集合場所は新木場。出発は9時のはずだが動き出すけはいはない。やはり遅れている人がいるようだ。10分たった。20分…30分。まだ待つのか。たった3分遅れで新木場駅を猛ダッシュした我らがN氏の立場はどうなるのだ!?と憤りを感じ始めたその時、最後の参加者が乗り込んできた。かわいい女子高生2人組。一斉に頬の緩む男性陣。さっきまでの憤りが支配する雰囲気は霧散し、バスは遠足気分でゆっくりと動き出したのであった。
早くも日曜日の喧燥が始まりかけているお台場の繁華街を抜け、海底トンネルへ。ここからが一般人未到の地だ。と思ったら、一般車両も走っている???実は最近、品川区城南島と中央防波堤が海底トンネルで結ばれ、一般道として開通したのだそうだ。なかなか面白そうな道なので機会があったら一度通ってみることをお勧めする。が、平日はトラックとコンテナ車でとてもドライブ気分になれる道路ではない。(後日実証確認済)
さて、最終処分場はまずゴミの集積場と破砕分別場がある。ここで前述の疑問が解ける。従来、ゴミはそのまま埋め立てられていたが、現在では燃えるゴミは焼却後、その灰だけを埋め立てる。燃えないゴミに至ってはリサイクルできるものは分別されリサイクルへ、さらに残ったゴミは破砕されてその体積を最小化されてから埋め立て地に運ばれている。さらに都民の分別収集への協力もゴミの少量化に大きな貢献があるそうだ。われわれの取るに足らないささいなことがゴミ問題を解決しているのだ。社会問題の解決に我々が出来ることは多いはずであると認識できただけでもこのツアーには大いなる意味がある。
そして肝心の埋め立て処分場へとバスは移動する。埋め立て処分場のイメージは一面の海鳥の群れ。その中で海鳥に囲まれてもはや姿の見えないブルドーザーらしき物体がなにやらうごめいている。ある意味一般人が踏み込んではならない聖域のような印象を与える亜空間といったところである。しかし、そのイメージはいとも簡単に覆されてしまう。現在のイメージは高級住宅用宅地造成中の高台という感じである。海鳥など一羽もいない。海鳥が集まる標的であるかつてそのまま埋め立てられていた生ごみがないのだ。もはや埋め立て処分場は海鳥たちにとって楽園ではなくなっていた。しかし、よくみるとカラスは結構いる。話しによると不燃ゴミとして捨てられたコンビニ弁当の食べ残しが処理しきれずに残っているらしい。そんなものをカラスは餌として狙っているのか。もはや海鳥が生息できなくなった環境でもカラスは生息できるのだ。最終処分場まで来てカラスの生命力の強さにあらためて感心(というか恐怖ですらある)させられるとは思いもよらなかった。 さて、高台に登るとその向こうに最果ての海が霞んでいた。ここが大都市東京のつきる所だ。そこは都心の繁栄のうらはらを凝縮したようなどこかさびしいそしてどこかせつない場所である。やはり人が踏み込んではならない雰囲気をもったとても居心地の悪い場所であった。 管理棟展望スペースから絶景とは言い難いが眺望を楽しむことも出来る。お台場から頭だけ見えた巨大な風車は「東京風ぐるま」と名づけられた風力発電施設で稼動直前とのことであった。ゴミ収集の歴史をパネルで勉強した後、ツアーは夢の島植物園にて終了。ツアー参加者は植物園に無料で入れるのだが、ほとんど入っていかなかった。ゴミを散々見せられた後、植物園で植物鑑賞という気分にならないのは当然だ。
Rekisan一行はこのあと、レインボーブリッジの歩道を踏破した。が車道のすぐ脇を通っているので騒音と排気ガスがひどく、とても生身の人間が風景を楽しむことなどできない。人間の健康と環境というものを全く考慮していない。そもそもあんな場所を開放する神経が知れない。「人が通ろうと通らなかろうと関係ない、たとえ通る人がいてもその人が楽しむかどうかは関係ない」という意識がありありの施設である。ニューヨークのブルックリンブリッジと比較すると、よくわかる。ブルックリンブリッジは車道の上に歩道がある。視界はニューヨークのスカイラインが一望でき、開放感があり、ニューヨーカーも観光客もたくさんの人が歩いている。一方、レインボーブリッジの歩道の脇は一般道、上は首都高速である。人はほとんど歩いていない。ニューヨークと東京の観光施設に対する意識の違いが如実に現れている。有料施設にしても高速道路の上に歩道を作っていたら、世界に誇れる観光施設になっていたことであろう。
今回は公共施設をふたつ見たわけだが、「無料なんだから文句言うな、見せてやってるんだぞ」という意識がありありの施設で、それならいっそ有料にしてでも、ホスピタリティを大事にして欲しかった。
だからと言うわけではないが、最後のボーリング大会は参加者が欲求不満を解消するためなのか異常な盛り上がりであった。