支度をしていた。
「今日は、本気出してもらいますよ」
 そして、リョーマのサーブで試合は始められた。


 あれから、リョーマの頭の中には、常に手塚の姿があると言ってよかった。
 部長がラケットを持っていれば、つい視線の隅で意識してしまうくらいに。
 一緒に打ち合うことはないけれど、いつでも部長の球を打ち返すイメージを抱いていた。
 手塚のことで頭が一杯になり、誰よりも気にしている自分に比べ、手塚は今までと何一つ
変わる所はなかった。まるであの一戦などなかったかのように。
 何故だか悔しくて、腹が立って。手塚の目を、自分に向けさせたいと思って・・・・ハタと気
付く。まるで恋をしているようだと。
 リョーマはすぐに、その気持ちを受け入れた。手塚の姿を見ると、ドキドキして目が離せな
くなるのだ。これは紛れもなく、恋じゃないのかと。
 恋でもテニスでもいい。いつか自分が勝ってみせるのだと、そう誓った。


 食堂に行くと、既に2・3年生でごった返していた。
 いつものようにざっと見渡して、手塚の姿を探す。大抵同じような場所に、大石や見知らぬ
3年の、恐らくはクラスの友人らと座っているのだが、今日はそのグループの中に手塚の姿
がなかった。
 食券を買う列に並び、券売機でラーメンのボタンを押した時。
「もっとちゃんとした物を食べろ」
 いきなり後ろからそんな声がして、驚いて振り返る。
「部長っ・・・・ちぃーっス」
 少し慌てて券とおつりを握り締め、受付の方に向かった。
 麺類の列に並んでいると、手塚は定食の方に並んだ。
 やがて自分の分のラーメンをのせたトレイを手に、空いている席を探す。
「越前、奥が空いている」
 後ろから、またもや手塚に声を掛けられる。焼き魚定食を手にした彼は、リョーマについて
来いと目配せをすると、奥の方へ進んでいった。
 上級生に交じって食べろっていうのか?そう思いながらも、手塚が自分を誘ってくれたの
が嬉しい。
 2つ並んで空いた席に、手塚が座り、リョーマもそれに倣った。
「失礼します。・・・・今日は遅かったんスね」
「ああ、先生と話し込んでしまってな。それより越前、いつもそんなメニューなのか?」
「あ、いや・・・・うぃっス」
 実は、定食を買えるだけのお金は貰っているのだ。しかしリョーマは、ファンタ飲みたさに、
ついいつも安いメニューの物ばかり食べて、差額をジュース代に充てていたのだった。
「お前の場合、牛乳だけじゃなく、食生活全般の改善が必要かも知れないな」
 その言葉に、思わずリョーマは隣りの横顔を仰ぎ見た。
 どこか呆れるような雰囲気には、苦笑雑じりの響きがあり、実際その顔は良く見なければ
判らない程度にではあったが、微苦笑とも言えるような表情を浮かべていたのだ。
「・・・・す、スイマセン」
 つぶやくように言って、また下を向いた。ラーメンの味が、全然判らなかった。
 隣りでは、左手の箸が器用に魚の身を取り分けていた。大きい手だな、とついじっと眺め
ていると。
「ほら、オプション付けてやる。早く大きくなれよ」
 一かたまりの身を取り上げて、リョーマのラーメンの上にさっと乗せてしまう。
「あーっ!」
「カルシウムは成長に必要だぞ。良かったな」
 魚臭くなる・・・・と思いながらも、頬が熱くなるのを感じる。汁に沈んでしまわぬうちにと、
魚をすぐに取り上げて食べる。
「部長がこんなことするとは思わなかった・・・・」
 ボソリと言うと、今度は紛れもなく、笑った声の手塚が言った。
「何だ、もっと欲しいのか?」
「もういいっス、ありがとございました!」
 見上げてみると、やっぱり表情はほとんど変わっていなかった。心なしか、唇の端が少し
上がっているかな、と見える程度で。
 でも部長が笑っている。
 リョーマは嬉しくて、顔がニヤケるのを抑えられなかった。
「・・・・ていうか、部長も笑うんスね。笑ってるようには見えないけど」
 込み上げてくる笑いを堪えながら、リョーマはそう言った。
「・・・・当たり前だろう、そのくらい。ラーメンが延びるぞ」
 少し憮然として、手塚は自分も箸を動かした。








                                       02.02.02. 波崎とんび
他愛ない話その2ですね。これはまだ5月頃でしょうか。
リョーマくんが自覚する話、のはずが、気が付けば手塚の
笑う時ってどんななのかな、という話になっていました。
おまけにこれがきっかけで焼き魚が特別好きに、という
自分的裏設定が出来てしまったりしています(^^;
ちょっと自分の考えている二人と、違うかも・・・しゃべり方とか、
難しいですね。学食・・・ありますよね?うちにはあったので。