バブル  2002.11.3



戦国時代に堺の商人たちはお茶を飲みながら狭い部屋でビジネスのひそひそ話をしていた。これに注目したのが経済的感覚の鋭く、経済的覇権を握るべく商人に接近した織田信長だ。
信長は密談に最適なお茶会を政治的に利用した。下克上、裏切りが当たり前の時代、戦国武将にとってお茶会に参加するかしないかは死活問題となった。武士社会の間にお茶会の習慣 が広まると、茶碗などの茶道具の芸術性に注目が集まり、その価値は急騰した。お茶バブルの発生である。その収集を先頭になって行ったのが織田信長だった。そして、部下への報奨 に使っている。命を掛けて働いた代償が茶碗一個である。それでも人々はありがたがって受け取ったという。経済合理性を貴ぶ信長のことである。果たしてどこまで、茶道具の芸術性 を理解して収集していただろうか。従来の封建的社会を壊し、経済の活性化をもって富を得ようと意図的にお茶バブルを発生させたのかもしれない。武士の価値感にとって唯一といっ ていい土地変わりに金銀に代表される貨幣の価値を高め、報奨、給与として使い、金銀の流通が充分行き渡った段階では、次に茶道具に代表される商品の流通を図る。貨幣経済が浸透 し、土地を唯一の価値とする価値観が崩れてから、経営委託という政治的意味での土地の領有は認めていく。活性化させた経済を制し、その価値を認めさせて、その力で天下を手中に していく。旧来の制度や慣習を破壊するには価値観の一変させることから始める。極めて合理的で、革新的な、革命手法である。残念ながら信長がどこまで意図していたかは、もはや 誰にもわからない。

さて、お茶であるが、バブルになっているので当然、華美で派手になっていく。黄金の茶室などがその極みだ。しかし、ここに千利休というある種の天才が現れる。利休は商人ではあ ったが真摯な目でお茶というものを見ていた。利休は派手になっていくお茶バブルを、苦々しく思っていた。それまで漠然としていたお茶の作法や礼儀を体系的にまとめ上げ、さ らにオリジナルな部分を加えて、ここにお茶会を茶道として確立した。さらに、華美で派手な傾向にあったお茶バブルに対して、「わび・さび」にこそ芸術的価値があるとした。行き 過ぎたバブルに対する反感は既に大きかったのだろう。利休の考え方は有力者の間に大きな影響を及ぼしていく。利休の考え方を信奉する七哲のような人がいる一方で、派手好きな天 下人秀吉とは政治的な対立へとつながっていく。そして、その最後は…

さて、利休が「わび・さび」というものに美を見出そうとしたことは、その後の日本人の美意識に大きな影響を与えることとなった。世界的に見ても一つの民族全体が、派手なものよ りも「わび・さび」に対して美を見出すことが出来る地域はない。日本人の美意識を形成する上で茶道の果たした役割はあまりにも大きい。

今回のお茶会の舞台は、昨年の現代モダン様式のお茶室と打って変わり、昭和初期に造られた、格式と雰囲気を併せ持つ旧前田侯爵邸和館にて行われた。当日は真冬のような乾いた空 気と凛とした寒さの中、背筋を伸ばし、気の引き締まったお茶会が行われた。茶道に関して初心者である我々は形式ばらずに行ったが、決して形を無視してはならない。形の崩れは気 持ちの崩れにつながるからだ。しかし、同時に楽しむ気持ちも忘れてはならない。お茶会の起源はそう「ティーブレイク」なのだから。