柳 絮・・(2004年5月22・23日)

今回の修学旅行は近江八幡である。近江八幡は豊臣秀吉のおいである豊臣秀次によって織田信長の安土を再興する目的で開かれた町で、今から四百年あまり昔の話である。秀次自体は秀吉に疎まれ、一族抹殺されてしまうのだが、近江八幡は衰亡することはなく近江商人の町として存続した。
豊臣秀次の時代から三百年後の1905年に宣教師として近江八幡に赴任してきたのが、ウィリアム・メレル・ヴォーリズというとうアメリカ人であった。ちなみに秀次の時代は日本におけるキリスト教最盛期で百万人近い人が信者であったという。当時の人口が二千万人ほどであるからその多さが知れる。現在の日本では三十万から四十万くらいと言われる。(ちなみに日本の各宗教法人の信者数を合わせると2億1457万人になるという。日本人の3分の2が無宗教であるとも言われるので信者数が計算の仕方で大きく違うということである)
ヴォーリズは建築家としても著名で関西を中心に数え切れないほどの設計をした。実は正確な記録がないので数え切れないのだが、大坂芸術大学にある資料によると戦前だけでその数千五百以上といわれる。計算すると週に一件の割合であるからすごい。それだけでなく、学校や病院の開設、薬の販売や金物の製造などの事業を行なっている。それらの事業は昭和9年に統合され、メンタームで有命な近江兄弟社となる。
町の北側に近江兄弟社学園というまんまな名前の学校がある。その校舎が白と緑のコントラストの綺麗なつくりで、メンタームのコンセプトに合わせた様子が窺える。ただし、現在の建物はヴォーリズの設計ではない。
我々は、ヴォーリズが後半生を過ごした自邸であったヴォーリズ記念館でゆっくりとした時間の中で、彼の業績を紹介するビデオを拝見させていただいた。
その自邸はヴォーリズが設計した豪勢な西洋建築とは違い、質素なつくりである。ヴォーリズは事業の収益のほとんどを布教活動に費やしたという。真摯で清貧で典雅な印象がある人物であるが、なぜか他の著名な建築家などと違い、親しみやすい印象を併せ持っている。尊敬されると言うよりも敬愛される人物だったのであろうと思われる。
ヴォーリズが愛した町近江八幡にはその建築物が数多く残っていることで有名である。町に点在している建築物をぶらぶらと散歩しながら、見て回ると、それだけで近江八幡の町を一回りしてしまった。それほどこの町は小さい。小さいが寂れているわけではない。通りを歩く人の数の多さは、田舎町のそれではない。古い町であるが、魅力のある活気に満ちた町なのであった。そこには町を愛し、町を守ってきた人々の気持ちがある。ここを出身地とする人は故郷を自慢したくなるそんな町だ。大都市に全てが集中しがちな昨今ここは別世界に存在する町なのかもしれない。

さて、小さい町であることもあり、時間があまった。そこで水郷めぐりの手漕ぎ船に乗ることにした。船着場に行くと、そこには観光客が驚くほどいる。それほど有名だったのかと多少戸惑いながら船に乗る。手漕ぎ船といってももちろん自分で漕ぐのではなく、船頭さんが漕いでくれる。
船頭さんは一本の櫓を器用に扱い、狭い水路を右へ左へ曲がりながら、水郷地帯を目指す。船の速度は遅い。チラシのコピーには「日本一遅い乗り物」とある。
花の季節には少し遅かったらしい。それでも水路端にはところどころに花が咲いている。瀬の高い葦に囲まれた水路が突然広がり、視界が開けた。そこが西の湖と言う水郷地帯の始まりである。西の湖の真ん中を突っ切る。
手漕ぎ舟は、櫓のきしむ音を立てている。音はそれしか聞こえない。葦の頂につかまってヨシキリが鳴いている声が遠くに聞こえる。そして船は再び水路に入る。
日本一遅い乗り物と称しているこの船は、時折現れる土手の上を歩く釣り人よりも遅い。
水路の水が泥色ににごっているのは田植えの時期の特徴だと船頭さんから聞いた。この季節は田植えで水田が動き始める季節だ。冬の間なずんでいた水は田植えで攪拌され循環を始める。水田に新たなる息吹が注がれ、胎動が始まる。その胎動は梅雨を越え、夏を越え、台風に耐えて秋まで続き、我々に実りを与えてくれる。田植えは儀式だ。日本民族の聖なる儀式だと思う。
その儀式の余韻が水郷まで及んで、水郷の水をにごらせている。泥色は聖なる色だと思っていい
水郷の縄手には柳が植えられている。梅雨前のこの時期に柳の種子が雪のように白い綿毛をつけて舞い落ちる。この種子を柳絮という。綿毛のせいで、柳絮は重力と空気抵抗にもてあそばれているように微妙な均衡の中にある。
我々の進むスピードもまた日本一遅い乗り物なのにもかかわらず、我々が見ている時間には、柳絮はわずか1メートル下にある水面に行き着くことがない。
その空間だけは時間が止まっているようだ。そこには悠久の時間がある。時の流れとは場所ごとに違う、今日改めてそのことに気づかされた。場所によって時の流れる速度が違うということは、今流れの遅いところにいる我々はいつか流れの早いところでそのつけを払うことになる。今我々は時を浪費している。これは究極の贅沢かもしれない。
浦島太郎の作者はきっと柳絮の落ちる様を見ていて、物語の着想を得たにちがいない。究極の贅沢を三年続けた浦島太郎がそのつけをはらわなくてはならないのは必然であった。

その時、顔にわずかな風を感じた。我々にはわずかな風であるが、柳絮はその風に乱舞する。柳絮が乱舞するので有名な古都がある。その都市の名をピョンヤンという。奇しくもこの日拉致家族5人が日本に帰国するのだがそれは近江八幡の水郷とは何の関係もない。
ここはせわしい世間から隔絶された別世界なのである。