稲荷            2002.6.1

 

銀座はもはや固有名詞ではなく、日本の繁華街を表す普通名詞となっている。しかし、その繁華街としての歴史は長いわけではない。喧嘩と並んで江戸の華と言われた火事の被害は明治の時代になっても甚大であり、苦慮した明治政府は東京の街を煉瓦の街にしようとした。そして明治7年京橋から新橋までの銀座通りを一等煉瓦地とし、繁華街銀座赤煉瓦通りが生まれ、近代国家日本の繁華街の象徴としての銀座が始まった。この赤煉瓦通りは関東大震災で崩壊し、その時の煉瓦を使って作られたのが戸越銀座である。戸越銀座こそ銀座ファミリーの長男坊なのだ。

西洋文明導入の見本のような地位にあった銀座ではあるが、当時の人々は見た目は西洋化しても中身は日本人のままだったらしく銀座のいたるところに商いの神様である稲荷神社を建立した。建物が世代を重ねたいまでも、稲荷神社がなくなることはなかった。が、周りの環境は激変した。デパートの屋上にあるもの、路地の奥にひっそりとたたずむもの、ビルの軒に吸収されたもの、一見いい境遇にあるとは思えない。しかしそばへ行ってみるとすべての稲荷神社がきれいに手入れされ、お供えがされており、銀座の人々が信仰心を捨てずに大切にしていることがわかる。表通りを歩いているだけではわからない繁華街銀座の一面である。

今回rekisanでは銀座が持つエンターテイメント的要素に注目してみた。そして、そのエンターテイメント性は東京ディズニーランドにも匹敵することがわかった。しかも、それは意図的に計画されて作られたものではなく積み重ねた歴史が自然にそして必然的に育んできたものである。

奥深い魅力を滲みみせている銀座、rekisanではこれからも注目して行きたい。

ちなみに今回の優勝チームは呉服屋で稲荷マップ(そんなものが存在するのか銀座には?!)なるものを手に入れたキョン君チーム。圧勝でした。おめでとう。

あっ二次会でもらった焼酎のボトル飲みにいかなくっちゃ。<br>

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