さて、今回の目的地は、この路線からさらに東武線に乗り換えて、千葉県の西端に位置する野田市である。野田市は江戸時代より、銚子と並んで醤油の一大生産地として発展してきた。醤油の生産による富と人の蓄積により繁華な場所であった。同時に関八州の中でも、博徒やごろつきの多いところでもあったが、現在はキッコーマンの企業城下町として交通の便の決してよくない場所にもかかわらず、その繁華さを維持している。
東武野田線の愛宕駅から、始めに向かったのは市民会館である。
市民会館と言っても、この市民会館はよくある箱物行政的な建築物ではなく、キッコーマンの創業者茂木一族の本宅であったところである。迎賓館も兼ねていたこの建物は、電話やシャワー、冷蔵庫、さらにはガスの自動販売機まで、当時としては最新鋭の設備の整っていた。梁材などの建材も最高級品を使った贅を尽くした瀟洒な建物ではあるが、驕ったところを感じさせない建物でもある。
現在は市民に開放され、我々が訪れた時には相撲甚句大会が催されていた。
相撲甚句とは
「ふにゃふにゃ、こんにゃくは味噌をつけると田楽で、味噌がなければ倹約だあ〜。は〜ドスコイ、ドスコイ」
こんな感じであった。初めて聞いたが妙に新鮮なものであった。
市民会館を後にした我々は、野田の街を散策する。野田の街は甘い香りの漂う街である。その甘い香りははメロンの香りのようである。
しかし、ところどころで、風に運ばれてくるのかその香りが濃密になる場所があり、鼻を突く刺激臭はその甘い香りが醤油の匂いであることを思い出させる。風に運ばれてくる濃密な醤油の香りは、慣れない者にとって、不快なものでもある。独特のにおいや景色そして雰囲気というものは、企業城下町の宿命と言えるだろう。
野田の街は見所の多い街で、それが散在していることもあり、散策には打って付けの場所である。ところどころに現れる近代建築、記念碑、寺社仏閣、雨乞いの儀式から始まった祭りの会場である愛宕神社は竜の頭部をイメージさせるバランスの取れた社殿である。
さて、野田における雨乞いの儀式とは10メートル弱ほどの棒を天に向かって垂直に立て、その上に“ジュウジロサン”と呼ばれる雨蛙の恰好をした男が登るというユーモラスなものらしい。一度見てみたいものである。それにしてもジュウジロサンの名前の由来はいったい何なのか。興味の涌くネーミングである。
古い町ならではの独特な御土産や銘菓もある。我々はその中で最も興味を引いた“醤油カステラ”なる物を食べてみた。果たして甘いのか、しょっぱいのか。
一口食べてみると甘い、甘いが醤油の味もある。そのとり合わせは絶妙なバランスの上に成り立っていて、どちらかに少しでも偏るとおいしさが崩壊しそうであるが、その危うさが微妙な味わいをかもし出しているとも言える。
最後にキッコーマンの工場見学を行なう。最近の食品関係の工場は驚くほど清潔である。食品メーカーが工場見学を積極的に行なうのは、食の安全というものが重視されるようになったことで、衛生的な工場と生産工程を見せることが言い宣伝になるからであろう。消費者にとってはありがたいことである。無料で工場を見学させてもらった上に御土産までついてくるのである。ちなみに、キッコーマンの工場見学の御土産は、懐かしい形の醤油指しに入った醤油であった。