桜の庭の満開の下・・(2003年4月5日)

桜の花は美しい。人々を魅了する。そしてはかない。ゆえに妖しい。
日本人は桜が大好きだ。桜の季節は短いのでどの桜を見に行っても人だかりとその喧騒で落ち着いて見ることはできない。でも桜は美しい、いや落ち着いてみることができないから、美しいと思えるのかもしれない。

こんな経験をしたことはないだろうか。宴の最中、ほろ酔い気分でふと上を見上げると、桜の花が降りかかってきて覆われるような感覚になる。そして、そのまま引きずり込まれるような気がする。あなたは危うく、あなたでなくなるところだったのかもしれない。

夜、人々が寝静まったころ、桜を見に行ってみよう。静寂と闇が支配する空間に、桜だけが白く映えている。暗いはずなのに桜の満開の下だけほんのり明るい。昼間は見ていたはずなのに、夜は見られている。桜の木があなたを見て、ひそひそと噂話をしているような気がしてくる。桜の花びらは一枚また一枚と音もなく降りかかってくる。留まっていると吸い込まれそうだ。足早に立ち去ろう。

桜には何かが棲んでいる。桜の枝を折ってはいけない。なぜなら器物損壊だから。それなら、銀杏の樹を蹴飛ばしてもいけないし、種子の実ったたんぽぽを取り種を吹き飛ばしても器物損壊であるが、そのようなことに罪悪感を感じる人は皆無だ。これが桜の枝を折るとなるとその罪悪感で人格が押しつぶされそ うになる。はるか昔から日本人は桜の花の妖しさとそこに潜む何かに恐れを抱いていた。われわれ日本人の遺伝子に、長年に渡り擦り込まれた桜への恐怖心は現代になっても消えることはない。

今年も、Rekisanに花見の季節がやってきた。今回の花舞台は2年前と同じ「横浜花木園」だ。2年前は花見を楽しみにしている人々をあざ笑うかのように「大雪」であった。そして、今年は「嵐」であった。思えば1年前、3月から初夏のような陽気が続き、花見のシーズンには早、葉桜となっていた。われわれの中に桜に対して何か恨みを買うようなことをしたものがいるに違いない。

さて桜に呪われたRekisanの花見。来年の花見の運命やいかに。