箱根八里・・(2004年4月10・11日)

箱根旧街道石畳はもっと観光地化された場所だと思っていた。迂闊であったとしか言いようがない。 旧街道ハイキングはもっとハイキング道のようになっているのかと思った。迂闊であったとしか言いようがない。
箱根湯本駅に午前10時に集合した我々は意気揚々と出発した。駅の案内人?が我々に言う。
「旧街道登るの?!まあ昔の人が登った道だからねえ」
意味深な言葉である。
されど我々は意に介せず、いざ登山道入り口をくぐるのであった。
太陽は初夏の陽気で我らを照らしている。ものの3分で汗がにじんできた。それでも日陰や頻繁に訪れるとおり風は心地よく、これほどのハイキング日和はなかなか望めないなどと話しながら歩く。道は初め一般道で、車の往来もかなり多い。 アスファルトの上を歩くことしばし、会話は盛り上がる雑談から一向に現れる様子のないハイキング道へと変わった。
「おかしい」
誰もがそう思い始めて、初めて我々は地図を広げた。地図を広げる我々のすぐ横を車が通り過ぎていく。気分のいいハイキングのはずが、なぜにこのように排気ガスばかり吸わねばならないのか不条理さを感じる。
「空気を我らに新鮮な空気を」
と誰もが思ったその時、
「もうすぐ石畳のハイキング道がある」
との声に勇気百倍元気無限大。勇躍足が動き出した。
そろそろじゃないかと思い始めたとき、見えてきたのは待ちに待った石畳入り口の矢印。が、その矢印は今我々が歩いてきた方向を指している。これが意味することは、そう、石畳を通り過ぎてしまったということだ。 愕然とする我々は即座にバスに乗ることを決意した。地図にある石畳のハイキングコースの入り口までバスで行くのだ。そうと決めてバス停まで急ぐ我々の後ろからバスが無情にも無常な排気音を残して去っていった。力なく歩く我々の先に現れたバス停は次のバスまで30分あることを示していた。 当然これ以上排気ガス吸いながら一般道をハイキングするつもりはない。待つこと30分。坂を登って来たバスには観光客がいっぱい乗っていた。
「そうか、みんなバスに乗って、石畳のハイキングコースが始まるところまで行くのか」
納得する。バスに乗ること10分あまり、目指すバス停に着いた。降りたのは我々だけである。バスに乗っている人たちは我々を
「この人たちちょっとだけバスに乗って何考えているのかなあ」
という顔をしている。
いいのだ。われわれは「ハイキング」に来たのだ。決して温泉つかっておいしいビールを飲みに来たのではない。と自分を納得させ、歩き始めた。
ここからは山道である。もう脇を車が通ったりしない。
「ハイキングだ。これぞハイキングだ」
と思っていると森のどこからか、祭り囃子が聞こえる。森の奥になにやら神社らしきものがちらちらと見え隠れしている。神社はかなりの規模らしい。ぐるりと一面を仙台の七夕祭りの飾りみたいな物で飾ってある。その飾りは三段になっていて、高さは5メートルほどになろうか。その飾りに隠れているのか、人の姿が全く見えない。いや人の気配もしない。祭り囃子は途切れることなく続いている。飾りが風に揺れて擦りあい異質な音を立てている。あの神社はなんと言う神社か地図を見るが、載っていない。ガイドにも載っていない。そもそも神社かどうかも定かではない。夢の世界に迷い込んでしまったのではないか。祭り囃子は全く途切れない。人の声も気配もしない。回り込んで覗き込むと神社には「狐」が。
そんなことはなく、人がいた。しかし、怪しげな雰囲気には変わりない。 見てはいけないものを見てしまったような気がして、その場を足早に離れることにした。今もってあの神社らしきものが何だったのかは明らかにされていない。
気を取り直して、歩く我々の足元に石畳が現れた。
「おおっこれぞ江戸時代から続く石畳。思ったよりも状況がいいではないか」
と思ってタイムスリップした気分でロマンを味わっていると看板が出てきた。
「これより江戸時代の石畳」
んっということは今まで歩いてきたのは?
それは先頃修復された石畳であった。ここら辺の石畳は保存が悪く部分的にしか残っていなかった。そこで現代になって通学用に補修したらしい。通学用!?
こんなとこ通学するんか。箱根の子供たちは偉い。
江戸時代の石畳は角が丸くなっていて、明らかに現代の石畳と違い、歴史を感じさせる。しかし、歩きづらい。踏み固められた土の道の方がかなり歩きやすい状況である。なんでも雨が降ると道がぬかるんで歩けなくなるので石畳が敷かれたとか。なるほどしかし、歩きづらい。まるでずっと足つぼマッサージを受けているような感じである。 しかも急坂が頻繁に登場してくる。階段ではないから、登りもつらいが下りの方がさらにつらい。我々は湯本から箱根へ向けて歩いているから登りの方が多いが、逆コースだとこれはつらいであろう。
畑宿まで歩き、コースの半分まで来た。ここで昼食。名物とろざるをいただく。うまい。とろざるがうまいのか、歩いてきたからうまいのかそれはよくわからない。最後に蕎麦湯をいただく。うまい。やっぱり蕎麦がうまかったのだ。満足。とろざるはお勧め。店の名前は、え〜と忘れました。
エネルギーを注入した我々はまた歩く。人とは滅多に会わない。我々は最大の難関、橿の木坂に差し掛かった。ここが東海道中最大の難所だったそうだ。いまは195段の階段が続いている。看板がある。
「橿の木の、さかをこゆるばくるしくて、どんぐりほどの涙こぼる」
どんぐりほどの涙って人の流せる涙か。坂は続く、あそこが坂のてっぺんだと思うと先に階段が続く。それを何度繰り返したであろう。登りがつらいというよりもがっかりして涙が出てきそうになった。 苦しんできた坂はいつしか終わった。どこで終わったのかよくわからなかったが、そこには第二の目的地甘酒茶屋があった。休憩。しかし、それにしても人が多い。茶屋は満員である。外国の方もたくさんいる。この人たちはどこから沸いて出てきたのか。 あとで気づいた話ではバスに乗って甘酒茶屋まで来てからハイキングを楽しむ人が多いとか。
「そんなのハイキングではない」
と大きな声を心の中に響かせながら休憩。
そして出発。ここまでくれば楽勝楽勝である。鼻歌が出てくるぜ。とかいいながら歩く我々の前方にのっそりと現れたのは、石畳の急坂であった。しかも、今までで一番の急斜である。一番の難所は越えたはずなのに、泣き言を言っても始まらない。我々は歩く、というか登る登る。そして下る下る。 足が棒になり、へとへとになって終点の元箱根近くまで来ると休憩広場があり、石碑がある。石碑曰く
「箱根八里は馬でも越すが越すに越されぬ大井川」
やっと箱根を登って来た人にそんなセリフがよくも言えたものだ。
元箱根に着いた。我々は箱根を踏破した。時間にして約四時間。よくも歩いたものだ。四時間のうちに昼食に約40分、休憩に30分、バスに乗ること10分、バスを待つこと30分。歩いた正味は約2時間。そんなに歩いたわけではないと思った方は是非どうぞ。 その後我々は温泉へ。足がしびれるほど気持ちいい。石畳につぼを刺激され続けた足裏が気持ちいい。ふくらはぎがぴくぴくして気持ちいい。 温泉を出た我々は生ビールをいただく。のどがちくちくして気持ちいい。極上の世界を堪能している感じである。温泉入ってビールを飲む、これこそ旅の目的だ。