流れ者鬼ごっこ・・(2003年6月28日)

そこは流れ流れて来た者が最後に吹き溜まるところ。時代の流れに取り残された街は、何人であろうと来る者を拒みはしない。そこは色を失った街、居場所をなくした流れ者のオアシス。うらぶれた街にうらぶれた人、社会と人生の狭間に見え隠れする人間の裏面を垣間見ることが出来る。

新宿戸山台地と四谷の高台の合間の谷底には曙橋がある。曙橋から四谷側の斜面に沿ってその街荒木町界隈は形成されている。かつては昭和30年代初頭まで花街として賑わいを見せていた。高度成長に日本中が沸き返り始めた頃、いつしか、時代の波に取り残され、そして、忘れ去られていった。かつての旦那衆の足は遠ざかり、どこからともなく、追い立てられるように全てのことから逃げてきた人たちが居場所をなくして集まってきた。ふたたびここを旅立っていったものもいれば、ここを終焉の地に選んだ者もいた。

時は流れて、変化という言葉と無縁に過ごしてきたこの街にはバブルの狂想曲も聞こえてくることはなかった。都心の真中の四谷という場所柄バブルの開発の波が押し寄せなかったのは奇跡に近い。荒木町界隈の周辺には地上げの跡があるし、新宿通り沿いは全て雑居ビルのような建物に変わっている。坂を下る方向にあるせいか、新宿通りのビルの壁に隠れて見つからなかったような印象である。

時代の流れに乗らなかった荒木町界隈は、現在でも場末なイメージを色濃く残した飲み屋街となっている。花街特有の狭い路地や抜け道が入り組んでおり、薄暗い雰囲気は隠れ家的な匂いがする。飲み屋の灯りがどことなくぼんやり見える。空間が捻じ曲がっているような感覚がする。なにもかも曖昧で、ここでは明確なものは罪である。

しかし、荒木町でも周縁部からついに開発の嵐はやってきている。外苑東通り沿いにマンションが立ち並び始めている。かつての建物にも老朽化は否応なく押し寄せてきている。車力門通りなどの大通り(大通りと言っても荒木町においては大きいと言う程度)は建て替えがかなり行われ始めている。これから荒木町はどうなってしまうのか。開発の荒波に抗しきれずどこにでもある街になってしまうのか。それはまだ誰にもわからない。

このパラレルワールド荒木町で鬼ごっこをするのは去年に続いて2度目である。本来であれば2年続けて同じ場所ではなく、別の場所で行う予定であった。残念ながら、ここ荒木町界隈以外で鬼ごっこに適した場所をみつけることは一年かけても出来なかった。ここはやはり他に類を見ない街なのだ。

18:00まだ明るいうちに、3人づつ6チームに分かれた参加者は、15箇所に渡るポイントを探しに荒木町へ散っていった。10分後、我々鬼二人組みもゆっくりと荒木町へ足を踏み入れていった。

花街と言う特性上荒木町界隈では、路地が入り組んでいて、見通しが利かない。そこで、我々鬼は獲物のチームを見つけると先回りをし、路地の角に隠れている。獲物のチームはそうとは知らず、鬼が見えないことをいいことに無防備で歩いてくる。そして、突然路地から出てきた鬼につかまってしまう。
去年の鬼ごっこはこのやり方でいくつものチームがつかまった。しかし、今年は学習されてしまっていた。各チームは目に付きやすい大通りを避け、路地から路地へ鬼の死角になるように移動する対処方法を編み出していた。さらに去年と違い今年は荒木町を訪れている人が多い。いた!と思っても参加者ではないことが多い。時間はすぎていくが一チームも捕まらない。

地域住民のことや不測の事態が起こることを考えて、参加者には走るなと言ってあったのだが、一チームも捕まえられないのでは鬼の意味がない。我々鬼は走ってでも捕まえることにした。すると時間がたって気が緩んできたのかつぎつぎと捕まえていくことが出来た。
そんな中、一チームだけ捕まえることが出来なかった。そのチームは鬼に捕まりかけてチームがばらばらになるという危機を乗り越え、優勝。去年に続きつかまらなかったチームの優勝となったのであった。

それにしても、いい大人が袋小路に追い込まれ息を殺して隠れていたり、路地の角から大通りを覘き込んでいたり、関係のない人々が怪訝そうに見ていた。しかし、そんなことは言ってられない。とにかく夢中なのだ。視線は痛いがそれを気にしたりしている余裕はどのチームにもなかった。

来年はどこで鬼ごっこをしようか。それが問題だ。