パラダイス  2002.11.23



そこは、かつて「パラダイス」であった。「パラダイス」いやもう少し、甘美な感じだ。ひらがなにしてみよう。「ぱらだいす」古いフルーツパーラーの名前のようだ。英語では「Paradise」B級ハリウッド映画だ。「パ〜ラダイス」うん、こんな感じか。「パぁ〜ラダイスぅ」おおっ、感じ出てきた。

そこは、かつて、「パぁ〜ラダイスぅ」であった。残念ながら「かつて」である。そこは現在の東京江東区の東陽2丁目あたり、かつて、洲崎と呼ばれた赤線地帯である。そこを「パライダイス」いや「パぁ〜ラダイスぅ」と定義したのは、映画監督「川島雄三」の「洲崎パラダイス」と言う映画だ。川島は喜劇映画の監督であった。が、不治の奇病を患っており、明るい未来など望むべくもない人生を送っていた。そのため、映画は喜劇であり、笑える、明るく、楽しい、映画でありながら、どこか悲しく、どこか暗いものであった。映画の舞台となった洲崎もまた、華やかで明るい場所であったが、所詮遊女にとっては苦界であり、虚飾の部分が多く、人間の欲望の掃き溜りが、腐って沈殿しているようなところであった。古今東西、人の集う繁華街「パぁ〜ラダイスぅ」とはそんなものかもしれない。

現在の洲崎はと言うと、2,3の建物が往時の面影をかすかに残すのみで、全く普通の下町である。曇りと言う天気のせいか、赤線という先入観のせいか、どこかさびしく、どこか厭世観が漂っているような感じのする街である。はっきり言って、20人以上の団体がわいわい散歩するような場所ではないことは確かだ。

さて一行は、洲崎を後にして、下町らしい活気を今にとどめる深川近辺を通り、食糧ビルへと向かった。
取り壊してマンションになることが決定して以来、見学者が押し寄せていることは新聞等で知っていたが、まさか行列が出来ているほどであったとは思いもよらなかった。
欧米には多いが、中庭を設けたあのタイプの建物は日本では珍しい。外観は特に注目すべき点はないが、内部の意匠が古いまま残っているのは特筆すべき点である。現役のビルが内部の改装を行わず、使われて来た例は少ないだろう。映画などの撮影に数多く使われたのも納得が行く。ノスタルジックないい雰囲気である。ただあまりに人が多いのには閉口した。歴史的建造物はゆっくり見ることが出来ないと、その良さを感じることは出来ない。

食糧ビルの喧燥から逃れた後は、本日のメインイベントである「もんじゃ屋形船」だ。屋形船は以前から要望が多かったが、一人一万円ほどかかることから、却下されてきた企画である。今回、天ぷらではなく、もんじゃとすることで低予算で実現の運びとなった企画である。 40人乗りの船を半分我々が占め、月島を出航した。船は一路お台場を目指し、疾駆する。「う〜んやっぱり船はいい」とお酒も入り、みんな上機嫌になった頃、お台場到着。 そして、もんじゃタイム。こっちの方がうまそうだとか、おれの作ったもんじゃが一番だとか大騒ぎをしているうちに、気づくと帰る時間であった。もんじゃに熱中していたため、お台場の夜景などまったく見ずに帰ることなった。屋形船である必要があったのだろうか、しかし、みんなの満足顔を見る限り、これでよかったのだと思った。船に揺られたせいか、程よい酔いは終電間際まで、宴会を続ける要因となった。親しい仲間と楽しむ、ある意味、こういう時間こそ本当の、虚飾ではない、楽園「パラダイス」なのかもしれない。

最後に、川島雄三は明るい未来は望むべくもない人生を送っていたが、決して、希望や生きがいのない人生を送っていたわけではない。その情熱と才能はだからこそ発揮されたものかもしれない。

P.S. でもいちごミルクもんじゃは無理があるでしょ!