徒然くも

くもが徒然なるままに書き連ねる随想録です。

将棋厨房「ホームに戻る」

2013年10月6日(日)
夢のまた夢

 さきほどレースが終わりました。オルフェーヴルは2着、キズナは4着でした。オルフェーヴルは昨年と同じ成績ですが、殆ど勝利を掌中に収めていた昨年と違い、今年は勝ったトレヴから離された2着でした。やはり凱旋門賞は3歳馬が強いですね。しかも牝馬ですからオルフェーヴルとの斤量差は5kgあります。この差がなければあそこまでちぎられることはなかったとは思いますが、逆転までは無理でしょうね。無敗で凱旋門賞を制覇したのですから大した名牝です。凱旋門賞の厚い壁に日本馬が跳ね返される度に思うのですが、世界には本当に強い馬がいるものですね。不思議と昨年のような失望感はなく、あーやっぱり夢を見ていたんだなといいますか、夢から醒めたような気持ちです。やはり日本馬による凱旋門賞制覇は夢のまた夢なのでしょうか。死ぬ前に一度は正夢になって欲しいのですが。

2013年10月5日(土)
決戦前夜

 なんと…4年4ヶ月ぶりの更新です。明日は雪が降るかもしれません(笑)。自分自身、もうこのコーナーを更新することはないかもしれないと思っておりました。大したネタもないですし、毎日それなりに忙しいですし、だいいち文章を書いてアップするのが億劫です(^-^;。そういう私ですが実は去年も一度だけ更新しようかと思った時がありました。ちょうど一年前です。第91回凱旋門賞に挑戦した日本の三冠馬オルフェーヴルが2着になりました。これだけ書くとなんでもない出来事のようですが、競馬ファンにとっては色々な意味で熱い出来事でした。凱旋門賞は世界最高峰のレースです。そこで勝つことは世界一になるということであり、世界最強のサラブレッドであることを証明するということです。欧米の後塵を拝し続けた日本競馬150年の歴史において、凱旋門賞馬を輩出することは夢であり悲願でした。これまで日本のスターホースが何度も何度も挑戦し跳ね返されてきた高い壁、それが凱旋門賞です。2006年10月に本コーナーで取り上げた無敗の三冠馬ディープインパクトもその一頭でした。現在でも日本競馬史上最強馬に推す声が高いディープインパクト。日本国内では楽勝の連続、まさに向かうところ敵なしだったディープインパクト。そのディープインパクトでも勝てなかったのが凱旋門賞。世界の競馬のレベルは一体どれだけ高いのだろうと、日本の競馬関係者とファンは落胆したものでした。競馬ファンにとって日本馬が凱旋門賞に勝つことは、例えて言うならばオリンピックの男子100m走で日本人が金メダルを獲る、あるいはサッカーワールドカップで日本が優勝する、それくらいのビッグニュースなのです。

 ディープで勝てなければ20年、いや50年間は無理だろう、そう言われた歴史的敗戦からわずか6年、2012年のロンシャンの地に立つ栗毛の馬体がありました。ディープインパクトに次ぐ日本競馬史上7頭目の三冠馬オルフェーヴルです。ディープインパクトが“天才”だとすればオルフェーヴルはまさに“異才”。三冠レースである皐月賞、日本ダービー、菊花賞では恐ろしい瞬発力を発揮して圧勝を収めたものの、翌年の阪神大章典では圧倒的一番人気に推されながらコーナーでコースを間違えてオーバーランし、まさかの2着に敗れてしまったクセ馬です。大一番の凱旋門賞、直線を向いて先頭に立ったオルフェーヴルはぐんぐん後続を引き離しました。一馬身、二馬身、三馬身…深夜、衛星中継のTVにかじりついていた私は信じられない気持ちで彼の走りを観ていました。まさか、夢の凱旋門賞の舞台でここまでのパフォーマンスを発揮する日本馬が出てこようとは。日本馬がこれほどまでに強いとは…!オルフェーヴルの勝利を確信した私は思わず大声で歓声を上げてしまいました。私の叫びを聞いて子供が起きると家内が苦情を言いに来たその時です、彼の悪い癖が出てしまいました。内ラチにささりながらどんどん失速してしまったのです。日本でもお馴染みのオリビエ・ペリエが騎乗するソレミアがどんどん迫ってきます。危ない、オルフェーヴル、まっすぐ、本気で走るんだ!日本競馬ファンの叫びも空しく、残り50mの地点でソレミアに交わされてしまい、最後は首差の2着に敗れてしまいました。この時の私の落胆と言ったら…(^^;。ディープインパクトの時は、これも仕方ないなと受け入れることができたのですが、去年はしばらくその場から動けませんでした(笑)。間違いなく、日本馬が過去最も世界一に近づいた一戦でした。私の競馬ファン歴は30年以上になりますが、これほど“熱い”レースは他にはありませんでした。本コーナーにこの一件を書かなかったのは、残念すぎて力が抜けてしまい、書こうと思っても書けなかったからです(^^;。

 それから1年。オルフェーヴルは今再びロンシャンにいるはずです。ディープインパクトがそうしたように、彼は再挑戦しないだろうと私は思っていました。種牡馬入りを1年遅らせればどれだけの種付け料を失うのか。1年待ったとして凱旋門賞に勝てる可能性は上がるのか、下がるのか。昨年2着の実績を下回ったら種牡馬としての価値はどれだけ下がるのか。それらを天秤にかければあまりにリスクの多い選択だと思ったからです。しかし彼は帰ってきました。私はこれだけでも彼と彼の陣営に拍手を送りたいです。オルフェーヴルは今年日本では1走しかしておらず、G1には一回も出ていません。早めに渡仏し本番前に現地のレースに出走しています。奇しくも、2006年10月3日付けの本コーナー記事で私が「ディープインパクトはこのように再挑戦すべし」と書いている通りの臨戦過程です。オルフェーヴル陣営は目標を凱旋門賞一本に絞っているのです。

 今年、日本からはもう一頭凱旋門賞に挑戦する馬がいます。今年の日本ダービー馬キズナです。彼は2006年に敗れたディープインパクトの仔です。父が果たせなかった夢を実現すべく、フランスにやって来ました。特筆すべきは彼が3歳馬であることです。凱旋門賞は3歳馬と古馬の斤量差が大きい(3.5kg)レース。どう考えても3歳馬が有利です。ディープインパクトが出走した凱旋門賞を制したのも3歳馬でした。しかし日本の3歳馬にとって凱旋門賞はローテに入れづらいレースです。凱旋門賞を狙うような突出した実力を持つ3歳馬なら春に皐月賞とダービーを制しているでしょうし、すると秋に三冠がかかる菊花賞を蹴って凱旋門賞に出るという選択肢は普通あり得ません。日本の競馬界において三冠の名声はまだまだ高く、魅力的です。勝ち目の薄い凱旋門賞に出るはずがありません。現にディープインパクトもオルフェーヴルも3歳時は国内だけで走り、三冠馬となりました。キズナにとって好材料?なのは皐月賞に出走しなかったことでした。出れば勝っていたかもしれませんが、出走しなかった時点で三冠馬の権利はありません。キズナはダービー馬ですが、ある意味凱旋門賞を選んでも失うものは少ないと言えるでしょう。私はディープも、オルフェーヴルも、その昔の三冠馬ナリタブライアンも、3歳時に凱旋門賞に出れば勝っていたと思っています(その場合、三冠馬ではなくなりますが)。国内で緩い相手と戦ってG1を勝つのではなく、世界最強の相手に挑戦するその心意気に拍手を送りたいと思います。オルフェーヴルにも期待していますが、斤量56kgのキズナにも勝機があると思っています。

 決戦は日本時間で明日の夜です。楽しみでもあり、観るのが怖くもあります(^^;。更新しなくてもそっとしておいてください(笑)。

2009年6月20日(土)
ラーメンの海苔

 私はラーメンが大好きです。ラーメンに限らずうどん、蕎麦など麺類全般が大好きです。ですから食生活における麺比率はかなり高い方だと思います。平均すると週に3〜4回くらい麺を食べています。その中でもラーメンの登板率がトップです。今やラーメンは日本の国民食とも言えるメジャーな食べ物ですね。私のラーメン率が高いのも、それを背景とした店舗数の多さ、麺・スープ・具材のバラエティーの豊かさ、そして各店舗の営業時間幅の広さ、が理由だと思います。ラーメン屋はうどん屋や蕎麦屋と比べて店舗数が多い上に、店舗毎の個性が強いという特徴があります。うどんや蕎麦はどの店に入ってもだいたい同じようなものが出てきます。勿論使っている素材や調理法などに店舗毎の違いがあるためどの店に入っても味が同じということはないのですが、例えばラーメンのスープにある「しょうゆ」「味噌」「とんこつ」などのバラエティーがうどんや蕎麦にはあまりありません。うどんの方はたまに味噌やとんこつ仕立てのものを目にしますが、蕎麦は「蕎麦つゆ」を使用したもの以外は殆ど見かけませんね。胡桃蕎麦くらいでしょうか。味噌ベースやとんこつベースの蕎麦もやってみたら美味しいのではないかと思うのですが、どうなのでしょう。

 昨日もある店でラーメンを食べました。しょうゆラーメンを注文し、出てきた品物を見るとチャーシュー、メンマ、刻みネギ、それに海苔が具材として載っていました。海苔がラーメンの具材として一般に認知されるようになったのはいつ頃からでしょうか。私は社会人になるまで海苔の入ったラーメンなんて見たことがありませんでした。ふと気付いた時には海苔を載せたラーメンは珍しいものではなくなっており、最近では海苔の入っていないラーメンの方がむしろ少ないくらいかもしれません。トッピングとして選択できる店まで含めますと今や殆どのラーメン屋で海苔を載せたラーメンを食べることができます。ところがラーメンの具材としてこんなにメジャーになっているというのに、私は未だにこの海苔をどうやって食べたらよいか分からないのです。箸を持った瞬間、海苔がまだパリッとしているうちに食べてしまうのが良いのか、それともスープを吸ってヘロヘロになってからの方がいいのか、あるいは何か他の具材や麺の周りに巻いて食べるのが正解なのか、はたまた最後まで手をつけずドロドロになった海苔をスープに溶かして飲んだ方が美味しいのか。
 そもそも海苔とはご飯に巻いたりして、ご飯と一緒に食べるものだと思っていたのですが。子供の頃、朝食などでろくなおかずがない時、よくご飯と一緒に海苔が出てきたような気がします。つまりおかず代わりです。おにぎりに海苔を巻くのも同じような意味ですね。海苔自体はかなり風味が強い食べ物ですから、ご飯のような淡泊な味の食べ物とよく合うのであって、これをラーメンのような味も香りも濃い食べ物に入れても活きないと思うのですが如何でしょうか。そういう思いもあって、私はラーメンの具材としての海苔はあまり好きではありません。食べ方に悩むのは昨日のように最初から海苔が載っている場合だけで、トッピングで海苔をつけたことは一度もないのです。しかしここまで海苔載せラーメンが普及しているということは、それを支持するファンが多いということでしょうし、何か美味しい食べ方があるのかもしれません。もしかすると自分が不勉強なせいで、海苔の良さを引き出せていないのかもしれません。これからも海苔載せラーメンを食べる機会は数え切れない程あるでしょうし、「海苔の食べ方」というものがあるならばラーメン大好き人間としてこれを知らないわけにはいきません。どうしたものかと思いましたが、とりあえず「ラーメン 海苔 食べ方」でググってみました。すると… いやぁ皆さんも悩んでおられるようでした(笑)。やはり私と同じように海苔をどう食べたらよいのか分からないとか、そもそもラーメンに海苔って必要なのかといった書き込みがたくさん出てきました。ふむふむ同感同感…と思ったのは良いのですが、結局海苔の食べ方は分からずじまいでした。その中で海苔入りラーメンが好きだという方々の意見を読んでみますと、その方法論は十人十色なのですが、概して自分の好みにあった食べ方を探求し発見しているという共通点があるように思いました。今まで何気なく食べていたラーメンの海苔ですが、これからは色々な食べ方を試してみようと思った次第です。

2007年6月17日(日)
10分で2級
 え〜、8ヶ月と10日ぶりの日記更新です(^^:。今回も将棋ネタです。
 毎週日曜日にNHK教育TVで放映されている「NHK将棋の時間」、将棋ファンなら欠かさずご覧になられている方が多いのではないかと思います。午前10時から将棋講座が始まり10時20分にNHK杯将棋トーナメントにバトンタッチ。そしてトーナメントの放映が正午まで続くというのが通常のパターンです。民放と違ってNHKにはCMがないのでずーっと将棋盤かプロ棋士の顔がTVに映っているわけですが、ご家族の手前この画面を2時間映し続けるのはなかなかキツイという方もおられるのではないでしょうか(笑)。私の場合、諸般の事情が許せば10時から12時までフルタイム視聴しますが、そうともいかない時は“つまみ食い”的に観ることになります。つまり(私から見て)あまり興味のない時間帯はとばして観たいところだけピンポイントで観るという形になります。その場合、観たいポイントというのは2ヶ所ありまして、それは10時15分くらいから20分までの5分間と、11時20分くらいから終局までの20〜30分間です。これは何が観たいのかと言いますと、前者の5分間は講座の終わりに出てくる「今週の詰め将棋」が観たいのです。後者の20〜30分間はトーナメントで両対局者が考慮時間を使い切って正味30秒の秒読みになってからの終盤戦が観たいのです。もっとも今日などはそのつもりで11時30分に3チャンネルに合わせたら、既に対局が終了して感想戦になっておりアレレってことになったのですが(^^;。

 「今週の詰め将棋」のコーナーを観ると言いましても、答をハガキに書いて「NHK将棋の時間 今週の詰め将棋係」に送っているわけではありません(笑)。TV画面に詰め将棋の問題が映し出され、講師が駒の配置を言っている間に詰ますのが目的です。なんでそんなことをするのかと聞かれても困るのですが、これは学生時代からの習慣なのです。学生の時に将棋の強い後輩がいました。ある日彼の下宿で一緒にNHK将棋の時間を観ていて「今週の詰め将棋」のコーナーになった時、彼が「毎週必ず、TV画面に詰め将棋の問題が出ているうちに詰ませられれば県代表の力があるんや」と言い出して考え始めました。なんだか面白いなと思い、私も一緒に考え始めたのがきっかけです。確かその時は二人とも画面が切り替わる前に詰ますことができたと思います。今考えると、県代表云々の彼の言葉に何の根拠があるのだろうと疑問に思わなかったのは不思議ですね(^^;。その後輩は私の将棋にかなり強い影響を与えた人物でして、その時も前夜から彼の部屋で将棋を指しまくっての徹夜明けだったわけですが、まー彼の話は長くなるのでまた別の機会に致しましょう。
 そんな経緯で「今週の詰め将棋」のコーナーだけは欠かさず観るようにしている私ですが、さすがに県代表の力はありませんので全ての問題を画面に映っているうちに解けるわけではありません(笑)。若い頃はだいたい解けたのですが、正直最近は五分五分くらいかもしれませんね。ですが講師が今の渡辺竜王になってからはかなり簡単な出題が多いせいかほぼ毎週解けています。特に今日の出題は簡単でした。竜王が玉方の駒の配置を言い始めたくらいで解けてしまいました。将棋愛好家の方はよくご存じだと思いますが、「今週の詰め将棋」のコーナーでは講師が駒を配置を説明した後でアシスタントが「どのくらいで解ければ、どのくらいの棋力でしょう?」とふり、これに対して講師が「○分で×級くらいの問題です」と答えるのがお約束になっています。私は今日の問題の容易さから考えて(5分で5級くらいかな?)と思っていました。ところが渡辺竜王の口から出たのは私の予想と大きくかけ離れた「10分で2級くらいでしょう」という言葉でした。この言葉に私は軽い衝撃を覚えました。そして、自分との棋力差が大きい人の棋力を正しく評価することはとても難しいことなんだなとしみじみ思いました。
 今日の問題を、(渡辺竜王はプロなんだから、プロが言うように「10分で2級」の問題で間違いないんだろう)と結論づけるのは早計です。実際に解いてみた私の実感がそれほどおかしいとも思えないのです。どちらが正しいかを確認するためには、実際に級位者の方にこの詰め将棋を解いてもらってデータで議論するしかありません。しかしここで私が言いたいのはそこのところの白黒ではなくて、自分とは全然違うレベルの人を正しく評価することがどれだけ難しいかということなのです。この問題の難易度が「10分で2級」程度なのか「5分で5級」程度なのか正しく評価できるのは渡辺竜王でも私でもなく、実際にその程度の棋力を持った級位者の方でしょう。渡辺竜王だって私だって級位者時代を経てきているはずですから(もしかすると竜王はルールを覚えた瞬間から初段くらいあったかもしれませんが…いくらなんでもそれはないか(笑)、例えば10級と1級の差は分かるのですが、失礼ながら5級と2級でどれくらい違うのかなんて正直もう分かんなくなっちゃっているのです(^^;。

 これは詰め将棋の難易度だけではなく、「あの人の棋力はこれくらい」とという実際の棋力判定にも言えることです。他人の棋力を最も正しく評価できるのは、その人と切磋して腕を競い合っている同レベルの好敵手ということになるでしょう。私は将棋倶楽部24でレーティング持ち点が随分下の人と指すことがありますが、1200点下の人と800点下の人で棋力に差を感じるかと言われると正直殆ど分かりません。このことは1200点下の人が努力の結果400点分上達しても気付いてあげられないということを意味するでしょう。レーティングで400点違うというのは実際すごい差のはずです。レーティング方式の考え方では持ち点が400点以上違うと、理論上は下位者が上位者に勝つことは不可能とされています(早指しなどではそうとも言えないですが)。これが400点下だった人が0点差になったとか、200点下だった人が逆に200点上になったというケースなら否が応でも気付くはずです。これらの事象から次の仮説が導き出されます。つまり、精度の高い人物評価をするためには、評価者のレベルが被評価者と近いレベルにあることが必要なのだ、と。社会においては評価者が指導者を兼ねるケースが多いですから評価者のレベルが被評価者と同じでは困るわけですが、こと評価に限っては上の仮説が正しいのではないかと思う次第です。よく名選手、名監督ならずという事例が見られますが、その原因の一つとしてこういった仕組みが働いているのではないでしょうか。
 自分より棋力が低い人のことすら正しく理解できないのに、自分より上手が実際なんぼのものか理解できるはずがありません。プロトップクラスのレーティングはおそらく私より1000点くらい上だと思いますが、それこそ雲をつかむような話です。恐ろしく強い、それこそ神の如く強いんだろうなということくらいしか想像つきません。ですが自分よりレーティングが1000点低い人と100局指して全勝できるかと言われるとそれほど自信があるわけではないのです。早指しだと1回は負けるような気がします。あるいはもっと負けるかも…。そう考えるとトッププロも人の子、早指しで100局指せば1回くらいは致命的な勘違いが出て勝てるんじゃないかという気がしてくるから不思議なものです(^-^;。これが早指しでなかったら100局指しても200局指しても無理だと思いますが。あくまで勘違い期待ですので(笑)。
2006年10月7日(土)
負けず嫌い
 前回の続きです。また何ヶ月も経ってしまわないうちに書いておきましょう(^^;。
 さて、皆さんに一つ質問があります。ネット将棋でもリアルの将棋でも、将棋でなく他の競技でも構いません。自分としてはどうしても勝ちたい一戦があったとします。どうしても負けたくない相手との一戦という設定でもOKです。勿論100%本気で戦いました。ところが戦ってみると思っていた以上に相手が強く、勝負は無情にも自分の負けに終わってしまいました。全力で戦っただけに悔しい思いでいっぱいです。こんな時、あなたならどういう行動をとられますか?次の@〜Eの中から最も近いパターンを選んでください。なお@〜Eは勝負が将棋である場合を想定した選択肢になっています。他の競技を想定された場合は適宜脳内変換して当てはめて下さい。

@「こんなもの、やってられるか!」と駒を叩きつけ二度と将棋を指さなくなる
A黙ってその場を去り、しばらく将棋から離れる
B少し弱い別の相手と戦い、勝って気分を直す
C悔しいが負けたのは仕方ないので、何事もなかったかのように次の対局を始める
D「勝つまでやる!」と宣言し、その相手に何度も挑戦する
E敗局を振り返って、どうして負けたのか、どうやれば勝てる可能性があったのか考える。相手にも意見を求めて納得のいくまで検討する

 負けた時には大変大きなフラストレーションを感じるものです。真剣勝負であればあるほどその度合いは大きくなります。しかしいくら腹が立ったからといって相手を殴りつけるわけにはいきません(笑)。そこで人は様々なやり方でこのフラストレーションを解消しようとします。その手段をグループ分けすると以下のようになるでしょう。
(A)「負ける」というストレス源から逃げようとする
(B)「勝利」という最高の良薬をもって負けたストレスを解消しようとする
(C)すばやく忘却能力を発揮してストレスをかわす
(D)敗戦を成長の糧とすることで、「負け」にプラスの価値づけを行う
 皆さんに考えてもらった設問で言えば、選択肢の@とAが手段(A)、BとDが手段(B)、Cが手段(C)、Eが手段(D)に含まれる行動パターンということになるでしょう。

 さて、どうしてこんな話をしているのか? そろそろ本題に入らねばならないでしょうね(笑)。本稿の本題は前回でもふれた「正しい負け方」についてです。負け方に正しいも間違っているもなさそうですが、着眼点を「次につながる負け方」、「転んでもただでは起きない負け方」に置くと、自ずと答えらしきものが見えてきます。実は@〜Eの行動パターンは、いずれも敗戦によってもたらされるストレスの解消効果があるという点では同じなのですが、こと上達に対する影響度という点では全く異なっているのです。初級者の将棋を観戦したり指導対局をした時など、負けた時にどういう行動をとるかでその人が将来強くなるかならないかが大体分かります。私が今まで見てきた中で、めきめき強くなった人というのは例外なく負けず嫌いでした。まー負けるのが嫌いじゃない人なんていないと思いますが、強くなる人はその傾向が顕著なのです。負けず嫌いであることは将棋に限らず勝負事で強くなるための必須条件と言えるでしょう。

 ただし同じ負けず嫌いと言っても、その表現手段は人それぞれです。中には負けず嫌いであるが故にそれがマイナスに作用して貴重な才能を埋もれさせてしまっている人も数多くいるのではないでしょうか。行動パターン@とA、つまり「負けから逃げようとする」人がその典型です。言葉の意味からすればこういう人は本当の負けず嫌いではないのかもしれません。が、負けるのが嫌だという気持ちは痛いほど理解できます。しかし残念ながらこういう人はずっと負け組です(勿論その競技に関してですが)。勝負事ですから勝つときもあれば負ける時もあります。負けを恐れて逃げていたのでは強くなりようがありません。
 BとDは「勝ちを求める」という点では同じ行動パターンですが、その内容と効能は全く異なります。Bは表現手段こそ違っていますが、その本質はむしろ@とAに近いところにあります。つまり負けから逃げようとしている点では同じなのです。前回も書きましたが、自分よりも弱い者を相手に選んで勝ったところで成長は期待できません。こういう人も残念ながらなかなか強くなれないタイプです。一方、Dを選んだ人こそ真の負けず嫌いと言えるでしょう。私がこれまで見てきた中で、強くなる人の多くがこのタイプでした。そして若い頃の私もこのタイプに近かったと思います。今はどちらかと言うとBになっちゃっていますが(^_^;。
 Dのタイプの人は負けから逃げていません。当然何度も何度も負けるでしょうから勝率は低いでしょう。その敗戦の繰り返しの中から「どうにかして勝ちたい」「どうやったら勝てるだろう」という上達を目指す気持ちが出てくるのは自然な流れです。このような上達への探求心は負けから逃げているうちはなかなか生じ得ないものです。そして、こうした探求心が強くなってくると次第に志が高まり、負けを受け入れる心が芽生えてきます。
 実は強くなるために最も望ましいのはEの負け方です。「最大に効果ある上達法は感想戦です。」は将棋倶楽部24の言葉ですが、あれは事実です。感想戦自体に意味があるというよりも敗局を振り返って「同じミスを犯さないようにする」「相手の優れている点を吸収しようとする」、その態度に意味があるのだと思います。そのためには相手の強さを認めて負けを受け入れる必要があります。これは言うは易く行うは難しです。負けて頭に血が上っているのにそれは無理ってものかもしれません。しかしどの世界でも一流の域に達している人にはそれができているのです。逆に、そうでなければ一流にはなれないと言っても過言ではないでしょう。将棋のプロしかり。我々もあそこまで真摯に局後の検討をすればもう少し強くなれそうな気がします。勝負をその場限りの点と捉えず、「上達」という大きな目標に続く線の中の出来事として捉えれば、敗局をすぐ忘れてしまうのは勿体ないという気持ちになれるのではないでしょうか。
 ところでCを選択したのはどういう人なのでしょうか。一見、Eと同じように負けを受け入れているようではあります。別の見方をすれば負けを早く忘れようと逃げているようでもあります。そもそも負けても気にしていないかのように変わらぬ行動をとれるのですから、負けず嫌いとは違うのかもしれません。こういう性格は勝負事の上達という点ではあまり有利とは言えませんが、社会生活の中で様々なストレスと戦っていく上では好ましいと言えるでしょう。世の中には将棋のように自分の力で勝敗が決まる戦いだけでなく、自分ではどうしようもできない戦いも数多くあるからです。

 既にお気づきだと思いますが@〜Eの選択肢は競技の上達という観点で見ると、下に行くほど好ましい順番になっています。アマチュアの場合、将棋などはそもそも自分の楽しみでやっているわけですから、負けから逃げるなとか、受け入れろとか大きなお世話だと思われるかもしれません。けど、どうせやるなら上達できた方がより楽しいじゃないですか。それに勝った時しか脳内快感物質が出ないのは勝負の楽しみのうち1/2しか味わっていないとは思いませんか? 負けこそ成長の肥やしになると思えば負けた時だって快感物質が分泌されるようになるんです(笑)。それこそ痛い目に遭うほど快感が…なんてね(爆)。
2006年10月3日(火)
凱旋門賞
 約10ヶ月ぶりの更新になりました(汗。しかも今回もディープインパクトネタです…(^^;。
皆さんは先日行われた第85回凱旋門賞をご覧になられましたか?日本競馬界のエースであるディープインパクトが出走して大きな話題を呼んだレースです。レースの結果は既報の通り、ディープインパクトは直線前半で先頭に立つも欧州勢2頭に差され3着に終わりました。NHKが地上波で放映したレース中継は、深夜であるにも関わらず驚異的な視聴率を記録したそうです。かく言う私も世紀の一戦を見ようと眠い目をこすりながらTV画面を眺めておりました。当然ディープインパクトに大きな期待を寄せていたのですが、レースが終わった瞬間は興奮するでもなく、落胆するでもなく、不思議と冷めた気持ちでした。(まぁ…そうだよな)それがレースを見終わった直後の率直な感想でした。競馬のレベルを野球に例えて「欧米の競馬はメジャーリーグ、日本の競馬は日本の二軍」と言われていたのはついこの間のことです。最近は海外のGTレースを勝つ馬が出るなど日本競馬のレベルも上がっていますが、やはり欧州の一線級が本気で勝ちに来る凱旋門賞という舞台ではまだ健闘の域を脱することが難しいようです。ディープインパクトがいかに強かろうとそれは日本での話。世界にはまだまだ上がいたということでしょう。今回ディープの敗因としてはぶっつけ本番、3.5kgの斤量差、慣れないスローペースなど巷では色々言われていますが、私は何よりも戦った相手が強かったことが一番の敗因だと思っています。つまり実力通りの結果です。確かに探せば言い訳はいくらでもあります。けど優勝したレイルリンクには何一つ不安材料がなかったのでしょうか。そんなことはありえないでしょう。「負けていれば敗因」なんて掃いて捨てるほどあるはずです。ここはひとつ相手の強さを認めてこの敗戦を受け入れましょう。全てはそこから始まります。

 まだ未確定情報ですが、ディープインパクトが来年も現役続行するかもしれないとか。世界に再挑戦したいというトレーナーの談話が伝わっています。一ファンとしては大いに結構な話で、是非とももう一度夢を見せて欲しいところです。しかしもしも私がオーナーならこの提案にはOKしないでしょう。ディープインパクトの種牡馬としての価値と現役を続行した場合に期待される成果を天秤にかけるとどちらに傾くかは明らかだと思うからです。現役を続行して成功したと言えるパターンは、凱旋門賞に再挑戦して勝つか、キングジョージあたりで勝つくらいしかありません。今のディープインパクトにそれができるでしょうか。もしも今回の敗戦がディープインパクトの実力を反映したものではなく不運が重なった結果だと考えるのであれば、もしももう一度チャンスがあればきっと勝てると考えるのであれば、必ずやより決定的な落胆を味わされることでしょう。ディープが来年の凱旋門賞に再挑戦して勝つために必要なことはただ一つ「今よりも強くなる」、それしかありません。ディープの力は既に欧州の一線級といい勝負ができるところまで来ているのですから、もう少し強くなれば勝てるのではないかと思います。その「もう少し」が難しいのですが…。
 もし来年も現役を続けて世界制覇を目指すのであれば、もう日本のレースに出走する必要はありません。日本のレースは賞金が高いですからお金を稼ぐにはいいのですが、世界制覇のためには何のメリットもないと思います。むしろ志の妨げになるでしょう。これはどの世界でも同じですが、楽に勝てるような弱い相手とばかり戦っていては成長できるものもできません。自分よりも強い相手に敢然と立ち向かい、負かされることで強くなっていくのです。ディープは引退しないのであれば欧州に長期滞在し、欧州のレースにだけ出走すべきでしょう。

 繰り返しになりますが、「相手の強さを認めて負けを受け入れる」、全てはそこから始まります。そうすることでこれからどうすべきかが見えてくるのです。これは何もディープインパクトに限った話ではなく、将棋や人生のあらゆる局面に共通して言えることだと思います。負けた時はピンチでもあり、チャンスでもあります。負けをプラスに転化するためには(私も含めて)正しい負け方を学ぶ必要があります。奇しくも前回の徒然くもで私は「負けた後が大事」と書いています(その回が前回なのは更新が滞ったせいですが^^;)。このテーマについて書き出すとまた長くなりそうですね(笑)。賢明な読者には私が言わんとしていることが既にお分かりだと思いますが、詳細はまた日を改めてということで(^_^;。
2005年12月25日(日)
負けた後が大事

 超久しぶりのHP更新になってしまいましたね…(^_^;。
 さて、皆さんは今日の有馬記念をご覧になったでしょうか?今年はディープインパクト一色で盛り上がりましたね。史上初、無敗の四冠馬誕生なるか。私もその歴史的瞬間をこの目で見ようとTVにかじりついていた一人です。結果は…早めに抜け出したハーツクライを捕らえきれず、ディープはまさかの2着に敗れてしまいました。敗因は私にはよく分かりません。ただ、今日はいつもの桁違いの末脚が影を潜めていたように見えました。想像するに、初めて経験する古馬とのレース、その厳しい流れに力を消耗してしまったのでしょうか、あるいは中山の坂が影響したのでしょうか。いずれにせよ、(ああ、もう届かない!ディープの負けだ…)見ている誰もがそう観念した瞬間、今年の競馬界に大フィーバーを巻き起こしたディープインパクト不敗神話は終わりを告げ、何十年も前から言い尽くされてきた「競馬に絶対はない」という金言がまたもや競馬ファンの脳裏に深く刻み込まれたのでした。

 負けたと言っても勝機のあった2着。改めてディープが強い競走馬であることが示されたわけですが、多くのファンはそれでは満足していないでしょう。彼が菊花賞までに残した実績はこれまで史上最強馬と言われてきたシンボリルドルフに並ぶもの。ルドルフは菊花賞の後、強行日程で望んだJCで(当時JCは三歳馬の出走を想定していなかったので、菊花賞から僅か二週間後に行われていた)一世一代の大逃げを打ったカツラギエースの逃げ切りを許し、初黒星を喫しています。と言うことはディープインパクトが無敗のまま古馬との初対決となる有馬記念を制して四冠馬となれば、ルドルフの実績を超えるということ。つまり、ディープインパクトこそ史上最強馬だと言っても誰も文句をつけられなくなるということです。見たかったです。歴史的快挙を。史上最強馬となったディープインパクトの姿を。それは大多数の競馬ファンの思いでもあったはずです。

 まあでも、終わってしまったことをとやかく言っても仕方ありません。ディープ陣営には今日の負けは負けと割り切って、これからベストを尽くすことに集中してもらいたいものです。「勝負事は負けた後が大事」と言ったのは米長永世棋聖でしたか。シンボリルドルフはこの言葉を体現したサラブレッドでした。ルドルフはレース中に故障発生し引退に追い込まれた米国サンルイレイSを除けば、生涯で2回敗れました(三歳時のJCと、春の天皇賞以来の休み明けで出走した四歳時の秋天)。しかし負けた後のレース(三歳時有馬記念、四歳時JC)でこそ、彼は相手を完膚無きまでに叩き伏せ、恐ろしいほどの強さを見せつけたのです。
 負けることは仕方のないこと。競馬も将棋も人生も、負けた後が大事なのです。ディープインパクトがルドルフを超える最強馬となるか、ナリタブライアンのように竜頭蛇尾に終わってしまうかは全てこの後にかかっているのです。

 ただ、私に一抹の不安を感じさせるのは初黒星を喫した後に、騎乗していたジョッキーが残したコメントの違いです。
 (シンボリルドルフの岡部幸雄騎手)「カツラギエースは坂上でバテると思っていた。自分の騎乗ミスだ。」、
 (ディープインパクトの武豊騎手)「敗因は分からない。競馬の怖さを改めて感じました…」

 ルドルフの岡部騎手は馬の力では負けていないとはっきり言い切っています。この時点で次は必ず勝てると確信していたことでしょう。対する武騎手のコメントは少し心細いような気がします。私の不安が現実のものとならなければ良いのですが…。
 競馬ファンはこれからも強いディープインパクトが見たいと願っています。私も当然、2006年のディープインパクトに注目しています。

2005年9月11日(日)
自由ノート

 私が小学6年生の時のことです。当時私がいた6年1組の児童全員と担任のI先生との間で「自由ノート」の交換が始まりました。「自由ノート」とは、日記でも、絵でも、落書きでも、不満に思っていることや悩んでいることでも、とにかくどんなことを書いても良いノートで、児童はそれを毎日担任に提出します。するとI先生から何か所感なり、アドバイスなりが赤字で書かれて返ってくるというものでした。恐らく日頃教室で見ているだけでは分からない児童一人一人の精神状態を把握し、指導に活用しようという狙いで始まったものだと思います。隣の2組でも同じことをやっていましたから、I先生一人のアイディアではなく、学年全体の指導事項として実施されたのでしょう。
 「自由ノート」にみんなが書いていたのは、短い日記だったり、好きなキャラの絵だったり、それこそ自由な内容でした。中にはそっと悩み事を先生に打ち明けた子もいたかもしれませんが、多くの児童は先生の期待に反して、指導の参考にならないことしか書かないか、あるいは白紙のまま出したり、提出しなかったりといった状況でした。私もその他大勢の児童と同じように、落書きを書いたり、一言日記を書いたり、何日か提出をさぼったりしていたのでした。

 そんなある日のことです。私はいとこのあきちゃんの家に遊びに行きました。あきちゃんは私と同い年の男の子で、その頃は家が近かったのでよく遊びに行っていたのです。あきちゃんは大柄で、どちらかと言うと腕白坊主といった感じの子でしたが、それと同時にどこか育ちの良さと言いますか、品の良さも漂わせている子供でした。これはあきちゃんの両親が大変教育熱心だったことが影響していると思います。あきちゃんの両親は特に情操教育に力を入れていたようで、あきちゃんの家には我が家にはないピアノが置いてありましたし、児童向けの推薦図書(いわゆる読書感想文の課題図書みたいなやつです)が出版されるとすぐに購入して読ませていたようです。ですから、あきちゃんの家の本棚には物語やら童話やら、子供向けの本がどっさり置いてあるのでした。
 その日私はそんな数多くある、あきちゃん家の蔵書の中から一冊の童話集を手に取り、何気なく読んでみました。どうして本など読み始めたのか覚えていないのですが、多分、遊び相手のあきちゃんがママに「宿題しなさい」とか言われてしばらく暇になったのでしょう。その童話集は、日本のいろんな童話作家の作品が集められたもので、一話一話はごく短く小学校低〜中学年向けくらいの内容のものでした。何気なく読んでいた私ですが、その童話集の最後に載っていた作品がとても良い話だったので、すごく感動したのです。

 それは、過疎に悩む山村の小学校を舞台にしたお話でした。先生はたった一人、生徒は数人。先生はかなり年配の男性教諭で、頑固で厳しく、いかにも昔風の教師です。生徒達はそんな先生に勉強や社会常識を厳しく教わりながらも、毎朝歌う校歌の歌詞をもじって先生の禿頭を揶揄する替え歌を作るなど、こっそり反発もしていました。ところが迫り来る過疎化の波には逆らえず、とうとうその小学校は閉校することになったのです。私が感動したのは、いよいよ今日が最後の授業という、別れの日の先生の行動です。禿頭先生は、今まで厳しい指導もしてきたがそれは君達を思ってのことである、だから許して欲しいと、初めて生徒達に深々と頭を下げました。そして、君達は私の誇りであり、生き甲斐である、どうか新しい学校に行っても精進して立派な大人になって欲しいと激励し、教え子一人一人に先生の溢れる思い、愛情を語ります。最後に全員で校歌を歌うのですが、禿頭先生は学校名の後に「は〜げあーたま♪」と生徒がこっそり付け加えていた替え歌の歌詞を自ら歌い、にっこりと笑ったのでした。

 あきちゃんの家から帰った後も、この童話を読んだ時の感動がおさまらなかった私はどうしてもそれを誰かに伝えたくなりました。その私の目にとまったのが例の「自由ノート」だったのです。その時の私は、その童話をそのまま自由ノートに書いて出せば、少なくともI先生は読んでくれる、そうすればI先生は自分と同じように感動してくれるに違いないと考えました。そして私は自由ノートに、さきほど読んだ童話を思い出しながらそのまま書き写し、翌日I先生に提出したのです。まるでそれが自分の作品であるかのような顔をして。

 その翌朝、I先生から返却された私の自由ノートには、赤く、興奮した感じの筆跡で、「私の作品」を絶賛するI先生のコメントがびっしり書き記されていました。そして、「君には才能があります。先生は君が書く物語のファンになりました。ぜひ次の作品も読みたいです」と書かれていました。
 私は、先生が期待通りあの童話の内容に感動してくれたことを大変嬉しく思いました。しかしそれと同時に、これは大変なことをしてしまったのではないかと気づきました。
 (どうしよう、先生はあれが僕の作品だと完全に信じきっている。今さら本に書いてあった話を書き写したものです、だなんて言えないよ…。)
 さらに悪いことに、I先生が感激のあまり他の先生にも読ませてしまったのでしょう、隣の2組の担任の先生までが私とところにやって来て、「くも、先生も読ませてもらったぞ。おまえは天才かもしれん。もっと色々な物語を書いてみろ」と言うのです(^^;。
 「才能がある」とか「君のファン」だとか、はたまた「天才」だなどと、そこまで先生に褒められたことは私の人生史上初めての経験でした。と言いますか、ここまで人に期待されたこと自体が初めてだったのです。これは大変だと思う反面、賞賛される快感、期待される嬉しさを知った私が出した結論は、「もう本当のことは言えない。とにかく書くしかない」というものでした。

 およそ自分に文才などないと把握している現在の私であれば、何かネタ本を見つけて「次の作品」も「盗作」で仕上げ、再度先生を感激させることができたでしょう。いつか真実が露見する日が怖いですが…。しかし先生にこれでもかと褒めちぎらていた私は、不思議なことに自分には本当に才能があるのではないかと錯覚していたのです。その夜私は書きました。本当の私の処女作を。残念ながらその作品がどんな内容だったのかは殆ど忘れてしまいました。うっすらと、ウサギかネズミが出てくる動物ものだったことを覚えています。書き終わって、読み返した私は暗然とした気持ちになりました。なんと稚拙でつまらない文章なのだろう。こないだ先生に読ませた「童話の盗作」との差は、誰が読んでも歴然としているように思われました。これを読んだら、先生もおかしいと気づくだろう。一体どうしたのかと問い詰められるかもしれない。それ以上に、自分に期待してくれた先生の気持ちに応えられないことが悲しくてたまりませんでした。

 散々迷った私でしたが、意を決して「私の本当の作品」を記した自由ノートをI先生に渡したのでした。失望する先生の顔が脳裏に浮かびました。その夜は、今頃先生はあれを読んでいるのではないだろうか、そしてこれはどうしたことかと訝っているのではないかと、不安でたまりませんでした。翌朝、重い足どりで登校した私に、先生はいつもと同じようにノートを返してくれました。
 正直、中を見るのが怖かったです。ところが、しばし躊躇した後、勇気を奮って昨日のページを開けた私の目には、最初の時と同じようにびっしりと赤ペンで書き記された先生の感想が飛び込んで来たのです。そこには「盗作」の時と変わらない、先生からの賞賛と激励の言葉が書き込まれていました。私は驚きました。そして、これはもしかすると先生が言うように、自分は本当に天才なのかもしれないと思ったのです(^^;。

 それから三学期になる頃まで、私の執筆活動は続きました。先生に褒められるのが嬉しくて。先生の期待に応えたくて。もし私に本当に文才があったとしたら、これを契機に才能が開花し、今頃は流行作家にでもなっていたかもしれません(笑)。しかし残念ながら、そうはなりませんでした。物語を書けば書くほど、私の文章は上達するどころか、どんどんつまらないものになっていきました。アイディアはすぐに枯れ果て、気の利いたフレーズも出てこなくなりました。こうありたいと思う理想と現実とのギャップに苦しめられました。あの童話集の最後に載っていた物語のように、人を感動させられる話を書くことは自分には到底無理だと思いました。いわゆる「創作の苦しみ」を、私は小6にして味わっていたのです(苦笑)。
 そんなふうに苦しみながらではありますが、それでも私は書き続けました。全部で何話書いたことでしょうか。よく思い出せないのですが、「自由ノート」を一冊まるまる使い切るくらいまでは書いたと思います。そこまで続いた理由はただ一つ、I先生が楽しみにしていてくれるからでした。先生は相変わらず赤ペンで賞賛の言葉を書いてくれましたし、他の先生に「くも君はすごい」と吹聴しているようでした。こんな状況では止められません(^^;。

 ですが無理はいつまでも続きません。結局最後は、「先生ごめんなさい。物語を書くのは少しお休みさせて下さい。しばらくしたらまた書きますから。」とお願いし、休筆させてもらいました。先生は大変残念そうでしたが、私の「また書く」という言葉を聞いて納得されたようでした。ところが私はその後いつまで経っても執筆を再開しませんでした。I先生から何回か「くも君、次の物語だけど、まだ書いてくれないの?」と催促されましたが、結局私がもう一度筆を執る日は来ませんでした。肩の荷が下りて、せいせいしていました。自由ノートもあまり出さなくなり、出したとしても以前のように一言日記や落書きを書いて出すだけになりました。その状態が三学期の終わりまで続き、そのまま卒業式を迎えました。

 私が毎週楽しみにしているドラマ、「女王の教室」が来週最終回を迎えるようです。今まで教え子をいじめにいじめてきた阿久津真矢先生ですが、昨夜放映された内容や、次回の予告映像を見る限りでは、どうやら私が思っていた通り、全て教え子達を思っての行動だったと見ました(笑)。
 阿久津先生は6年生の担任ですから、教え子達はやがて卒業し、中学に進みます。最終回はおそらく感動の卒業式(?)で締めくくられることでしょう。そんなことを考えていたら、ふと自分が6年生だった時の担任であるI先生のことが浮かんできたのです。
 実は今まで全然気にしていなかったのですが、私が最初に自由ノートでパクった童話、あの話が載っていた童話集ってよく考えたら当時の小学生向けの課題図書だったんですよね。小学校の教師が知らないはずはありません。勿論I先生もご存知だったはずです。今にして思うと、I先生はあれが盗作であることなど百も承知だったのではないか…いや間違いなく気づいていたはずだ。。。
 そうだとすると、どうして先生は私のついた嘘を咎めず、逆にあんなにも褒めてくれたのでしょうか。そう考えていたら、I先生が私の物語の後ろに赤ペンで書いてくれたことを思い出しました。「自分が素晴らしいと思う人や尊敬する人の真似をするのはとても良いことです。自分がもっと素晴らしい人になるために必要なことなのです。」細部は違っているかもしれませんが、こんな感じの内容でした。当時、この一文を読んで(パクリがばれたのか!?)と激しくビビったのでよく覚えています(爆)。
 要約すると「独創は模倣から始まる」といったところでしょうか。そして今にして、私の中で全てがつながった気がするのです。ようやくI先生の真意が分かった気がするのです。

 I先生と、阿久津先生、そして童話の中の禿頭先生。それぞれ表現方法は異なりますが、教え子に対する思いは同じだと思うのです。仰げば尊し我が師の恩、なのであります。なのに、その恩に報いることのできなかったことを恥ずかしくも残念に思う不出来な教え子がここにいるのであります(>_<)。

2005年9月4日(日)
降級濃厚

 職団戦は散々な結果に終わりました。我がチームは一回戦2−3で破れ、続いて行われた敗者復活戦(慰安戦)はなんと0−5で負けてしまいました(T_T)。文句なしの惨敗です。こりゃ〜降級は避けられないでしょう。
 チームの大将として出場した私の成績は0−2。職団戦には過去20回以上出場していますが、1勝もできなかったことは初めてです。今まで負け越したこともなかったのですから、正直がっくりきました。エースがこのていたらくですから、チームが負けるのも無理ないですね(>_<)。

 2連敗の内容ですが、これがまたひどい。1局目は相手の雁木に対して不慣れな矢倉に囲い、気づいたら作戦負けに。動くに動けず困っているうちにどんどん持ち時間がなくなっていき、仕方なく無理な指し方をした途端、一気に攻め潰されてしまいました。感想戦ではこの戦型に対する相手の知識と経験の豊富さに舌を巻きました。それに比べますと、こちらは何も知らずに指しているに等しいわけですからその差は歴然です。
 2局目は相手の升田式石田流に自陣角を打って対抗する形になりました。中盤の中ほどまでは難しい形勢だったのですがそこまでに至るプロセスが良くない。相手はまだ5分ほどしか消費していないのに、私の方は20分以上も使い、残り10分を切っていました。しかも私の玉は薄く、実戦的には勝ちにくい形。これは典型的な負けパターンだと思いました。案の定最後は局面苦しく、時間もなくなり、矢尽き刀折れての敗戦となりました。昨日、短い時間で決断して指すことも強さの一つだと書いたばかりなのになぁ…(^_^;。

 相手は二人とも四段くらいだったと思うのですが、さすがに相手の得意形になると限られた時間で正しい応接を続けるのは困難ですね。いずれも駒組みから小競り合いが始まった時点で既に悪くなっていたり、時間がなくなっていたりと、序盤に課題を残した2局だったと思います。思えば序盤や定跡の勉強なんて、もう長らくしていませんからなぁ。それに比べて対局したお二人ともよく勉強されているなと感じました。やはり強い人、勝つ人というのは日々の鍛錬を怠っていないんですね。反省…。

 帰り道途中下車して、家で待つ家内のためにケーキを買いました。会社の同僚に教えてもらった洋菓子屋さんで、かなりの有名店です。場所も詳しく聞いていたのですが、生来の方向音痴である私は迷いに迷った末にようやく見つけることができました(^^;。暑い中をだいぶ歩いたのでヘトヘトになりました。
 昼間は電車の接続が悪く(早く負けたので帰宅が昼間です^^;)、駅でだいぶ待たされてやっとのことで帰宅。ところが家内はケーキを見ると、このお店のケーキが食べたかったと言ってくれました。散々な1日でしたが、家内の機嫌が良かったことだけが救いでした。そのお店を教えてくれた同僚に感謝。これで次回の職団戦にも出場できそうです。(家内が許してくれないと出場が危ういのです^_^;)。

2005年9月3日(土)
切れ負け

 明日9月4日には職域団体対抗戦、通称「職団戦」が行われます。これは将棋の会社対抗団体戦で、各チームを代表する5人の選手が一斉に対局し、3勝以上を挙げた側が勝利するという形式がとられています。参加企業が多いので、S級、A級、B級、C級、D級、E級、F級の八つにクラス分けされており、私が勤務する事業所はB級に出場します。初戦負けしても敗者復活戦があるので最低でも2局指すことになります。2連敗しますとB級からC級に降級する可能性が高くなります。当然全部勝ってB級優勝(この場合は文句なくA級に昇格します)を果たす可能性もあるわけですが、毎度降級の心配をしながらの戦いになるケースが殆どです。いつもの昼休み将棋のメンバーが中心ですが果たしてどうなることでしょうか。

 対局時計の数に限りがありますので上の方のクラスだけですが、職団戦は「30分切れ負け」の条件で行われます。これは30分の持ち時間を使い切ったら、例え局面がどんな必勝形になっていても負けになるというものです。アマチュアの将棋大会など、どうしても時間内に全対局を終了させなければならない時などによく使用される条件です。30分切れ負けですと双方がいくら長考しても、対局時間が1時間を超えることがありません。主催者にとっては試合の進行をきっちりと管理することができるため大変好都合なやり方と言えるでしょう。
 大会の時だけでなく、将棋道場などでも「切れ負け」はよく使われます。相手の長考にイライラすることなく、時間を公平に使うことができるという観点から、対局時計を用いた切れ負け戦を基本としいている将棋道場は数多くあります。

 若い頃の私は「切れ負け」が嫌いでした。大学では15分切れ負け、社会人になった当初よく通っていた道場では25分切れ負けが対局の主流ルールになっていました。元来、早見え早指しでなかった私はよく時間切れで負けました。昔なら加藤一二三(今なら誰なのかは分かりませんが…)ばりに序盤から大長考することが多かった私は、終盤に入る頃には残り5分、最後は相手が指すと反射的に着手して対局時計を叩かなければならず、やっていることが将棋なのか何なのか分からないような状態になり、結局必勝の局面を作りながら無念の時間切れ負けになるのが常でした。切れ負けで負ける時って、局面の形勢とは関係なしに突然終わってしまいますし、相手も心得たもので、こちらの時間が残り少ないと見るや連続王手してきたり、ただ粘っているだけの「時間責め」を使ってきます。私はこうして、切れ負けではなく、せめて秒読みがついていれば負けるはずのない相手に負けてしまうことに憤りを感じていたものです(笑)。
 また、当時の私には「将棋は考えなあかん」という持論がありました。よーく考えて、自分として納得のいく手を指す。その繰り返しが鍛錬になるのであって、切れ負けみたいなもんやっとっても手が荒れるだけで強くならん、と考えていました。まだ若く、もっと上達したいという気持ちが強かったのだと思います。
 さらに、切れ負け戦の棋譜って後から並べると鑑賞に耐えないことが多いんですよね。時間がなくなってくるととりあえず指すしかなく、全く読みを入れない手ばかりになりますから当然です。特に終盤はひどい状況になります。当時、対局した将棋の棋譜を記録していた(全部ではありませんが、よく指せた将棋は棋譜を残していました)私にとって、これは大変残念なことであって、切れ負けルールは憎むべき悪法であったわけです。

 ところが、年をとってきますとその考えも少しずつ変わってきました。我々はプロではないのだから美しい棋譜を残す必要はありませんし、いくら脳に汗をかいて長考したところでもう強くなれる年齢でもありません。それに考えに考え抜いた末に最善手を指すことだけが将棋の強さではないと気づいたのです。コンピューターソフトと対局すると、ユーザーの好みによって「早指しだけど棋力は低い」とか「棋力は高いけど長考する」といったモードを選択することができます。これは同じソフトの一手当たりの思考時間を調整しているだけですから根本的にはどちらも「同じソフト=同じ強さ」なわけです。つまり、次善手やそれ以下の手であっても、短い時間で決断して指せるということは一つの「強さ」なのです。これは人間についても言えることだと思います。
 私は新製品開発の仕事をしていますが、新しい製品を開発する際に大切なことがいくつかあります。第一は勿論製品の品質、機能です。そしてこれに並んで大切なことが「スピード」なのです。いくら素晴らしい製品であっても開発に時間がかかりすぎ、世に出すタイミングを逸すればライバルに負けてしまいます。スピードをつけるためには、100%の情報が得られるのを待ってアクションを起こしていてはダメで、60%、70%の情報が得られた段階で次に進んでいかなければなりません。
 将棋の場合もこれと全く同じなんですよね。持ち時間は最初から決まっているのです。素晴らしい手を指せたとしても、それに費やした時間が長すぎてはダメなのです。60%、70%の手であっても短い時間で決断していく、その「納得と見切り」の兼ね合いが勝負なのだと思います。

 さて、明日はどんな将棋が指せるでしょうか。今から楽しみです。

2005年8月21日(日)
ダービースタリオン

 私がかつてはまった競馬ゲームです。競馬ゲームにも色々ありますが、最もメジャーなタイトルですのでご存知の方も多いのではないかと思います。ダービースタリオン(通称ダビスタ)の歴史は古く、第一作の発売は1991年、ファミコン版でした。そして今のところ最新作はPS2版の「ダービースタリオン04」となっています。このうち私がプレイしたことがあるのは1996年に発売された「ダービースタリオン96」から1999年発売の「ダービースタリオン99」までです。その中でも特にはまっていたのが売り上げ200万本を記録し、シリーズ最高のヒット作となった「ダービースタリオンPS版」(1997年発売)と、「ダービースタリオン99」の2本です。
 ダビスタの魅力は、やはりなんと言っても「ブリーダーズカップ」(通称BC)に尽きるのではないでしょうか。これはゲーム中で育てた愛馬を、他のプレイヤーの馬たちと戦わせることができるという“対戦機能”のことです。これは今でもポケモンやムシキングなどヒット作の人気を支える重要な機能となっていますが、ダビスタに初めてBCが搭載された当時はまさに画期的な新機能であり、多くのプレイヤーのハートを熱くさせたものです。
 私も当時BCに燃えました。生来の負けず嫌い+はまったらどこまでもトコトン行ってしまう性格に火がつき、日夜強い馬を作る研究に没頭しました(昼間は仕事をしているので日夜ってのは言い過ぎかもしれませんが^^;)。それこそ日高辺りのサラブレッド生産者の方々と同じように、頭の中は最強馬を生み出す配合理論のことでいっぱいでした(笑)。その甲斐あって「ダビスタPS版」では雑誌やネット上のBCで何度も優勝することができましたし、「ダビスタ99」ではアスキー主催の公式BC大会で全国決勝まで勝ち上がり、決勝戦会場の新宿パークハイアットホテルでゲストの優香さんに会うことができました(笑)。

 そんな私ですが、「ダビスタ99」以来ぱったりとダビスタをすることがなくなりました。別に競馬や馬ゲーに飽きたとか嫌いになったわけではありません。馬券は買っていませんが相変わらず競馬に興味は持っていましたし、友達に勧められてバンダイの「ドリームクラシック2002」など他の馬ゲーを買ったりもしました。ただ、TVゲームってそれをいくら極めても、次のシリーズが出たらまた一からのスタートになってしまうところが虚しいなぁと思ったことも事実です。それまでの努力や情熱が生きないというか、一生懸命作った作品(愛馬)があっという間に過去のものになってしまうというか。3年ほど何も考えずダビスタに熱中していましたが、そこでハタと気づいたわけです。また、後でも述べますが私にとって「ダビスタ99」の続編である「ダビスタ64」はちょっと手を出しづらい作品でした。そんな要因が重なり、気づけばもう5年以上ダビスタをプレイしていないという状況です。
 勿論ダビスタの楽しみ方はBCだけではありません。“対戦”を意識せず、普通にゲーム本来の遊び方をしていれば、そこはあくまで自己満足の世界ですから次回作が出ようが出まいが何ら関係なく楽しむことができるわけです。(これを「ほのぼのプレイ」とか「箱庭プレイ」と言います。)思えば私はこうしたゲーム本来の楽しみ方を全然していなかったなぁ…(^^;。

 かくして長いことダビスタから離れていた私ですが、先日突然思い立って昔プレイした「ダビスタPS版」をやってみました。実は去年の引っ越しの際、プレステもダビスタも家内の手によって売り払われてしまったと思っていたのですが、よくよく押入を探してみるとまだ一機づつ残っていたのです。この「一機づつ」という言葉、奇異に感じられるかもしれませんね。普通プレステもそのソフトであるダビスタも一家に一つづつじゃないの?って。仰るとおりです。「普通」でしたらね(笑)。私は普通じゃなかったってことです。より効率的に競走馬を生産、育成するためには、ハード1台+ソフト1本より、ハード2台+ソフト2本を同時進行させた方が2倍のスピードでプレイできるわけですから有利ですよね。勿論TVも2台必要です。プレイヤーは私1人しかいませんから片手コントローラーを用意して、両手で同時に2台のプレステを操るわけです。何やってるんだと思われることでしょうが、これだけで驚いてはいけません。私は最終的に3台同時プレイによる3倍速生産を達成しております(爆)。当時私は既に社会人でしたから学生さんと比べますと時間がありません。全国規模のBCで彼らに勝つために時間がない分をお金でカバーしていたのです(^^;。まぁ、プレステ3台と言っても中古品でしたし、TVももらい物でしたので実質的にはそれほどの出費ではありませんが、今考えると大変なバカですね(^^;。バカもここまでくると大したもんだという気もしますが(笑)。
 で、超久しぶりに(7年ぶりです)「ダビスタPS版」をプレイしてみた感想…正直全然面白くない(^^;。やはり私はダビスタというゲーム自体が好きだったわけではないんですね。ダビスタというゲームのBCという機能を通して、私と同じ思いを持った全国のダビスタバカどもと戦い、交流することが好きだったんだと思いました。雑誌やネットのダビスタサイトに「さんざん苦労しましたが、遂に自信作ができました」というコメントと共に誇らしげに書き込まれた競走馬のパスワード。それを入力して自分の愛馬と走らせてみる。う〜む、これは強い。しかしこれほどの馬を作るのにこいつは一体どれだけの時間を浪費したのだろうか。バカだな、こいつも…と思いながらもなんだかニヤリとしてしまう。そして自分も負けてはいられないとプレステの電源を入れる…。既に常識的な価値観では推し量れないものがあります(笑)。当時を振り返ると、何に熱中するかという問題はありますが、何事にせよ一緒にバカやれる仲間がいるってのは幸せなことだったなと思います。

 ただ、ダビスタなどTVゲームの世界ではその幸せはなかなか長続きしません。そのゲームが廃れてしまえば、それをするプレイヤーもいなくなってしまうからです。ダビスタの場合、PS版の「ダビスタ99」の次にはNINTENDO64版が出ました。こうなるとプレイヤーの層は一新されてしまいます。私自身64は持っていませんでしたし、さすがにそれだけのために買う気にはなれませんでした。こうして私のダビスタ熱中時代は終わったのです(終わって良かったという意見が大勢を占めています^^;)。
 もしダビスタが世代を超え、時代を超え、何十年とプレイされるTVゲームであったなら私の熱中時代は終わっていなかったことでしょう。当時のダビスタ猿仲間達と真の最強馬生産を夢見て日夜競い合っていたことでしょう。しかし残念なことに、ダビスタだけでなく全てのTVゲームにこれはあり得ないことです。これはハードもソフトもまだまだ進化の過程にあり、1年2年と経てばあっという間に陳腐化してしまうためです。つまり、全てのTVゲームはまだ未完成なのです。そして「これでもう完成」とか「これで最終形だからこれより先は考えられない」なんて状態になることもないでしょう。そんなことになったらゲーム業界も終わってしまいますから当然です。

 逆に言えば何年、何十年と経っても陳腐化することなく、ずっとプレイできるゲームであればずっといつまでも、それこそ一生熱中することができますし、そのゲームを通じて得られた友達も一生ものです。そういうゲームに必要なもの、それは美しくリアルな映像でもなければ、複雑で巧妙な仕掛けでもありません。人と人が全身全霊を込めて戦うに値する程度の奥の深さがあればそれで充分です。やはり人が一番燃えるのは人と戦う時なんです。ゲームはあくまでその場を提供するだけで良いのだと思います。こうしてみると将棋をやってて良かったなぁと思うのです。(将棋以外にも囲碁やチェス、麻雀など奥深いゲームはたくさんあります。)
 TVゲームはユーザーには中身が見えませんから最初のうちは面白いのですが、長いことプレイしていればそのうち飽きてしまいます。それはゲームに込められた色々な仕掛けなどが分かってしまうからです。いわゆる「攻略」できてしまったという状態です。どうしてこうなるかと言うと、人の能力でその全容が理解できてしまうからです。つまり奥が深くないということです。人がそのゲームの全てを作ってしまったことが原因です。もしゲームの中身を全部知り尽くしている制作者が自分の作ったゲームをプレイしたら面白いと思うでしょうか。何年、何十年と楽しめるでしょうか。そんなことはないと思います。作った本人が楽しく遊べないものを他の人間が延々楽しめるはずがありません。一方、現代将棋の起源は室町時代であると言われていますが、将棋というゲームを作り出した人は、自分の作ったゲームで一生遊べたことでしょう。これは、将棋を作った人はそのルールを考案したのみであり、将棋というゲームの全容を理解しているわけでは決してないからです。室町時代から現代に至るまで、将棋というゲームの全てを理解しているのは神のみなのです。

 久しぶりにプレイした「ダビスタPS版」ですが、結局30分ほど遊んで力尽き、プレステも元あった押入にしまっちゃいました(^^;。ですがせっかくなので、熱中していた当時に作った私の愛馬のBCパスワードを紹介しておきます。もし今もダビスタPS版か、ダビスタ99を持っているという奇特な方がいらっしゃいましたら、ぜひパスワードを入力してあなたの愛馬と一緒に私の馬を走らせてやってくださいなm(_ _)m。

<ダービースタリオンPS版>
馬名:シンダテッポウウオ 
パスワード:るおるこく そめつはく えどこへひ にぼらでご えばざだに ぶれゆめこ うのびぎれ
馬の説明:ダビスタPS版における私の代表作です。配合はカーリアン×バンブーアトラス。スピード能力はこの配合における理論的上限値に到達しています。ネット上で“超スピード馬”とほめられ、嬉しかった覚えがあります(笑)。この馬には雑誌BCやネット上のBCで何度も優勝してもらい大変お世話になりました。なのに、生まれた時はそんなに強いと思わなかったのでテキトーな名前(TVを見ていたら死んでいる鉄砲魚が映っていたので、それをそのまま命名^^;)をつけてしまい悪いことをしたなと思っています。

<ダービースタリオン99>
馬名:レイトテン
パスワード:しきぶいが くわぱばわ わまんひべ ぶだぞどぜ にそえぎべ いわあみと くたうぱそ よ
生産者コード:さよぎとつ へこれぽと どえ
馬の説明:ダビスタ99における代表作です。レインボウクエスト×タマモクロス配合。理論上の能力限界値は99で最も高い配合ですが、全然良い馬が引けずに大変苦労した思い出があります(^^;。結局スピードもスタミナも理論限界には達していませんが両方とも程良く揃っており、作った当時はこれで何とか全国レベルの馬ができたかなぁって思っていました。ダビスタ99における必勝戦法と言われた「大逃げ」にするためわざと根性を削っています。馬名の由来はボウリング用語で「ピンが9本しか倒れず1本残しかと思いきや、10本目が遅れて倒れてストライクになること」という意味です。この馬を引くのに散々苦労し、もうダメかと思った時にようやく生まれたので、「遅れてやってきた幸運」という意味をこめてこう名付けました。

2005年8月14日(日)
昼休み将棋

 最近、将棋を指す機会がどんどん減っており、今では会社の昼休みに将棋好きの同僚と指すくらいです。この「昼休み将棋」は昼食後から午後の仕事が始まるまでの空き時間に指すわけですから、だいたい一局30分以内の早指しです。時には一局10分くらいで済ませて1日に2局指すこともあります(逆に対局が長引いてお昼休みの間に決着がつかないこともありますが)。
 その昼休み将棋を指す仲間は私の他、主に3人います。居飛車党で気合いの良い攻め将棋のEさん、いろんな戦法を指しこなし攻守のバランスがとれたSさん、中飛車や右玉が得意でここ最近ぐんぐん力をつけてきたOさん。棋力は私を三段とすると、EさんとSさんが初段くらい、Oさんが2級くらいでしょうか。もっともそれは私を三段と置いた場合の話で、町道場に行けばEさんとSさんは三段くらい、Oさんは初段くらいで通用すると思います。実際、Eさんは道場に通っていた経験があり、その頃は三〜四段で指していたそうです。ですから職場の昼休み将棋にしてはけっこうレベルが高いのではないかと思っています。事実、私も含めたこの四人は春秋に行われる職団戦に我が社の主力メンバーとして出場しています。うちの会社は現在B級にいますから、全国の将棋好きな会社員の中で、平均よりは上の方になるんじゃないかと思います。

 昼休み将棋のメインは勿論対局ですが、メンバーの棋力に割と差があるため指導をすることもあります。一番よくあるのは感想戦の際に「どう指せば良かったか?」と質問されることですが、形勢判断や着眼点、さらには勉強法について聞かれることもあります。仲間が上達することは私にとっても大変嬉しいことですので、なるべく理解してもらえるよう分かりやすい説明を心掛けていますが、何度説明してもうまく伝わらずもどかしい思いをしていることが二つあります。それが「厚み」と「手渡し」です。

 「厚み」と「手渡し」、いずれも有段者であればその重要性を認識しており、意識せずとも実戦で活用している概念だと思います。しかし初段以下(私を三段とした場合の基準で)の人には、この概念を理解するのが難しいようです。
 初段以下の人の場合でも、綺麗に技が決まる“次の一手”や“詰め将棋”であれば、例えそれが相当難しい問題であっても答えを見れば理解できるものです。そもそも答えを見ても何が何だか分からないようでは、一般的に良問とされません。しかし将棋の実戦というのは、一手正解手を指したらハッキリ良くなるなんて場面はそうそうあるものではなく、まるで暗闇の中を懐中電灯の弱々しい光を頼りに進まなければいけないような状況であることが殆どなのです。そういうはっきり手が見えない状況では、次の一手的な手筋に代表される戦術面の知識もさることながら、どういう方針で行けば良いかという戦略的な判断力が重要になります。これはざっくり言うと「大局観」という言葉でまとめることができると思います。「厚み」や「手渡し」といった概念も「大局観」を構成する要素の一つと言えるでしょう。そしてこれは、初段以下の人々の多くが苦手とする部分のようです。(勿論私とて、強い人から見たらまだまだ理解が足りないはずです。)

 この大局観について解説した良本が羽生四冠著の「上達するヒント」です。かなり評判の高い本なのでご存知の方も多いのではないかと思います。昼休み将棋仲間のSさんがこの本を購入されたので、私も一度借りて読んでみました。目から鱗の部分が結構あり、なかなか参考になりました。しかし当のSさんは簡単すぎてあまり参考にならなかったと言っていました。この本では考え方の解説に主眼が置かれているため、次の一手としては簡単な局面が題材になっているケースが多いためであろうと推察されます。同じ昼休み将棋仲間のOさんも借りて読んだようですが、そんなに参考になったという感想は聞いていません。この本は初段以下の読者向けに書かれたものですが、実際はそこまで易しくないようです。いくら題材に簡単な局面を選んでも、やはり説明しようとしている内容が抽象的で理解しづらいからなのでしょう。

 好著と言われる羽生四冠の書でさえそうなのですから、私などが「厚み」や「手渡し」についてうまく説明できるわけがありません。と言いますか、私自身の理解がまだまだ不足しているのに、人に分からせようとするのがどだい無理なのかもしれません。しかし昼休み将棋の対局中や感想戦で、(ここで「厚み」を築けば断然優勢になれるのに)とか、(一回「手渡し」することを覚えればもっと勝率が上がるのに)と思う場面が大変多いことも事実です。結局は経験を積み重ねて体で覚えるしかないんですかねぇ…。

 「厚み」も「手渡し」も、そういった考え方が有効であると理解して、実戦で積極的に狙っていく気持ちがなければ活用できません。そもそも有効であることが理解できれば誰でも活用するはずなので、要は“その価値が分かる”ことが大事だと思います。

 まず「厚み」の方ですが、現代将棋ではかなり重視されて一つのキーワードになっているので、初段以下の人でもその重要性は認識していると思います。厚ければどういう御利益があるのかと言いますと、簡単に言えば「負けづらい」ということです。「厚い」とは敵に攻められづらい状態です。場合によっては相手の攻めに乗じ、入玉を狙うことができるのも厚い陣形の特徴です。自玉と敵玉の距離が近い場合は厚みが絶対的な価値を持ち、そのまま勝敗に直結します。多少の駒損をしても厚みを築けば勝てるというケースは非常に多いですし、厳密には互角か薄い側が有利であったとしても実戦的には厚い側の勝率が高いものです。
 「厚み」の有効性は分かった。けどどういう状態が厚いのか、どうすれば厚くなるのかがよく分からない…。そう思われる方も多いのではないでしょうか。至極もっともな話です。「厚み」はこれという定義がない、かなり抽象的な概念だからです。私自身も充分には理解できていません。こればっかりは強い人の将棋を観たり、強い人の考え方を聞いたりして少しずつ身につけていくしかないでしょう。
 初段以下の方は今よりも厚みを重視し、意識して厚みを築く指し方をしてみてはどうでしょうか。私もそうでしたが、それくらいの頃ってほぼ間違いなく厚みの価値を過小評価していると思うからです。

 次に「手渡し」について。こちらは「厚み」と違って、それがどういうものであるかという定義は誰でも理解できると思います。読んで字の如く、相手に手番を渡すことです。しかしその有効性については「厚み」以上に理解するのが難しいかもしれません。私は昼休み将棋の際にもよく「手渡し」を使っています。具体的には、互いに攻撃準備が整いつつあり先攻しようと思えばできる場面で敢えて端歩を突いて攻めさせてみるとか、相手の飛車利きを止める際に歩の連打で先手が取れるところ、敢えて控えて歩を受け後手を引いてみるとか。勿論何の展望もなく手損しているわけではなく、それなりの考えがあって手を渡しているのですが、昼休み将棋のメンバーには私の手渡しはどう見ても緩手に見えるらしく、「これはチャンスだぞ。緩い手をやってきた」などと言いながらここぞとばかりに攻めてきます。(おしゃべりが多いのも昼休み将棋の楽しさです。)そのまま攻め潰されてしまっては本当の緩手になってしまいますが、そうはならないケースの方がはるかに多いですねぇ(^^;。
 「手渡し」とは、本当は緩手かもしれませんが、一手緩めることによって逆に勝てる確率がアップするという戦略的な判断に基づいた実戦的な手段なのです。将棋というゲームの目的が、一手の無駄もなく最短手順で相手玉を詰めることであるならば「手渡し」はあり得ません。もし「最短手順の美しさ」みたいな芸術点を競うとしたら「手渡し」は減点要素になってしまうでしょう。しかし将棋はあくまで相手玉を詰めれば勝ち、自玉を詰められれば負けるゲーム。何手かかろうが、いくら道草を食おうが勝てば良いわけです。そしてその“勝つ確率”をできるだけ高める工夫の一つが「手渡し」であるわけです。これを理解するには将棋の勝敗はミスによって決まるものであり、相手がミスをする確率を最大化して、自分がミスを冒す確率を最小化することが勝負の理であるとする勝負観を体得する必要があります。何を言っているのか分からないかもしれませんね。最も典型的な具体例として「長い詰みより短い必至」という格言がありますので、これを用いて説明してみましょう。
 この格言は「長手数の詰みを読むよりも、簡単に必至をかけて勝てるのであればそっちの方が良いですよ」ということを教えています。これには異論のある方も多いでしょう。例え長手数でも詰みがあるのならば詰ますべきではないか、と。実はかつての私もそうでした。“光速の寄せ”谷川九段のファンだった影響が大きいと思います。最短の勝ちを追及し、余計な贅肉をそぎ落とした谷川九段の将棋に憧れていました。しかし、今になって私にはこの格言の意味するところが少しは分かってきました。年齢を重ねて脳力が衰え、うっかりミスが増えたせいだと思います(笑)。そうなんです。人間ってのはミスするもんなんです。長手数の詰みということは、それだけ一手一手の比重が重い手順が長手数にわたって続くということ。何かの間違いが生じやすいですし、少しでも見落としがあれば即アウトです。一方、短い必至であれば間違える確率は低いわけですし、仮に何か見落としていたとしても詰ます時のように駒を捨てまくっていませんから、まだ何とかなる可能性があります。つまり、よりリスクが少ないのです。将棋の勝敗はミスによって決まるという考えで判断すると、長い詰みよりも短い必至の方が優れた勝ち方なのです。
 それとこの格言にはもう一つ意味があります。長手数の詰みを考えるということはそれだけ時間を使うということ。対局時間無制限の時代ならばいざ知らず、現代将棋はいかに短い時間で勝ちにつながる手を指せるかがポイントです。持ち時間を使い果たして詰みを読んだが、結局詰みを発見できなかったとなればそれこそ悲劇です。それよりも時間を使わず簡単な必至をかけて勝てるなら、そちらを選ぶのが勝負というものでしょう。これはアマチュアの対局であればなおさらです。
 皆さんすでにお気づきだと思いますが、この格言を実行するためには、ある条件が満たされてることが必要です。それは言うまでもなく、必至をかけた時に自玉が詰まされないことです。そしてこれは全ての「手渡し」について当てはまる重要なポイントをも示唆しています。“即詰みがあるのに敢えて必至をかける”ということは、相手に何もさせず土俵の外に押し出すのではなく一手緩めて手段を与えているということ、つまり「手渡し」をしているということなのです。そうしても相手からは自玉を詰ます手段がないことを見切っておく必要があります。これはその他の場面での「手渡し」についても言えることで、相手に手番を渡した結果、そのまま攻め倒されてしまったのでは何をしているのか分かりません。少なくとも、手を渡された相手の方も簡単には攻めてこられないことを読んでおくべきでしょう。
 「手渡し」の第一人者はやはり羽生四冠でしょう。羽生さんの将棋を観ていると、忙しい局面で一手パスに見える端歩突きとか、敵の大駒に対して金や銀を打って叱りつけるところ先手になっていない歩で受けて後手を引くだとか、その種の手が良く出ます。これらはいずれも羽生さんならではの手渡しで、彼が希代の勝負師であることと無縁ではないでしょう。
 「手渡し」を別の言い方で表現したものに、「指させて指す」という言葉があります。あるいはこちらの方が手渡しの本質を良く表現できているかもしれません。中学の頃、体育で柔道を習った時、「腰を落として技をかけられまいとしている相手を投げるのは大変である。技をかける最大のチャンスは相手が技をかけようと攻めてきた瞬間である。相手の動きに乗じ、相手の力を利用して投げればいとも簡単に決まる。」と教わりました。「指させて指す」が狙っているのはまさにこれです。相手を力まかせに攻め潰そうとしてもそうそう簡単には成功しません。下手をすると切らされたり、渡した駒で反撃されたりして苦境に陥ります。ただ攻めるだけではうまく行きそうにない時、相手にも「指させて」、その反動を利用して「指す」のです。この呼吸が身に付きますと、二つ良いことがあります。一つ目はチャンスとあらばただ一直線に攻めるだけではなく、相手の力も利用したりと将棋の幅が拡がりますので勝率がアップします。そして二つ目は指しながら羽生さん気分を味わえることです(笑)。

2005年8月7日(日)
電車男

 こないだ本が出たかと思えば、最近ドラマになったり映画になったりと、一大ブームを巻き起こしているみたいですね。ドラマの方は第二話だけ少し観ましたが、それ以降は放送日を忘れていたり忙しくて観る時間がなかったりで結局ずっと観ていません。ただ、世間の評判は非常に高く、今期のドラマの中では視聴率が一番良いそうです。

 うちでは、だいたい週に一本くらいハマるドラマがあります。今は土曜日に日テレ系でやっている「女王の教室」がそれで、夫婦揃って観ています。天海祐希さん演じる阿久津真矢先生のいじめキャラが強烈で、視聴者から「ひどすぎるのではないか」との抗議が殺到しているそうです。我が家でも賛否両論、ドラマを観ながらあーだこーだと意見を交わしています。
 私はどちらかと言うと阿久津先生肯定派で、確かに指導上行き過ぎな面はありますが、彼女の教師としての能力はずば抜けて高いと思います。何でもできますし、児童一人一人の家庭環境、行動、考え方まで熟知しているのです。ちょっと現実離れしている気もしますが、ある意味金八先生やGTOをも凌ぐ、スーパー教師と言えるでしょう。

 話がそれましたが、最近家内と二人で外出すると、見知らぬ人に「あ、電車男!」と言われることがあります。電車男という話がヒットしていること、それがネット上から始まったブームであることくらいは理解していましたが、どうして自分が「電車男」と言われるのか皆目分かりませんでした。家内に聞いてみると、多分ドラマに出てくる電車男とエルメスのように、見た目がアンバランスだからではないかとのことです。実際にドラマを観てみると、伊藤淳史さん演じる電車男と伊東美咲さん演じるエルメスは確かにアンバランスな凸凹カップルです。なるほど、そういうことか。本当の電車男とエルメスがなんぼのもんかまでは分かりませんが、ドラマの二人と比べますと、アンバランス度ではむしろ私と家内の方が勝っていると思います(爆)。婚姻届を提出する際、市役所の人に偽装結婚ではないかと疑われて家内の両親に確認の電話を入れるとまで言われたほどですから(^^;。

 まぁ、凸凹ぶりをあれこれ言われるのは慣れていますから別に気にならないのですが、家内と近所のショッピングモールに行ったとき見知らぬ若いカップルに「秋葉系!エルメス!」と言われた時は、さすがに(なにぃぃぃ〜!?)と思いました。「電車男」は単に二人の見た目がアンバランスなことを言われていると思っていたので気にならなかったのですが、「秋葉系」は明らかに私に対する個人攻撃です。つーか私は秋葉系でもアニオタでもないですから。秋葉原なんてもう3年くらい行ってませんよ(笑)。メガネかけてて、テキトーなもん着ているのが秋葉系だと言うのなら、将棋指しは殆ど全員が秋葉系になっちゃいますよ(^^;。

2005年7月16日(土)
バースディケーキ
 昨日は家内の誕生日でした。毎年家内の誕生日にはケーキを買って帰ります。今年は家内のリクエストで、会社の近くにあるおいしいと有名なケーキ店にバースディケーキを予約しました。予約する際、何かディズニーキャラの飾りをつけられるかお店の人に聞いてみました。家内は大のディズニーファンなのです。多分できますとの返答でしたので、家内が特に気に入っている「美女と野獣」のヒロイン(ベル)をデザインしてもらうことにしました。ところが、お店の人がベルを知らず、お手本画を出してくれと言われたので困りました。まさか私が描くわけにもいきません(^^;。なんとかお店側で調べてもらうことにしましたが、大丈夫かなぁという若干の不安が残りました。

 誕生日の二日前に、家内の方からケーキの話題をふってきました。おそらく私が忘れている可能性があると見て釘を刺しに来たのでしょう。私は既に予約済みだったので自信満々の対応です。しかしその時、家内の口から仰天発言が飛び出しました。ケーキに立てるロウソクは22本にしてくれと言うのです。これにはげげっと思いました。もちろん、お店には大きいの2本と小さいの2本で予約してあります。だいいちそんなにたくさんのロウソクを立てたら、ケーキだかロウソク立てだか分からなくなってしまうではありませんか(^^;。やんわり、やめた方が良いと諭しましたが、本人の希望は堅く、結局翌日お店に電話して変更してもらうことにしました。
(私)「あのー、予約したケーキの件、ロウソクは小さいの22本に変更して頂けませんでしょうか?」
(店)「え!? 22本ですか?」
(私)「あ、はい…」
(店)「お客様、火をつけているうちにロウが垂れてきてケーキの上に流れますよ!」
(私)「はい…けど本人の希望ですので…」

 そして誕生日当日。お店にケーキを取りに行くと、中でケーキを作っている職人さんや店員さんが私の方を見て、「ほら、あの人だよ」みたいな感じでクスクス笑っていました。あーやっぱりディズニーキャラ(しかもミッキーとかじゃなくややマニアックなベルだし)+ロウソク22本のインパクトが強かったのかなぁと恥ずかしくなりました。で、出てきたケーキが右の写真です。確かにベルなんだけど微妙に不細工なような…。けど職人さんも乏しい資料をもとに頑張ってくれたんだろうな。多分、初めて描くキャラだろうしね。
 こういうのをいい年したおっさんが取りに来るのだからそりゃおかしいだろうなー。しかも子供用じゃないってことはロウソクの本数でばれてるしね。うーむ…などと考えながら家路につきました。

 家に帰って、ケーキを出したら家内はとても喜んでくれました。とにかくその笑顔が見たかったので、良かった良かったと思いました。そして22本のロウソクをどうするのかと見ていたら、家内はそのうち5本だけ取り出してケーキに立てました。
(私)  「あれ、22本立てるんじゃなかったの??」
(家内)「だって、そんなにいっぱい立てたらケーキがぐちゃぐちゃになっちゃうじゃん!」
(私)  「…(絶句)」

 ちなみにケーキの大きさは5号です。二人で食べるには大きいと思ったのですが、気がつけばいつの間にかなくなっていました。
















2005年7月2日(土)
四段昇段

 プロの世界ならば、厳しい奨励会を卒業して晴れて正会員に…というところですが、これは将棋倶楽部24でのお話です。これから対局料をもらえるようになるどころか、免状も認定証ももらえないのですが、何にせよ段が一個上がるというのは嬉しいものです。特に将棋倶楽部24の段位は世間一般よりも辛いと言われていて、その四段と言えば県代表クラスとされていますから、アマチュアの中では一寸は将棋が強い方だと多少の自信を持ってもバチは当たらないでしょう。

 実は私、先日将棋倶楽部24で四段に上がることができました。24で初めて指したのが1999年でしたから、なんと6年がかりで昇段を果たしたことになります。6年前には、自分が持っている認定証が三段のものですから24にも三段で登録したのですが、すぐに二段に落ちてしまい自信喪失すると共に24のレベルの高さに驚いたものです。その後なんとか三段に復帰したり、また二段に落ちたりといった経験を何度となく繰り返してきました。しかし四段になったのは正真正銘、今回が初めてです。

 私の本来の棋力はレーティング1900点前後だと思います。6年間トータルすると調子の良い時は1900点台、そうじゃないと1800点台、下手すると1800点も切ってしまうという感じで推移してきました。2000点に届いたのはほんの僅かな期間しかありません。
 それが最近は2000点台をキープすることが多くなってきて、随分と調子が良いなぁと思っていたのですが、まさか2100点超えて四段まで行ってしまうとは予想していませんでした。自分でもびっくりです。

 この文章をお読みになっている皆さんのうち、24で指している方がいらっしゃったら是非お聞きしたいことがあります。
  「24のレーティングって昔よりもレベルが下がっているとは思いませんか?」
 如何でしょう。皆さんはそういう実感ありませんか。最近レーティング3000点を超えるプレイヤーが現れていますが、3年くらい前まではプロが指しても最高で2800点くらいでした。もしかすると、経済とは逆に24ではここ2〜3年のうちにインフレが進行してるんじゃないでしょうか。また、自分の例で言えばかつては24の四段に勝つなど滅多にない出来事だったのに、最近では不思議なことに四段相手でもけっこう勝てる気がするのです(^^;。

 私が知りたいのは、私が24で四段になれた本当の理由です。たまたま絶好調が続き、勝ち運にも恵まれて好不調の波の範囲内で最高レートを更新しているだけなのか、それとも24のレーティング点数が昔と比べてインフレーションしたせいなのか、はたまたこの年になって私が強くなったということなのか。これが分からぬことには四段昇段を喜んで良いものやら分からず、困っています(笑)。
 まぁ、三番目の理由であれば喜べるんだけども、その可能性は薄いかな…。と言いますか、理由がはっきりする前に三段に逆戻りする可能性が最も濃厚だと思います(自爆)。

2005年5月30日(月)
ディープインパクト

 皆さんは昨日の日本ダービーをご覧になられたでしょうか?いやぁ〜ディープインパクト強かったですねぇ。死してなおあれほどの産駒を送り出してくるサンデーサイレンスの底力…全くすごいの一言です。

 実は私、かつてはかなりヘビーな競馬ファンでした。どれくらいヘビーかと言いますと高校時代に学校さぼって近所の公営競馬に通っていたほどです(^^;。また、競馬好きが高じて「ダービースタリオン」という競馬ゲームにはまり、何事も熱中する性格ですから気が付けば「サラブレ」や「競馬王」(今でもあるのだろうか?)といった競馬雑誌が開催していた大会で優勝するほどやり込んでいました(笑)。
 そんな私の記憶に残る最も古いレースは、トウショウボーイとテンポイントが最後の一騎打ちを演じた昭和52年の有馬記念ですから、もうかれこれ30年近い競馬ファンってことになります。そしてこれまで幾多の名勝負、数多くの名馬たちを見てきました。そういった名馬たちの中でもひときわ強かったのが昭和59年に無敗の三冠馬となったシンボリルドルフです。実は私はその前の年にシンザン以来19年ぶりの三冠馬となっていたミスターシービーの大ファンでした。道中は常に最後方を進むという彼の危うげなレースぶり、そして直線に向いてから繰り出される稲妻のような末脚、その鮮やかな勝ちっぷりに私だけでなく多くの競馬ファンが酔いました。そのアイドルホース、ミスターシービーの前に立ち塞がり、そして完膚なきまでに叩きのめしてくれたのが皇帝シンボリルドルフだったのです。ルドルフは強かった。競馬に絶対はないと言いますが、そのないはずの「絶対的な強さ」を感じさせたのは後にも先にもルドルフただ一頭でした。
 ルドルフ以降で、私に「もしや」と思わせた馬が一頭います。それが平成6年にルドルフ以来の三冠馬となったナリタブライアンです。この馬が現れた時、私はもしやルドルフを超えるのではと思いました。現在の評価はルドルフの方が上ですが、一瞬でも「もしや」と思わせたという馬はやはりナリタブライアンただ一頭でした。

 そして昨日ダービーを勝って無敗の二冠馬となったディープインパクト。その次元を超えたレースぶりに、私はナリタブライアン以来久しくなかった衝撃を感じました。皐月賞とダービー、この二走の走りを見る限り彼はルドルフやブライアンを超えています。あれほどの馬を見たのは初めてだと言っても過言ではありません。この先が本当に楽しみです。かつて無敗の二冠馬となったルドルフは夏を越してさらに強くなりました。ディープインパクトにそれができるようなら、本当に史上最強馬になってしまうでしょう。何より無事を祈らずにはいられません。あのナリタブライアンも後半生は怪我に泣きました。無事是名馬。競走馬の評価は全レースを走り終えた時に決まるのですから。

2005年4月17日(日)
HP巡り (2)

 注)この文章は本欄下に掲載されている「HP巡り(1)」(4月10日掲載)の続編です。先に「HP巡り(1)」の方からお読みになることをお勧めします。

 前回予告しましたように、今回は私が拝見した将棋関係の個人HPの多くと、「将棋厨房」との相違点を挙げていき、その原因と将来に向けた対策について放談致す予定です。よろしくおつき合い下さい。


<相違点1> 将棋厨房には定跡・戦法研究のコンテンツがない
 前述した通り、魅力的な定跡・戦法研究のコンテンツがないと人気が出ませんので、何とかしたいとは思いつつもなかなか難しいところです。原因は「ネタがない」、これに尽きます。
 対策ですが、まず定跡本を買うところから始めなければ(^^;。しかし買っても読む時間がなかなか確保できないですし、読んだうえで自分が理解しないと解説を書けないでしょうね。
 重要なのは管理人に(その戦法を勉強しよう)という意欲があることで、それがあれば多少の障害は乗り越えられると思うのですが、残念ながら今の私には勉強してみたい戦法がなかったりします(^^;。て言いますか、これだけWeb上で情報収集できるようになると、既にいろんな戦型についての情報が網羅されていますから、今更何をテーマにしたら良いのか分からないんですよね〜。
 結局取り組まない可能性大ですかねぇ(ぉい…(^^;)。

<相違点2> 将棋厨房には上達法が載っていない
 「将棋上達法」について書いているHPがけっこうあるんですよね。中にはひねったのもありますが、その大多数には「得意戦法を持つ」とか「詰め将棋を解く」とか「プロの棋譜を並べる」といった、よくある内容がそのまんま載っているだけみたいです(をい…^^;)。まぁそれぞれ一個人が書いたものですので、その内容は良いとして、面白いのは「上達法」を載せているHPの管理人さんの棋力が高いかと言うと、必ずしもそうじゃないところなんですな。強豪の方が上達法を云々したくなる気持ちは分かるような気がします(私は強豪じゃないのであくまで想像ですが)。しかしそうじゃない方もそれなりに立派な上達法を書いておられるんですな。例えば10級くらいの方が書いた上達法も拝見しましたが、強い人、っていいますかプロが書いてる上達法となんら変わりませんでした(^^;。私はこのような現状から、次の二つのことが分かると思いました。

 一つは、「上達法」をHPに載せるかどうかに管理人さんの棋力は全然関係しておらず、むしろ管理人さんの性格が大きく影響しているってことです。いわゆる「教え好き」な人が載せてる、と見て大方間違いはないでしょうな。

 もう一つは、本当に効果の高い上達法なんて、実は誰も知らないんだなってことです。プロも10級の方も同じ方法で勉強しているわけです。確かにその勉強時間たるや大きな違いがあるでしょうが、少なくとも10級の方は間違った勉強などしていません。現在の常識で言うところの“正しいやり方”で将棋を勉強していることは明白です。なのになんで?って思いませんか。
 そもそも、よく言われる「上達法」にどれほどの効果があるのか、よく分からないと思っているのは私だけでしょうか。これまでにその疑問に答えたデータを見たことがないんですよ。例えば一卵性双生児に同じ時間だけ将棋の勉強をさせる。片方にはひたすら実戦を繰り返させ、片方には実戦だけではなく、定跡本や詰め将棋の本も読ませる。あるいは片方には対局後感想戦を義務づけ、もう一方には感想戦を禁じてその分多く対局させる…そういう客観的な観測を通じて、どのような勉強法が最も上達効果が高いのか明らかにする、そんな実験をどこかの学者さんがやってくれませんかねぇ(笑)?
 まぁ、そうは言っても、多くの人はよく「上達法」として説かれている勉強法を取り入れ、事実上達しています。でも強くなったのは本当に「上達法」のおかげなのでしょうか。別のやり方ではダメだったのでしょうか。以下に私の考えを述べます。

 極論すると、よくある上達法に沿った勉強をしようがしまいが、それなりに多くの時間を将棋に割いておれば(例えばひたすら実戦を指しまくる等)、プロになれる人はプロになるし、四段になれる人は四段になるし、初段になれる人は初段になると思います。つまり上達法は上達とは無関係ってことです(ぉぃぉぃ…^^;)。将棋の技術に関する情報が乏しかった時代(戦前?)ならいざ知らず、現在の情報溢れる日本ではどんなやり方をしようが将棋に取り組んでさえいれば、手筋や大局観など将棋の技術に関する知識が確実に増えていくはずです。確かに、効率的な勉強法を選ぶことによって、四段になれる人が四段に到達するまでの時間を短縮することは可能だと思います。しかしそういった効率の問題は、あまり重要ではないと私は考えます。重要なのは、従来の常識的な勉強法では四段止まりの人を五段や六段にする方法であり、初段止まりの人を二段、三段あるいはそれ以上にする方法です。つまりその人の限界点を高める勉強法です。そんなムシの良い方法がないとしたら、せめてピークを過ぎた四段がやがて三段、二段と衰えていくのを防ぐ方法はないものでしょうか。それは既に上達法とは言えないかもしれませんが、それこそ私も含め多くの人が知りたいと思っている情報だと思います。これまで「上達法」とされてきたものは、将棋を始めてまだ日が浅い人、これから強くなっていく人向けに書かれたものが殆どだと思います。強くなりたいという気持ちはあるし、事実努力しているにもかかわらず上達が止まってしまった人や、ピークを過ぎてしまい年々低下していく棋力を嘆いている人には目を向けていません。そういう人達のために書かれた勉強法こそ実は最も求められているものではないでしょうか。

 将棋厨房ではどうせ載せるならそういう上達法にしたいと思っています。よそと同じことを書いてもしょうがないですし、従来からよく言われている上達法にどれほどの効果があるのか、私自身が把握していないからです。上達法としてWeb上に公開するからには、その効果を実証する必要があると考えています。そしてその研究対象は既にピークを過ぎ、三段キープも怪しくなってきた私自身です(笑)。この状態からでも万一強くなれれば、それは有効な上達法ということになるでしょう。なんら成果が出ずそのまま終わる可能性大ですが、もしも有効性が認められれば公開しますので、期待せずにお待ち下さい(^^;。なんだか頭髪が薄くなってきた人が、薬をつけたり生活習慣を改めたり、良かれと思うことをいろいろ試して運命に抵抗するのに似てますなぁ(苦笑)。

<相違点3> プロフィールが?
 これは別に私が職業を偽っているとか、本当は夫婦じゃないのに自作自演で家内のプロフィールまで書いてるってことじゃありません(笑)。
 実は私がHP巡りをする際、真っ先に見るのが管理人さんのプロフィールだったりします。そこで管理人さんの年齢がだいたいどれくらいか、将棋の棋力がだいたいどれくらいか、この二つをチェックします。まぁその他いろいろ書いてある血液型とか好きな食べ物とか座右の銘とかも見るかもしれませんが、それらは重要な情報ではありません。何故なら管理人さんの年齢と棋力、この二つがHPのカラーに大きな影響を与える二大要素であると私は考えているからです。
 管理人さんが例えば中学生である場合と妻子持ちである場合、ブログの内容一つとっても全然違いますよね。前者には学校でテストがあった話が載っているかと思えば、後者には嫁にいびられた話が載っていたり。そうすると当然そのHPに集まってくる客層にもそれに応じた違いが出てきます。
 また、管理人さんの棋力については、高い方がそりゃレベルの高い研究や棋譜を提供できるのでコンテンツにも見応えが出るでしょう。しかしその反面HPの敷居が高くなる可能性もあります。来訪者にとっては自分のレベルに合った情報が一番であり、見ても分からない研究や棋譜は頭痛のもとになるだけです。私が見た中にも何件かありましたが、強豪の方がいかにも強豪色を前面に押し出したHPを作られているケースがあります。なかなかディープな内容が書かれていたりして大変立派なのですが、間違っても掲示板に書き込みしようなんて気は起こりませんな(^^;。そういったHPにはそれなりのディープなメンバーが集まっており、私のような下々の者にはおいそれとは入っていけない空気があります。これは将棋に限らずかもしれませんが、相手が上手だと思うとなかなか気軽には話しかけづらいものです。特に正面きって将棋の話をするのは緊張が伴います。これは相手が顔も知らない人だってこともありますが、根本的に恥をかきたくないって思いがあるせいでしょうな。その意味で、棋力の低い人が頑張って作っているHPの方が親しみが湧きますし、多様な棋力層の来客が見込めるでしょう。HPの訪問者の大多数が単にレベルの高い情報を求めているわけではなく、面白いものやネット上での気軽なコミュニケーションを求めていると思うからです。もしかすると、将棋HPの管理人がプロフィールに棋力を書く時は、逆サバ読んで低めに書いた方がHPの発展には良いのかもしれませんね(笑)。

 さて、相違点として標題に挙げた「プロフィールが?」というのは、上記した「棋力の表示」に関する話です。私が現在プロフィールに書いている棋力には3パターンあることをご存知でしょうか?(この「現在」というところが将来への不安を感じさせて悲しいT_T) そのまま転載すると、こうなっています。
  ・認定状: 三段(学生時代の大会成績により認定された)
  ・将棋倶楽部24: 三段(注:本プロフィール作成時。キープしているかは謎)
  ・Yahoo将棋: 1800点台(あまり指していないので妥当な点数かは不明)
いずれも過小、過大なしのありのままの棋力表示になっています(あくまで現在のところ)。ところが、他の方のHPをいろいろ見て回って気づいたのですが、私の場合、将棋倶楽部24の段位が他の二つと比べてどうも高すぎるようなのです。
 私と近い棋力の方が、将棋倶楽部24とYahoo将棋のレーティング持ち点を両方とも公表している例が複数件ありました。それを見ますと、将棋倶楽部24に比べてYahoo将棋のレーティング持ち点の方が100〜200点高いというのが相場なようです。しかし私は全く逆になっていて、Yahooの方が100〜200点低いのです。

 この原因は一体どこにあるのか考えてみました。一つは私のYahoo将棋対局数が少なすぎるため、正しい点数になっていないと考えることができます。しかし、プロフィールにああ書いてはいますが、1800点台というのは結構それなりの点数になっているのではないか、と自分では思っています。これは決して上昇中の点数ではなく、ある程度上がったり下がったりした結果ついている点数だからです。もし私のYahoo将棋のレーティング持ち点が相場なみに将棋倶楽部24+100〜200点だとすると、2100点以上のいわゆる赤レートになってしまいます。いくらなんでもそれはあり得ません。現実は高く見積もっても1900点くらい、逆に1800点未満であっても不思議ではありません。

 では真の原因は…? 一番有力な説は、私が将棋倶楽部24と比べて、Yahoo将棋での対局を苦手としているせいである、というものです。つまりそれは両者のシステムの違いに起因しています。
 将棋倶楽部24に切れ負けはありませんし、30秒より短い秒読みもありません。時間が迫ってくると警告音で「秒読み」してくれます。これはネット時代以前からの将棋指し、即ち私のような“おっさん”には大変受け入れやすいスタイルです(笑)。
 一方Yahoo将棋は、切れ負けはあるわ、10秒将棋や5秒将棋になることはあるわ、警告音が鳴らず気づいたら時間切れになっちゃうわで、おっさんにとっては甚だ対応しづらいものなのです。しかも相手の都合により毎回持ち時間が変わる点も、環境適応力が低下しているおっさんにはついて行けない材料になっています。
 おそらく、私が見たYahoo将棋のレートの方が24より高い方々というのは、まだ十代から二十代くらいの若い方ではないかなと考えています。反射神経が求められるYahoo将棋では、おっさん棋士はなかなか勝てませんよ(哀)。

<相違点4> リンク集がしょぼい
 しょぼくてすみません…(^^;。
 他のHPへのリンクをいっぱい貼るっていうのは、棋力とは無関係にできますし本も買う必要ありません。ところが、訪問者にとってこれが充実しているサイトって大変便利で価値があるんですよね。将棋の図面や棋譜を何一つ載せなくても、これさえ立派であればお客はどんどん来ると思います。ある意味一番賢い集客手段と言えるかもしれませんね。

 うちのリンク集がどうしてしょぼいかと言いますと、一番の原因は勝手にリンクをばんばん貼っていないからです。個人HPの場合リンクフリーと書いてあるところが殆どですから、別に勝手にリンクを貼らせてもらって自分のHPのリンク集を充実させても構わないはずです。事実そうするのが正解かもしれません。それをどうしてやっていないのか。まぁ第1の理由は面倒臭いからですな(汗)。HP作りにおいて、訪問者が求めるものを提供して集客することの重要性は理解していますが、自分がやりたいことをやり書きたいことを書く、それ以外のことにはやはりどうしても意欲が湧かないんですな(^^;。
 第2の理由は、他のHPの管理人さんと直接(直接と言ってもネット上って意味ですが)コミュニケーションしたいと思っているからです。将棋HPを持っているくらいですから、そこの管理人さんは相当熱い将棋ファンであるはずです。私はそういう人と話がしたい。で、その話のきっかけとなる一番の機会がいわゆる「相互リンク」を申し込む時なんですな。相互リンクしてもらうわけですから、ある程度先方のHPを見てその内容を把握しておくのがマナーでしょうし、相手の方も一度はこちらのサイトを見に来てくれます。そこに交流が生まれるわけです。自分の方だけに勝手にリンクを貼るよりは、こういった交流を経た相互リンクをしたい、それが私の思いなんですな。

 相互リンクの申し込みは、相手方の掲示板に書き込みをしたり、管理人さんにメールすることから始まります。すなわち「話しかける」ことをしなくてはなりません。これがけっこうくせ者で、私はこう見えても実はかなりの小心者なのです。ですから初対面の人に話しかけるのはすごく勇気がいるんですな。はっきり言ってびびりまくっています(爆)。このため、「これ」と思ったHPはかなり調査します。何を調べるかと言うと、管理人さんがどういう人なのか、その人柄です。特に念入りにチェックする箇所は管理人さんのプロフィール、ブログ、掲示板のレスなどです。そういった管理人さんの性格、人柄が反映されやすい部分を見た結果、「よし」と判断した場合に限り相互リンクのお願いをしています。つまり優しそうな人だったら「話しかける」ってことですな(笑)。

 この他にもHPの次のような箇所をチェックして、相互リンクをお願いするかどうか決めています。
  1)掲示板:掲示板への書き込み数はHPの活力のバロメーターと考えます。これが多いHPはポイントが高いです。ただ、あまりに内輪で固まってる雰囲気の場合は敬遠しちゃいますねぇ。
  2)更新履歴:やはり全然更新されていないようではお願いしても放置の可能性が高いですからなぁ。
  3)アクセスカウンター:当然、カウント数が多い方が良いです(笑)。この数字がすごい場合は素直に相互リンクを申し込みます。営利目的丸出しですが(^^;。
  4)プロフィール:書いてある場合は年齢もチェックです。中高生の場合は掲示板などからそこに来ている客層を判断します。おっさんが入れそうもない感じなら静かに去りますね(笑)。
  5)将棋コンテンツ:定跡研究でも、リンク集でも、私が(これは凄い!)と感動したHPには素直に相互リンクをお願いしています。その業績に敬意を示し、ひとこと讃えたいからです。
  6)その他:ソフトや素材を使わせて頂いたなど、お世話になったHPは相互じゃなくても無条件にリンクを貼らせて頂いています。
  7)例外:相互リンクのお誘いを受けた場合は、無条件に喜んでリンクしています。こんなHPにリンクを持ちかけて下さるなんて、最上級に優しい方と言えるでしょう(^^;。

 ちなみに現在「将棋厨房」のリンク集を彩っている個人HPの数々は、いずれも上記のような選定基準をクリアしたまさに超厳選サイトばかりなのであります。(それにしても少ないって気がしますが^^;)
 今後もぼちぼち増やしていこうと思いますが、「ここが入っていないのはおかしい」というご指摘がありましたら何なりとお申しつけ下さい。


 以上、今回もまとまりのないままつらつらと放談してしまいました。まだまだ書きたいことが沢山ありますが、いい加減長くなって参りましたのでここら辺で一旦締めたいと思います。結局「将棋厨房」の将来をどうするかという展望のないまま終わってしまいましたが、まぁそういう終わり方をするということで、逆に将来が見えたという気がしなくもないですな(^^;。
 このコーナー、何人の方が見て下さっているのだろうという不安がよぎりますが、また何かネタができましたら随時放談したいと思います。

2005年4月10日(日)
HP巡り (1)

 最近、主に将棋関係ですが、他のホームページを見る機会が増えています。実は自分が将棋関係のHPを持ってるにもかかわらず、これまで人様のサイトをあまり見てこなかったのです。言い訳がましいですが、仕事で帰宅が遅くなることが多いですし、帰ってからでも家内を放っておいてネットなどやろうものなら家庭に嵐が吹き荒れますし(^^;、そんな状態でホームページまで立ち上げたものですから、正直とても人のHPをじっくり見ている時間などないわけです。それがどうして最近改心したかと言いますと、やっぱりこれじゃアカンと思ったからです。そもそも自分はどうしてHPなんぞやってるのか?まぁ第一の理由は家内にHP作ってと頼まれたからなんですが、それだけなら自分の趣味である将棋をテーマの一つにする必要はないし、アフターケアも家内の料理ネタの方だけ更新しておけば済む話です。けど、始めてみればけっこうHPの将棋ネタを考えたり、更新したりするのが楽しいんですな(笑)。ひとことで言えば「はまった」わけです(^^;。何にはまったかと言うと、“自分の書いたものを人が見る”、これですな。自分の書いたものをどこかの誰かが見るかと思うと、なんだか分からん脳内快感物質がじわぁ〜と出てくるわけです。なんなんでしょうな、これは?
 まあそれでも、ひたすら好き放題なことを書いてWeb上に公開するだけなら自己満足の延長ですな。しかし私はそれだけでは満足できなくなってきました。やっぱりHPをやるからには自分と同じように「将棋」が好きな人に来てもらって、将棋絡みの話題で盛り上がりたい、そう、コミュニケーションをとりたい、そういう気持ちが芽生えてきたんですな。それで思ったわけです。ウケてる将棋関連のHPってどんな作りになっているんだろう?と。当然、来客がゼロではコミュニケーションのとりようがありませんから、自己満足な内容ばかり載せるんじゃなくて、多少は世間ウケすることも取り入れなければ…って、こういうことは普通、HPを作る時に考えるものなんでしょうなぁ。私はHP開設後二ヶ月近く経ってようやくその心境に達しました(^^;。それで、ここのところ主に将棋関係の個人サイトを巡っていろいろ勉強(偵察^^;?)しているわけです。

 サイト巡りをすると言いましても、上に書いたような事情がありますからとにかく時間がありません。幸い家内は自分が料理やデザート作りに没頭している時は私の行動に無頓着になりますから、この時が最大のチャンスです。ここぞとばかりにめぼしいHPをチェックして回っています。ただ残念なことに、訪れたHPの各コンテンツをひとつひとつじっくりと見ている時間まではありません。将棋のHPって、掲載されている内容をキチンと見ようとすると、それこそいくら時間があっても足りないんですよね。例えば訪れたサイトのトップに管理人さんが作った詰め将棋が載っていたとします。もうお分かりだと思いますが、これが手強い問題だったりするとトップページを見ているだけで平気で10分、20分過ぎますからねぇ(笑)。今回の目的は、そうやってまったりと将棋サイト閲覧を楽しむことではなくて、あくまでざっくりと皆さんのHPの傾向を見ることですので、将棋の図が載っていれば思わず読みを入れたくなる気持ちを抑えて軽〜くとばしております。

 と、ここまでが前置きで(いつもながら長い!^^;)、ここからが本題であります。今回の「徒然くも」では、そうやって私が将棋関係の個人サイトをいくつか見て回った結果、分かったことと言いますか、思ったことを、またもや好き勝手に放談しようと考えました。あくまで私の独断と偏見によるものですので悪しからず。おかしなことを書いていたら何言ってるんだと笑って下さい(^^;。て言いますか、掲示板にでもご意見ご指摘頂けますととっても嬉しかったりします^^。

 まず、いろんなHPを見て回って思った、第一の感想です。閉鎖したり休止しているHPが実に多いですな(^^;。私が見たところの過半数はそんな感じでした。まぁこれは将棋のHPに限った話ではないと思いますが、開設から1年、2年経っても、ある程度定期的な更新を継続しているHPは実に少ないです。HP更新するのに飽きちゃうのか、それとも日常生活が忙しくなって更新できなくなっちゃうのか、本当の理由は定かではありませんが、多くのHPは開設後1年以内、もっと言えば開設後半年くらいで活動休止に追い込まれているようです。
 では、そういう早期撤退を余儀なくされるHPと、息長く更新を続けているHPを分ける要素って何でしょうか?私は、それは「人気」だと感じました。早めに活動休止しちゃうHPって、だいたい人気がないんですな。まぁ更新しないから人が来ないってのも当然あるでしょうが、カウンターや掲示板の履歴などを見てみると開設以来人気が出た形跡がありません(哀)。思うに、最初は私なんかと同じように趣味の将棋について好き放題書いてWeb上に公開していたんだと思いますが、いかんせん訪問者にウケない内容だったんでしょうな。客は来ないわ反応はないわで孤独な戦いが続いていたものと考えられます。そういった状況に置かれた人間が所期の意欲を持続して更新を続けられる期間というのがだいたい半年くらいじゃなかろうか…私はそのように考察しております。考えてみればHPをこまめに更新するのってけっこうめんどいんですよね。かなりの意欲がないととても続けられません。初めのうちは自己満足だけでやっていけるのですが、そのうち(自分って何でこんなことしてるんだろ?)みたいな疑問が起こってきて、やがて更新するのが億劫になってきます。その時エネルギーを生み出してくれるのが訪問者であり、訪問者からのリアクションであったりするわけです。だーれも見てくれないんじゃやってられませんよ(笑)。
 私などは元々時間的余裕がないわけですし、(無理して更新することもないか)という心境に極めて達しやすいと思います(^^;。HP開設後半年というとだいたい今年の8月くらいになりますか…う〜む、その頃どうなっているか読めないですなぁ(苦笑)。

 では人気サイトはどんな特徴を備えているのか。これが重要です。将棋関係の個人サイトの場合、人気サイトは大きく分けて次の三つのタイプに集約できます。
  1)お役立ち型 …将棋関係の自作ソフトを無償提供したり、情報提供したりする
  2)充実型    …とにかくコンテンツが立派。豊富な情報量、巨大なリンク集を誇る
  3)定跡研究型 …定跡(裏定跡や奇襲も含む)の解説や研究の公開がメイン
単に管理人が棋譜を公開したり、好き勝手なブログを書いたりしているHP(つまり当サイトのような^^;)じゃ人気は出ないわけです(笑)。まぁ訪問する側の立場に立ってみればそれもそうでしょうなぁ。単なる一アマチュアの将棋見てもしょうがないですし、何らかのメリットがなければ貴重な時間を割いて見に行きませんもんね〜。
 ただ、人気サイトの特徴が分かったところで、上記1)、2)、3)のようなサイトになるのは簡単じゃありません。1)と2)、これらはどう転んだって私には無理です。1)はスキルがないし、2)をやろうにも時間がないからです。そういったものがなくても、比較的効率よく集客できるのが3)の定跡研究型サイトです。特に四間飛車や(ゴキゲン)中飛車等の人気戦法を扱ったサイトや、他ではあまり情報が得られない独自な戦法を扱ったサイトの人気が高いようです。これ、分かるような気がしますね。本屋さんでも定跡の本は流行ものを中心に必ず売れますが、それと同じ情報(あるいはそれ以上に詳細な情報)がWeb上で無償で手に入るわけですから、これこそ将棋HPの最も賢い利用形態の一つと言えるでしょう。そこには管理人の趣味に付き合うというよりは、自分の将棋の勝敗に直結する重要情報を得たいという訪問者心理が見て取れます。
 しかしこの3)も、くもにはかなり大変なことなのです。これをするためにはある程度のネタ本が必要ですが、くもは現在定跡書をほとんど持っていません。学生の頃はそれなりに持ってはいたのですが、引っ越しを繰り返すうちにどんどん処分してしまいましたし、だいいち今それらの本があったところで既に時代遅れの情報しか載っていないでしょう。3)をやりたければ、少ないお小遣いをはたいて定跡本を購入し、それを読んで自分なりに理解する…この作業を何冊分も繰り返さねばなりません。要するに今現在、定跡を勉強して研究してる人でないとできないってことですな。かくして時間と労力(&お金)を使わずにHPを盛り上げることはできないものか、という私の虫の良い考えは見事に打破されたのであります(^^;。

 だいぶ長くなってしまいましたので、ここで一旦、章を改めたいと思います。
 次回からは視点を変えまして、今回私が拝見した将棋関係の個人HPの多くと、我が将棋厨房との相違点を挙げていき、その原因と将来に向けた対策について考えたいと思います。  (次回に続く)

2005年3月27日(日)
直感、読み、論理

 前回、自分は読みの力が落ちてるってお話をしましたが、そもそも読みの力とは何ぞや、読みとは何ぞや?というテーマで放談したいと思います。

 このテーマを語る上で忘れてはいけないのが1984年に出版された米長邦雄永世棋聖著「〈カン〉が〈読み〉を超える 米長勝負論講義」です。私は残念ながらこの本を読んではいません。しかし当時の将棋世界誌上に掲載されていた本書のPR文を覚えています。米長先生曰く「読みは直感を超えることはできない。読みとは直感の連続であり、常に直感に一歩後れをとるからである」みたいなことが書かれていました。当時、若かりし私はその一文を見て(なるほど〜)と思ったものです。

 米長永世棋聖の言葉は「読み」がどういうものであるかについて、明快に示しています。そうなんです、「読み」ってのはすなわち「直感」なんです。読みが深いというのは浮かんだ直感の数が多いということであり、読みが速いとは直感が浮かぶまでの時間が短いということです。「直感精読」は加藤一二三九段の言葉ですが、そもそも直感の伴わない読みはないのですから、単に「精読」と言い直しても問題ないわけです。要するに一生懸命読むということですな。

 では直感はどこから来るのでしょうか。将棋を覚えたばかりの頃を思い出すと、手を考えようにも考えようがなく、読もうにも読みようがなかったのではないでしょうか。それは直感が全く浮かんでこなかったからに相違ありません。ある程度上達すると盤面を見たとき、たとえ大悪手であっても何らかの手が浮かぶようになります。さらに上達すると、弱い時よりもいい手が浮かぶようになります。うんと強くなると、盤面を見ただけで次の一手はおろか、その後数手の展開まで一瞬のうちに浮かぶようになります。
 これは何を意味しているのでしょうか。言い方を変えると、何が変化することによってこのような違いが生じるのでしょうか?

 「この形はこう指すもんだ」という記憶の質と量がその答えです。例えば次のような「頭金」の局面を思い浮かべて下さい。攻め方5三歩・5二金、玉方5一玉の配置。手を読むまでもなく詰んでいます。しかし、あなたはどうして一手も読まずにこの「頭金」の局面が詰んでいると分かるのですか?言うまでもなく「頭金の形は詰んでいる」ことを記憶しているからに他なりません。では、次のような三手詰めの形を思い浮かべて下さい。攻め方5四歩・持ち駒金二枚、玉方5二玉。少し将棋の心得がある人ならば▲5三金▽5一玉▲5二金打の三手詰めであることはほぼ直感的に分かるはずです。でも、どうしてその三手が直感的に浮かんだのですか?どうして初手▲5三歩成とか、▲4二金を読まないのですか?どうして三手目▲4二金打や▲6二金打を読まずに済んだのですか?その答えは明らかです。あなたはこの形が▲5三金以下の三手詰めであることを知っているからです。どうして知っているのか?それは過去にどこかで記憶したからです。記憶していないことを知っている人間はいません。

 つまり、直感は記憶から来るのです。「直感が浮かぶ」とは「記憶していた情報が想起される」ことなのです。「記憶していた情報」には後天的な学習により仕入れた情報もあるでしょうし、先天的に本能として与えられた情報もあるでしょう。将棋に関わるのはもちろん前者です。
「形に対する記憶の質と量」が「浮かぶ直感の質と量」を決め、それが「読みの質と量」を決めるわけですから、それはすなわち将棋の強さを決めると言っても過言ではないでしょう。と言うことは上達するためには「形に対する記憶の質と量」をアップさせれば良いわけです。形に対する記憶の「質」を上げるのは「正しい手を覚えること」であり、「量」を増やすのは「たくさんの形について覚えること」です。
 (なんだ、覚えれば覚えるほど強くなれるのか…けど忘れることだってあるし、人の記憶力には限界があるよね?)
 そうなんです。だからこそ上達には限界があるんです。年を取ると弱くなってしまうのも同じです。20歳を過ぎると人の脳細胞は1日に10万個づつ死ぬと言われています。30を過ぎれば自然と記憶力にも衰えが見えてきます。昔覚えた手筋は忘れちゃうし、新しい情報も頭に入らないとなれば「直感」や「読み」が衰えるのも当然です。
 将棋の形に対する記憶はいわゆるイメージ記憶というやつで、学校のお勉強などで必要な言語的な記憶とは異なります。イメージ記憶には右脳の働きが重要と言われていますが、この話題は長くなりそうなのでまたの機会にでも…。

 では気分を変えて、将棋以外にことにも目を向けてみましょう。
 「直感」の対極に位置する概念として「論理」があります。私なんかも会社でよく「論理的に考えろ」とか「論理的に説明しろ」などと言われております。直感派なんですなぁ(^^;。論理的に考える人は優秀な人、頭の良い人であり、直感で動く人はそうでない人、という認識が大勢を占めているように思えます。私は技術屋なので多少なりともサイエンスに関わっているんですが、この世界で直感派は冷遇されております。「カンピューター」などと揶揄され、評価も低いわけです(苦笑)。
 しかし直感はダメで論理が正しい、という考えは本当に当を得たものなのでしょうか?そもそも直感の対極が論理なのでしょうか?いやいやそうではないはずです。ここでも論理は直感を超えることができないと私は(大胆にも)言い切るのであります(笑)。なぜなら論理も読みと同様に、直感があって初めて成り立つものであり、直感には常に一歩遅れをとるからであります。

 「論理」とは何か?私は「直感」、及びその連続である「読み」のうち、他人に説明可能なものが「論理」ではないかと考えます。なんだかすごくいいアイディアがあるんだけど、どうもうまく人に説明できない…こういった人は「直感派」の烙印を押されてしまいます。大したアイディアじゃなくても、人にはうまく説明できて理解してもらえる…こういった人が「論理的」と評価されるわけです。要するに言葉でうまく説明できないと論理にならないわけですな。で、私はあまのじゃくですから、現在の論理性偏重の風潮に一石を投じてみたくなるわけです(笑)。

 例えばベテラン技術者がこれまでの経験、知識に基づいた「直感」を発揮する時、たまたまそれが周囲の人に分かる言葉で説明できなかったとしても、彼が「行ける」と思ったのであればかなりの確率で成功する、と私は思うわけです。そんな彼を「論理的でない」の一言で切り捨てるのはあまりにも危険です。彼よりも「局面に対する記憶」が乏しい人に彼を上回る直感は期待できません。良い直感が浮かばないのに論理があっても無意味です。だから論理性を重視するのも時によりけりかなぁと思ったりするわけです。

 だいぶ脱線してしまいましたが、私みたいに記憶力の減退が甚だしいと「形に対する記憶」が減ってしまうわけでして、それがすなわち手が見えなくなったり、読めなくなったるする原因であるわけです。これを何とかしたい、せめてこれ以上落ちないようにしたいと思ってはいますが、なかなか難しいですなぁ(哀)。
 何ヶ月も前の私の些細な言動まで一字一句正確に記憶していて、口論になると「あの時こう言ったじゃない!」と責めてくる家内を心から羨ましいと思う今日この頃であります(^^;。

2005年3月25日(金)
赤い本

 先日押入をごそごそと整理していましたら、ひょっこりと昔買った詰め将棋の本が出てきました。伊藤果五段(当時)著の「新しい詰将棋3・4・5段」というA6版くらいのミニサイズの本です。赤色のカバーがついています。成美堂出版の赤い「新しい詰将棋」シリーズといえばかつては書店には必ず並んでいた定番の書でしたから、オールドファンならご存知の方も多いのではないでしょうか。今でも本屋さんに行けばあるのかな?あの真っ赤な本は最近見かけた記憶がありませんが、ひょっとするとデザインを変えて生き続けているのかもしれません。おそらく私が大学時代に買ったものだと思いますが、一冊500円という今からするとかなりお買い得な棋書で、学生にはありがたい存在のシリーズでした。

 まーそんな本の紹介などするつもりじゃなったのですが、懐かしさから思わず前置きが長くなってしまいました(^^;。重要なのはその「新しい詰将棋3・4・5段」が押入からひょっこり出てきたことではありません。その本に見開き一題づつ詰将棋の問題が載っているのですが、その問題図の片隅に若き日の私が、当時答えが解るまでにかかった時間を記入していたことなんです。しかもその問題を解いた年月日まで書いてありました。その日付けを見ると、だいたい24〜25歳当時の記録のようです。中には1年後や2年後に再度挑戦している問題もあり、2通りや3通りの記録が記載された問題もありました。いずれも今から十ウン年も前の記録です。これは面白いものを見つけた、と私は思いました。そんなものが出てきたら、現在の私が解いたらどうなるのか、やってみたくなるじゃありませんか(笑)?

 詰将棋は嫌いじゃありませんし、昔はちょっとは自信がありました。近代将棋を買ってる頃は、ほぼ毎月全題正解者リストに名前を連ねたもんです。しかし、結果は愕然たるものでした。いやー現実は残酷ですな(哀)。今の私、昔の自分に全然勝てませんでした。メモってある解答時間の倍くらいかかってようやく解るって感じです。ていうか「10分で三段」の問題に16秒とか24秒とか、秒単位の記録が記入されているのですが、これは本当なんだろうかと自分で自分を疑ってしまう始末です(^^;。今なら問題の駒の配置を見ているだけでそれくらいの時間が経ってしまいます。あれですなぁ、やっぱ当時は若かったんですな。うっすらと記憶しているのですが、当時は局面を見ただけでぱっと筋が浮かんでいたような気がします。いわゆる手が見えていたんですな。

 将棋世界か何かの本に書いてあった話ですが、現在のプロ棋界には「25歳ピーク説」ってのがあるらしいです。変化の早い今の将棋界、昔の経験よりも新しい知識の比重の方が重いため、変化に対処できる頭脳の柔軟さがないと勝てなくなっちゃうそうです。確かに記憶力は30過ぎるとみるみる悪くなるしなぁ…。それから、こないだ本屋で立ち読みした日本将棋用語事典のコラム欄に書いてあったのですが、森内名人がインタビューに答えて曰く、20代の頃の方が手が読めたそうです。今は手が読めなくなった分、大局観でカバーしているとか。名人でさえそうなんだから、凡人でしかも名人より年上の私なんぞ昔に比べて手が読めなくなって当然なんでしょうなぁ。名人との違いは、こちらは大局観でカバーなど無理で、読めなくなった分、純粋に弱くなっていることでしょうか(苦笑)。

 自分が25歳の時には、今が全盛期などとは夢にも思っていませんでした。まだまだ強くなれるもんだと信じていたのです。まさかそこがピークで下がる一方だとは。。。今思えば勉強して強くなれる期間というのは限られていたんですね。もっと精進しておけば良かったとです(泣)。
 そういう視点で今の自分を見てみる…。なんともったいない時間の使い方をしているんだろう、10年後の自分が見たらそう思うのではないでしょうか。時間とともに失ってしまうもの、それは将棋の読みの力だけではありません。今できること、すべきことにもうちょこっと真剣に向き合わなければ…そんなふうに考えさせられた赤い本なのでした。

2005年2月15日(火)
ホームページ開設

今更ですがホームページを作ってしまいました。
 実は家内がホームページを持ちたいと言うので作成ソフトだけは一年近く前に購入済みだったのですが、その後転勤のため引っ越ししたり披露宴をやったりと忙しい時期が続いたため長らく手つかずだったのです。それがどうして今になってホームページを作り出したかと言いますと、最近ようやく時間的余裕が出てきたことと、転勤先に将棋友達がいて休止していた将棋をまた指すようになったこと、さらに家内の料理熱が高まり改めてホームページ作成を要望されたことなど動機づけとなる要因がいくつも発生したからです。とは言え私はホームページなど作ったことがないですし、教えてくれる人もいません。パソコンも最低限の操作しかできない素人なのです。ホームページ作成ソフトの力でなんとかここまで作ることができましたが、普通の人なら10分で済むところを1時間も2時間もかけ、せっかく作ったものを誤って消してしまったりなど数え切れないほどの失敗を繰り返し、それこそ艱難辛苦の末に誕生したのがこのページなのです。
正直ホームページを開設できただけで目標達成という感じですので、更新ペースは牛歩の如くゆっくりしたものになるでしょうし、掲示板へのレスもあまりできないと思いますが、始めたからには自分なりに一生懸命運営するつもりです。どうか気長におつき合い頂けたらと思っています。

将棋厨房「ホームに戻る」