Tag  2002.7.6



欧州の街には迷宮のような部分がある。旧市街と呼ばれる地域には中世の頃からの建物が密集して残っている。そこには普通の人々の日常生活が存在しているにもかかわらず、一歩踏み込むと、異次元的な感覚が体に纏わりつく。まるでラビリンスに迷い込んだかのように。

東京にそのような街を探してみると実に数少ない。あらためて思う、「東京は新陳代謝の激しい街である」と。残念ながらその代謝はほとんどが無計画に遂行されてしまう。そのため新旧入り交じった街ができて行く。バブル時代は、開発が街の開発ではなく、建物個体の開発であったため、東京のほとんどが見た目に醜い街となってしまった。新陳代謝が激しいのは悪いことではなく、むしろ歓迎すべきことだ。街の活力の証明であるからだ。

さて、数少ない東京迷宮の代表例がふたつ新宿区に残っている。ひとつはあの神楽坂。もう一つが知る人ぞ知る荒木町界隈である。そこは大人の特にサラリーマンの癒しの空間である。華やかなOLや若者は決して似合わない。かといって新橋のように疲れた男たちのイメージではない。活きた大人たちが充実した時間を楽しみに来る所だ。イメージは銀座のルパン(超有名バー、最近は観光名所と化してしまった)のある路地だ。あのような路地が入り組んでまるまる残っている街それが荒木町界隈である。


この街の特徴を活かして企画されたのが、あのなつかしい鬼ごっこだ。小学生になった頃にはもう鬼ごっこなどした覚えはない。「もう子供じゃないんだから」などと思いつつ、夕暮れ前にスタートする頃にはわくわくどきどき。路地の角で覗き込むときの昂揚感、見つけたとき見つかったときの興奮。いやなことも悲しいことも悔しいこともすべて忘却し、いつのまにか没頭して行く。

久しく忘れていた。鬼ごっこって、こんなに楽しかったことを。伝統的な子供の遊びは人間の心理学的研究結果が綿密に折り込まれているんだきっと、でもなければこんなにはまってはいかない。

いい大人たちが路地裏で鬼ごっこをしているのだから、街の人々は驚いたことであろう。普通に考えれば恥ずかしいかもしれない。しかし、熱中している我々にはそんなことが気になるはずはなく、時間はあっという間に過ぎ去り、日が暮れて行く。もうすぐ終わりの時間。あの帰らなくてはならない口惜しかった感覚が蘇る。しかし、あの子供の頃と決定的に違うのは、夕暮れが意味するのは帰る時間ではなく、ビールの時間だということ。大人の特権である。