塔ノ岳(神奈川県)

とうのだけ 標高1491m。

 まず名前について。 「塔ノ岳」か「塔ヶ岳」か? 出典によって表記が異なるのである。 筆者の持っている国土地理院の五万分の一地形図でも、昭和55年修正ものでは 「塔ノ岳」となっていて、より新しい昭和61年修正版では「塔ヶ岳」になっている。 そこで、インターネットを利用した国土地理院の地図閲覧サービスで調べてみると、 「塔ノ岳」に戻っている。 こういう表記のゆれは、特に珍しいことではないので、あまり深入りせず、 ここでは「塔ノ岳」を使用することにする。
 次に、丹沢山塊の中で、どの山を百名山の代表とするかという問題。 深田久弥の本では、一つのピークにこだわらず、丹沢の山全体を百名山として 取りあげているように読める。 その中で、一番高いピークを代表とするならば当然蛭ガ岳となるが、 遠目に見て他のピークに抜きん出て高いわけではない。 丹沢山も丹沢の名前を冠しているので捨てがたい。 登山者の数も多く最もポピュラーなピークという視点から見れば塔ノ岳になるだろう。 山と渓谷社発行の「日本三百名山登山ガイド」でも、塔ガ岳を代表としている。
 というわけで、筆者のホームページの300名山分布図では一応、塔ノ岳を代表としておく。

 筆者が最初に丹沢の山を踏んだのは、大学時代の探検部の活動でだったと思うが 記録や写真が見つからないのではっきりしない。
 確かなのは、社会人になってだいぶたった1991年5月の連休中に日帰りで、北から南に向かって、 蛭ガ岳、丹沢山、塔ノ岳の山々を登ったことである。 その時のルートが地図上の黒線である。
 朝一番の地下鉄に乗り、中央線に乗りついで藤野駅まで行き、 さらにバスの乗って東野で降りた。 青空の下、東野を歩き始めたのが8時少し前。 桜の花を見ながら姫次まで登ると富士山が見えるが、 雲が多くなってきて、すでに上部は隠れていた。 蛭ガ岳への登りでは、雪までちらつきだしたが長くは続かなかった。 蛭ガ岳を越え、丹沢山に着いたのが昼過ぎ。 頂上で休んでいると、普段会っていない旧友に偶然出会ってびっくりした。 奥さんを連れて日帰りで大倉から登ってきたという。 3人で記念撮影をして別れた。 次の塔ノ岳の広い頂上は、たくさんの人で埋まっていた。 東野からここまで6時間近くかかったが、あとはもう大倉に下山するだけだ。 大倉からバスで渋沢に出て、小田急線を使って帰宅したのが18時20分。 家の2階の窓から西の方を見ると夕日を浴びる富士山が見えた。 登っている最中に雲が出たが、夕方になって晴れたらしい。 当時は、我が家の2階から富士山が望めたのだが、 今はまったく見えない。

 二回目に塔ノ岳に登ったのは、2009年の暮。 年末年始の休日を利用して塔ノ岳に登り、 冬の大気の澄んだときに富士山を含む写真を撮ろうという目論みだった。 日帰りだと、日が高くなってからの写真しか撮れないので面白くない。 夕日と朝日の景色を撮るなら、山頂で一泊するしかない。 天気予報に注意して、雲が少なそうな29日に出かけた。 泊まりは塔ノ岳頂上にある尊仏山荘にしたので、どこから登っても時間に余裕がある。 そこで、まだ歩いたことのないヤビツ峠からのルートを選んだ。 地図上に赤線で示したのがそのルートである。
 秦野駅8:55発のバスはガラガラだ。 どういうわけか、予想に反して雲が多く肌寒い。 最初は舗装道路を歩き、登山道に取りついてからもしばらくはあまり面白味のない 道が続く。 それが三ノ塔に近づくと視界が開けてきて、背後に大山が姿を現し、 その右手には江の島が見えてくる。 箱根の山々や大島も見えるが上空の雲のため、すっきりとした景色にならない。 塔ノ岳の頂上まではけっこうな上り下りの繰り返しがあるので、 変化に富んでいるともいえる。 地面が出ているところではぬかるみがひどい。 風は冷たいが、気温はそんなに低くないようだ。 写真を撮りながら、ゆっくり登り、頂上に着いたのが14時半。
 空は雲で覆われ、富士山も見えないので、尊仏山荘に入ってビールを飲んで休憩する。 夕焼けの景色は諦めかけていたら、 日没のころになって急に雲が取れだし、夕焼けを背にした富士山が顔を出した。 あわてて三脚にカメラをセットして何枚かの写真を撮ることができた。 日が落ちると気温も急激に下がってくる。 カメラと三脚を抱えて小屋の中に入ると、 あっという間にカメラが結露してレンズが曇ってしまった。 小屋の中と外との気温差でカメラが結露することをすっかり忘れていたのだ。 カメラが室内の温度になじんで曇りが取れるまで1時間くらいかかった。 デジタルになってからのカメラは電子部品のかたまりだから、 結露で動作不良が起きるのを心配したが、この点は大丈夫だった。 冬山をしょっちゅう登っていたころは、もっぱらテント利用だったからか、 カメラが結露して困ったような記憶がない。 それにカメラが多少結露したところで、電子部品といえるのは露出計くらいのものだったから、 カメラが壊れる心配などしたことがなかったと思う。
 夕方に雲が取れたので、翌30日の朝も快晴間違いないと安心して 布団にもぐりこんだ。 小屋の宿泊客はそれほど多くないのか、隣の布団は空いていて、ぐっすり寝ることができた。
 ところが、朝起きてみたら、一面のガスである。 がっかりだ。 とりあえず日の出前の5時に小屋で朝食をとる。 下山を急ぐ理由はないので、あてがあるわけではないが雲が取れるのを待った。 すると、7時ころなるとやっとガスが薄くなり、周りの景色が少しずつ見えだした。 富士山も上のほうから雲が取れてきた。 残念ながら朝焼けの時間は終わっていたが、それでも景色が見えれば、気分も明るくなる。 しばらく周囲の写真を撮り、8時過ぎに大倉に向かって下山開始。 大倉尾根を歩くつもりで、金冷シまで来たところ、前を歩いていた中年夫婦が鍋割山へ向かった。 それで気が変わって、私も鍋割山経由で下山することにした。
 晴れてはいてもすっきりとした快晴ではないので、期待した富士山は雲に隠れたり出たりである。
 鍋割山の頂上も富士山を展望できるが、塔ノ岳のほうが広々している。、
 鍋割山からは後沢乗越経由で大倉に出た。 30日から休みの人も多いせいか、たくさんの登山者とすれ違った。 このルートは林道に出てからが長い。 12時過ぎに大倉バス停着。 停留所そばのお蕎麦屋さんで蕎麦を食べてからバスで渋沢に出、 小田急線に乗って帰宅した。

歩行記録 1991/5/3 東野−塔ノ岳 5h50m   塔ノ岳−大倉 2h00m

 塔ノ岳頂上から見た大山。 日が傾いて西日が当たっている。 左上の空には月がかかっている。 (2009/12/29)
 写真はすべてCANON 5D Mark2・EF-24-105mm F4L IS USMで撮影。

 塔ノ岳頂上で。
 沈む太陽を背にした富士山。 このころになってようやく雲が取れてきて、上空に青空が広がった。 (2009/12/29)

 翌30日の朝は、日の出の時刻からしばらくたって、 7時ころになってから雲が取れだし、富士山が姿を現した。
 塔ノ岳頂上で。(2009/12/30)

 朝の塔ノ岳頂上から見た蛭ガ岳(左)。(2009/12/30)

 上で紹介した2009年暮の塔ノ岳山行は、景色を撮るという点ではあまり満足できなかったので、 明けて2010年の2月にもう一度、カメラ(CANON 5D Mark2・EF-24-105mm F4L IS USM)と 三脚を持って出かけた。 この年の冬は、関東地方にも何度か雪が降り、丹沢も雪景色が期待できたからだ。 土曜日は混雑すると予想し、金曜日に出かけた。
 大倉を10時ごろ出発し、途中で写真を撮りながらゆっくり登った。 どういうわけか天気予報ほどには晴れ間が広がらず、ほとんど太陽が出ることはなかった。 雲が多くて気温が上がらなかったため、上部では予想外に霧氷がきれいだったのが収穫だった。
 収穫はもう一つあった。 それは、塔ノ岳頂上近くで腐生ランに詳しいI氏とお会いできたことだ。 I氏は下山途中で、写真を撮っていたところを、私が何気なく声をかけた。 多少の会話のあと、お互いの写真を撮り別れた。 そして帰宅後メールの交換をして、I氏が腐生ランに詳しいこと知った。 もし、このときI氏と声を交わさなかったら、腐生ランなるものがあることを知らないままだったろう。 人との出会いとは不思議なものだ。
 その後、塔ノ岳頂上の尊仏山荘に荷物を下ろし、日没を待った。 しかし、夕方になっても雲が取れず、夕日を背にした富士山はまたもや見えず仕舞いだった。 夜8時ころになってから雲が流れ、下界の夜景が見えるようになった。 これで翌朝まで晴れくれれば、日の出の朝焼けの景色が見えると期待して 尊仏山荘の布団に入った。 この日の宿泊者は筆者を入れて6人。
 翌朝起きてみると、またもや一面の雲。 雲が取れたのは、日の出からだいぶ経ってからだった。 朝焼けの富士山こそ見られなかったが、青空の下できらめく霧氷と富士山が見られたので、 まずまずといったところか。 周囲の写真を撮り終わって、大倉尾根を下る。 花立付近では、前日きれいだった霧氷がもうほとんど落ちている。 霧氷ははかない命であることを知った。
 その花立あたり、ちょうど9時ころから、登ってくる登山者が目立つようになる。 次から次へとやってくるので、とても数え切れる人数ではない。 快晴という天気予報のせいもあるのだろうが、丹沢の人気は大変なものだ。
 昼前に大倉に着いたので、 バス停の前にあるお蕎麦屋さんで、ビールとかき揚げ蕎麦を食べたあと、 バスで渋沢に出て小田急線で帰宅した。
 大倉の登山の拠点として優れているのは、バスの本数が多いことだ。 それに靴などについた泥を落とすために、洗い場が備えてあることも親切だ。 冬場はどうしても靴は泥んこになってしまうから、こうしたサービスはありがたい。

 右の写真は、花立から見上げた塔ノ岳と、 今は営業していない日の出山荘が見えている。 色彩がなく墨絵のような世界だ。 この後、頂上までの登山道は霧氷に覆われて、 幻想的な世界だった。(2010/2/19)
 大倉から塔ノ岳の間では、平日にも関わらず下山する20人ほどの登山者とすれ違った。 大半は中高年男性の単独登山者だった。 丹沢がいかに人気のある山であるかがわかる。

 塔ノ岳山頂での早朝の光景。 このあと、急速に雲が取れ、青空が広がった。(2010/2/20)

 霧氷に輝く尾根は鍋割山へと続いている。 積雪は10〜20cmといったところか。(2010/2/20)
 小屋の人の話では、前年の冬は雪が積もらなかったということなので、 これだけの雪景色を見られただけでも幸運だった。

[Back]