品川宿・・(2004年6月19日)

別に箱根の旧街道を歩いたからと言うことではないが、旧東海道の品川宿を歩きに行ってきた。出発地点は大森である。 大森貝塚の記念碑と大田区と品川区の境界を挟んで全く別の場所にある大森貝塚公園を回る。 記念碑は一般ビルの敷地内に申し訳なさそうに設置されているささやかなものである。 貝塚公園はバロセロナのグエル公園を意識した造りで、お金を掛けて整備されている。
その後、鈴ケ森刑場跡へ向かう。ここは江戸時代の処刑場で1651年丸橋忠弥を皮切に八百屋お七などが露と消えた。
ガイドによるとこの刑場跡から旧東海道品川宿散歩コースが始まっているが、 見るとなんの変哲もない車どおりの少なそうな舗装道路がまっすぐはるか遠くへつながっている。 なんと言っても暑いこともあり、旧東海道の面影を再現して整備されているという青物横丁まで京急に乗ることにした。 大して歩いていないが青物横丁の普通の造りだが変なメニューの多い喫茶店で休憩を取り、いざ旧街道へ足を向ける。
整備された旧街道は人通りの少ない商店街のようである。 舗装道路の両脇を申し訳程度にインターロッキングで舗装し、たぶんそれらしくデザインしたつもりなのであろう街灯と茶色に塗られた普通の電信柱が立っている。 残念ながら旧東海道の面影は微塵も感じられない通りであるが、ところどころに見所はあり、散歩するには最適なコースである。 ここらあたりになると商店街としても人通りがある程度あり、活気が出てきている。
樹齢600年であまりに巨大になりすぎて地中から摂取する栄養分では満足できず、空中から窒素などの栄養分を取る枝根を枝から垂らしている大ヤナギや 昔からの畳屋さんなどを見ながら品川へ向かう。 途中目黒川を渡る品川橋で人だかりがあり、おまわりさんが出動している。 どうした。事件か?聞くと、目黒川にカルガモ親子がいて、道路を横断するかもしれないのでおまわりさんが出動したそうである。 なんとも都会の田舎らしいほのぼのとした事件である。
山手通りを渡るとそこから北品川商店街が始まる。
この商店街こそ旧東海道の品川宿があった場所で、通りを挟んで土蔵相模などの旅籠、木賃宿、飯盛旅籠などがならんでいた場所である。 江戸時代、品川宿は目黒川の北側を北品川、南側を南品川と呼ぶ宿場というよりも巨大なひとつの町であった。 後に設置された品川駅が品川宿の北方にあるため京急北品川駅は品川駅の南側にありながらキタ品川駅である。ちなみに品川駅の住所は港区である。 北品川は京浜国道が整備されて、南品川は勢いを失っていくが、北品川は北品川カフェー街という品川遊郭の町として赤線廃止まで人の集まる繁華街であった。
現在の北品川にあるのは高度成長期に形成された商店街であり、品川宿の面影も品川遊郭の面影も皆無である。ただし、この商店街は魅力にあふれている。 昭和四十年代から昭和五十年代の商店街が繁華さを失わずに存在しているからだ。 当時の商店街自体は全国に多く残っているが、そのほとんどが寂れているか、小規模だからである。 北品川商店街は地域の人々の中に生活の一部として存在し続けている。店の前の縁台でおっちゃんが涼んでいる。 商店街の向こう側には品川の近代的な高層ビル群がそびえている。このアンバランスさが絶妙な構図である。 商店街からは無数の横丁が出ていて、その一つ一つに虚空蔵横丁やら黒門横丁やら名前がついている。往時の賑わいは細い横丁にまで及んでいたと想像できる。
当初の予定では品川まで出て、居酒屋に入ろうかと考えていた我々は、この商店街を離れるのに忍びなく、商店街の中の小さな小料理屋に入ることにした。 時間は早く、未だ空に太陽が存在している時間にもかかわらず、飲み始めるのは至福でもある。 ビールがのどを潤すと、夏の散歩も満更ではないと思えてしまう。
さて、箱根、品川と旧東海道を制覇した次はどこへ向かおうか。