■桜吹雪 −優しさの向こう側−■ 
 混沌の時代、人々は新たな創造を待って力を蓄える。生命は一時怠惰な日々を貪っている。
そして総てが次の世を――――新しい始まりの時を待っていた。
 長い年月、シュラトは旅を続けていた。
 一人ではなかった。誰の目にも創造神の後継者たるシュラトは一個人であり、独りで野道を
歩いていた。しかし彼は一人ではなかった。
 シュラトには、はっきりとした自覚があった訳ではない。ただ、もう一人の存在を、信じ続けて
いただけであった。
 もう一人の存在は、それこそシュラトのためだけに、そこに居た。
 シュラトはもちろん彼だけを必要としていたのだし、彼もシュラトだけを必要としていたのだ。
 そしてシュラトは、二人の旅の終わりが近いことを知っていた。
 それは総ての始まりであった。しかし、日高秋亜人として生まれた彼の時代の終わりでもあっ
た。
 神になることは、独りになることだと、彼は知っていた。
 だがその時、自分のために生き、自分のために死んだ彼――――今も共に居る彼が、別の
人間としてではあるものの、自分から自由になれるのだと、それが彼のためであろうと、シュラ
トは思っていた。
 旅が終わろうとしている。その予感は確実に強くなっていき、そしてその場所で確信に変わっ
た。
 そこは以前の天空樹のふもとであり、現在の天空殿からも程近い場所であった。それは、彼
がこの天空界で、初めて目覚めた場所なのだ。今そこに、一本の大きな桜の古木が、満開の
花をつけ、辺り一面に花吹雪を散らせている。
 桜の木は、この天空界では混沌期の間にだけ見られるものであった。確かにこの時期は、
光流の流れにまとまりがなく不安定な分、確たる拠り所のない人間界の気と似ているものが
ある。
 たとえ表裏一体の世界であっても、総ての中心たる天空界の気と比べ、人間界の気は影響
を受けこそすれ、完全とは言えない。調和期であった頃さえ、調和とは程遠い時代もあった。
 それこそが問題であるのかも知れないと、シュラトは思う。
 天空界からの気が影響を及ぼしきれず、諸界の乱れが時として天空界の方へと影響する。
それが迷い水を呼び、破壊神シヴァの暴走を呼んだ。
 神と言っても、全能では在り得ない。むしろ単に万物の中心に核を成すだけの、小さな存在
でしかないのだ―――――
 ふいに、風が強くなった。桜の花びらが一層風に舞い、視界を埋め尽くすほどに散る。
 枝の下に立ち尽くしていたシュラトは、そばに人の気配を感じた。
 振り返ると、桜の花の妖精の如くに、可愛らしい子供の姿が現れる。
 3つくらいの背格好で、髪は明るい赤茶色であった。じっとシュラトを見詰めて立っている。灰
色の大きくパッチリとした目に惹かれて、シュラトはその子に向き直り、身を屈めた。
「近くの村の子か? こんな所に、一人で来たのか」
 問い掛けに、その子はこくりと頷いた。そして両手をシュラトに向けて伸ばすと、輝くような笑
みを浮かべて言った。
「・・・・お兄ちゃんを、待ってたんだよ」
 シュラトは無言でその子を抱き上げた。
「お兄ちゃん、一人なの?」
「・・・・ああ」
「でも、僕が居るから、もう一人じゃないよね」
 シュラトはその子を抱く腕に力を込めた。我知らず両眼から熱い涙が溢れ、頬を濡らした。
「ああ、一人じゃない・・・・俺も、お前を待ってたよ・・・・」
 その子はシュラトの首に腕を巻きつけると、自分の頬が濡れるのも構わずに、シュラトを抱き
締めた。
 涙など、とうの昔に涸れたものと思っていた。しかし今、彼自身の積年の苦しみを洗い流すよ
うに、涙はとめどなく流れていた。
 苦しみも悲しみも、何もかもがこうして再び出逢う為だったのだと、今はすべてを許せる気持
ちになっていた。
「僕、ずっと一緒にいるよ。いいでしょ?」
「ああ、ずっと一緒にいよう。・・・・すべては終わった。これからは俺達が、新しい世界を造るん
だから」
――――きっとお前は、正しい破壊神になるんだね――――
 シュラトはその腕の中に、すべての物とその未来を収めていると感じた。
 創造期の、それが始まりであった。
Back