羽後朝日岳(秋田県)

うごあさひだけ 標高1376m。

 秋田、岩手の県境にまたがる真昼山地の山で、和賀岳の北北東約5kmにある。 和賀岳とは稜線で続いているが、羽後朝日岳の山頂は秋田県側にある。 当たり前のことだが、地元では単に朝日岳と呼ばれているようで、国土地理院の地形図にもそのように記されている。 この山は一般的には有名とは言えないが、知る人ぞ知るといった存在である。 雑誌「岳人」の2002年4月号の「マイナー12名山」にも選ばれている。
 筆者が最初にこの山の名前を知ったのは、10年ほど前にNHKで放映されたドキュメンタリー番組によってである。 内容は、次のようなものだったと思う。 登山道のないこの山の頂上に石碑があり、昭和三年の日付と6人の名前が刻まれている。 どのような人がなんのために担ぎ上げたのか興味を持った登山者が調べた結果、 地元のある男性のお祖父さんが仲間と運び上げたことがわかった。 その地元の男性がお祖父さんの足跡をしのんで、道のない山の頂上に登り、 ついに石碑と対面することが出来た、というような話だった。
 また、蝶を趣味にする人にとってこの山は、 ベニヒカゲという本州では山岳地帯に生息する蝶の、本州における北限の地として知られている。
 というようなわけで、かなり前から気になっていた山なので、 2002年の夏に東北地方の山を登ろうと計画したとき、 真っ先にこの山をリストに入れたのである。 先に紹介したNHKの番組は、テープに録画保存してあるはずなのだが、 探しても見つけられなかった。 登山に出かける前に、もう一度番組を見て記憶を確かめるいう目論みは実現しなかった。
 7月下旬のある朝、東京を車で出発し、田沢湖駅近くの旅館に宿泊し、 翌日に羽後朝日岳の頂上を部名垂(へなたれ)沢から往復した。 同行してくれる相棒がいれば生保内(おぼない)川などをテントを持って遡行することも考えられたが、 あいにく今回の山行は筆者一人だったので、無理をせずもっともやさしい部名垂沢を登下降路に選んだ。
 部名垂沢は奥で工事をしているらしく、部名垂沢林道入り口に、工事車両以外通行止めの看板が出ていた。 一瞬躊躇したが、特にゲートがあるわけもなかったので入って行くことにする。 工事は林道のほぼ最奥近く、道が右岸から左岸へ横切るところで行われていた。 この工事現場から左岸を少し上流に走ると比較的新しい堰堤があり、 千葉ナンバーの車が停まっていた。 登山者のものに違いないので、筆者もここに車を置くことにした。 二ノ沢付近のようだ。
 簡単に朝食を済ませ、渓流靴を履いて5時半に登山を開始する。 最後の堰堤近くまでしばらくは車の通行が可能な道が続いている。 この堰堤を右手から越えると沢の中を歩くようになる。 1時間半ほどで、右手から水流のない石ころのつまった沢が合流する。 さらに30分歩くと二俣であった。 残雪の小塊が斜面にへばりついている。 右側から合流する沢にはいくつかの滝がかかっていて手ごわそうである。 当然ここは向って左側の沢をつめる。 すぐに15mが現れるのでこれを右岸につけられたロープを頼りに越える。 このあとも滝が続くが、難しそうなところにはロープが張られているので助かる。 やがて水流が途絶えると滑りやすい土の斜面になると尾根も近い。 木の枝をつかみながら斜面を登り切ると見晴らしのよい尾根に出た。 あたり一面、小潅木と高茎草原の広がる明るい世界である。 先行している男性の姿が見える。 ここからは広々とした尾根の上に明瞭な踏み跡が頂上へと続いている。 目的の一つであるベニヒカゲの姿を探しながら30分歩くと、例の石碑がある頂上だった。 尾根続きに和賀岳も見える。 南西側の斜面は一面のお花畑で、腰を下ろして周囲を眺めていると時間が経つのを忘れてしまいそうだ。 1時間頂上でのんびりした後、ベニヒカゲがいないかと周りに目を配りながら休み休み下山にとりかかった。 この年の春は季節の進み方が異常に早かったので、 もしやベニヒカゲも7月末には飛ぶのではないかという期待があったためだ。 しかし、7月29日というのはいくらなんでも早すぎたようで、結局1頭のベニヒカゲも目にすることできずに、 尾根をあとにせざるを得なかった。
 往路と同じ部名垂沢を慎重に下り、13時を少し回ったころには車を置いた所に戻ることができた。
 羽後朝日岳は、道がない故に静寂が保たれている良い山である。 いつまでもこの静けさと手付かずの自然が残ってほしいものである。 部名垂沢は沢登りの対象として見たら取りたてておもしろい沢ではないが、 狭い沢筋を抜けて、 大きな空の下にゆったりと広がる楽園に出た時の感激をより大きなものにしてくれる脇役と言える。

 歩行記録  2002/07/29 登り:堰堤−頂上 3h10m 下り:頂上-堰堤 3h25m

 車を置いた堰堤から部名垂沢の上部を眺める。ここからもう少し奥まで林道が続いている。
 写真は、すべてCONTAX TVSで撮影した。

 部名垂沢の下部。このあたりは開けた感じのするところである。

 二俣を過ぎてすぐに現れる15mの滝。向って左手にロープがかかっている。

 尾根に出ると、お花畑とのびやかな草の原が広がっている。 正面に見えるのが頂上。
 蝶ではウラギンヒョウモンが吸密に来ていただけで、 ベニヒカゲは現れなかった。

 頂上。
 昭和3年に運び上げられた石碑が鎮座している。 碑の表に「朝日嶽」、裏に「昭和三年八月十七日」の日付と6人の名前が刻まれいる。

 頂上から、どっしりとした姿の和賀岳を望む。

 頂上の南西側斜面にはエゾノハクサンイチゲの群落が広がっている。

 重要文化財の「草g家住宅」。
 下山後、生保内の集落を走っていると、重要文化財の「草g家」の看板が見えたので車を停めて見学した。 品の良い奥さんが、建てられてから百年以上も経つ曲がり家の内部を丁寧に説明してくれた。 部屋の広さと天井の高さに驚いたが、萱葺きの屋根を含め維持管理が大変そうだった。 今も住宅として使っているという。

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