谷川岳(新潟県/群馬県)

たにがわだけ 標高1963m。

 登山をしない人でも谷川岳の名前は知っているだろう。
 私もいつのころに谷川岳の名前を知ったのか覚えていないが、 たぶん子供のときだろう。 しかし実際に登ったのは、大学を卒業して社会人になってからである。 その後、何度か歩いているが、近年は足が遠のいていた。 2011年の春になって、残雪の山に登りたくなり、久しく歩いていない 谷川岳を登ろうと思い立った。 5月連休を当てにしていたところ、直前に風邪を引いてしまい、連休中はどこにも 出かけずじまいだった。 ようやく体調が戻ったのは5月中旬である。 まだ残雪がありそうだったので、晴天の日を狙い平日に新幹線利用で日帰りで出かけたのが、 ここで紹介する山行である。
 東京から1時間20分で上毛高原駅だ。 ここからバスで谷川岳ロープウェイ駅に向かう。 平日なので、乗客は私を入れて3人だけ。 ロープウェイ駅もがらがらで、ゴンドラに一人だけで乗り込み、 新緑のふもとから一気に銀世界の天神平へ。
 白毛門が湯檜曽川を挟んで大きく見える。 スキーゲレンデの右手に回りこんで田尻尾根上部から天神尾根に出る。 雲一つない青空をバックに谷川岳が大きい。 下降気味に尾根をたどるところでは、斜面を右側から回りこむ場所で多少緊張する。 ここには、たよりないロープが張られている。
 熊沢穴避難小屋まで来ると、また視界が開けてきて、あとは頂上目指しての登りが続く。 下部では尾根につけられた夏道が露出している部分が多いが、上部では右側に広く雪田が広がっているので、 歩きやすい雪上をまっすぐ登る。
 春の雪山は、照り返しが強烈だ。 この日、みなかみ町では最高気温が26.8度まで上がり、山の上でも直射日光と雪面からの反射で暑く 感じられるほどだった。
 私は肌が弱いほうで、若い時の春山で苦い経験をしている。 そのため、春山ではつばの広い帽子をかぶり、顔には日焼け止めクリーム(この日使ったのはSPF50+)を塗り、 長袖シャツりはまくりあげないというスタイルで歩くようにしている。 ところが、この日のように気温が上がると、噴き出た汗が顔を流れ落ち、目に入るとこれが痛いのた。 ときどき目のまわりの汗をぬぐいながらの登高になる。 しかし、最近の日焼け止めクリームは強力で、多少の汗で全部が流れ落ちて効果がなくなることはない。 おかげで、この日もほとんど日焼けせずに済んだ。
 そうこうするうちに最後のやや急な雪の斜面を登りきると肩ノ小屋だった。
 肩ノ小屋はきれいな建物に変わり、管理人のいる山小屋になっていた。 小屋の外のベンチで小休止してから、カメラだけ持ってトマノ耳とオキノ耳を往復する。 平日の山は実に静かだ。 45分ほどかけて戻ってきてから、昼食(おにぎり)を取り、下山にとりかかった。
 登りではアイゼンをつけたが、下りはアイゼンなしである。 ゆっくり歩いているつもりでも下りは速い。 15時前のロープウェイに乗り、朝来たときと同じ経路で、バス、新幹線を乗りついて帰宅したのが18時半だった。

 今回あらためて深田久弥の百名山を読み返してみたら、本来、谷川岳とは今の俎ーを指していたらしい。 でも、これだけ谷川岳の名前が定着したら、もう元には戻らないだろうなあ。

歩行記録: 2011/5/19 登り(天神平−肩ノ小屋)2h45m 下り(肩ノ小屋−天神平)1h40m

 天神尾根からの谷川岳。
 頂上から右に下りているのが西黒尾根、左に延びているのが万太郎山に 続く上越国境稜線。
 2枚の写真から合成している。
 この日の撮影はすべてCANON 5D Mark2・EF-24-105mm F4L IS USMを使用。 (2011/5/19)

 天神平から見た白毛門(中央右寄り)、笠ガ岳(中央左寄り)、朝日岳(中央奥)。 (2011/5/19)

 頂上直下の雪田を登る登山者。 左に延びているのが、登ってきた天神尾根。
 本当は、写っている登山者がもっと近づいてからシャッターを切りたかったのだが、 見ず知らずの人たちなので、遠慮してしまった。 (2011/5/19)


 右のピークから順に、谷川岳頂上のオキノ耳、一ノ倉岳、茂倉岳。 (2011/5/19)



 オキノ耳側から見たトマノ耳。
 左に落ちる西黒尾根の向こうに、天神尾根が延び、左下に天神平のリフトが見えている。 (2011/5/19)


 オキノ耳からの眺め。 北から北東方向にかけて、巻機山や平ガ岳などが見えていた。(2011/5/19)


 中央手前のピークがオジカ沢の頭、その左手奥のピークが俎ー、 中央右寄りが万太郎山、さらに右奥に霞んでいるのが苗場山である。 (2011/5/19)

 さて、今回(2011年)久しぶりに谷川岳に登ったので、 筆者の過去の山行時の写真をひっくり返してみた。
 最初に谷川岳に登ったのは1971年の12月で、正月合宿前の雪上訓練のためである。 会社の山仲間と天神尾根にテントを張り、雪上訓練をしたのち、頂上を往復している。
 それ以来、何度か谷川岳に登っていて、万太郎山まで歩いたこともある。 なかには、真冬に西黒尾根から蓬峠まで縦走しようとしたが、悪天候で果たせず、 西黒尾根を往復しただけで終わったこともある。

 ここでは1972年6月の一ノ倉沢烏帽子岩南稜を 登ったときの写真を紹介しよう。
 この時は、会社の山仲間と一ノ倉沢烏帽子岩南稜を登って稜線に出、蓬峠に泊まっている。 筆者にとって初めての本格的なクライミングでもあった。
 当時の登山が今ともっとも違うのは、交通手段ではないだろうか?
 高速道路も新幹線もない時代だったから、もっぱら鉄道利用で、行きは夜行列車の利用が当たり前だった。 上野駅を前夜に出る普通列車に乗り込み、ほとんど寝られないうちに土合駅に着き、 寝ぼけ眼で地下ホームから地上に通じる階段を歩いたものだ。
 新幹線を利用すれば、谷川岳の日帰り登山が楽にできてしまうなんて、時代は変わったものである。

 一ノ倉沢下部から見上げた烏帽子岩南稜。 烏帽子の格好をした岩が見えている。
 この時期は雪渓を利用してアプローチできるので、取りつきは楽だった。
 雪渓下部に小さく見えるのは、先行パーティ。 (1972/6/10)


 テールリッジ(左)と烏帽子スラブ(中央)を見下ろす。
 モノクロ写真のように見えるが、カラーのポジフィルムが褪色しているためである。 (1972/6/10)

 烏帽子岩南稜を登るK君(トップ)とE君(セカンド)。 (1972/6/10)

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