のぶせがたけ 標高1674m。
白山山系の南部、福井、岐阜の県境にあり、登山道がないらしい。
2002年の4月下旬、会社の登山仲間のSさんと岐阜県の石徹白から頂上を往復した。
2002年の春は、記録的に季節の進み方が早かったので、
残雪の多い4月初めに登りたかったが、都合がつかず下旬になってしまった。
金曜日の夕方、Sさん宅に寄って八王子I.C.から中央自動車道に乗ったのが16:30。
高速道路を松本I.C.で下り、高山に抜けて、東海北陸自動車道を高鷲I.C.まで利用する。
石徹白へは桧峠を越えて入る。
石徹白は九頭竜川水系なので、地形的には福井県に属するのが自然に思えるが、
40数年前に岐阜県に編入されて以来、白鳥町の一部である。
石徹白に着けば、目指す白山中居神社はすぐだと思っていたのに、
集落の中で道に迷い、時間を少しロスしてしまった。
22時半に石徹白川を渡ったところにある駐車場に着いて、テントを張った。
翌朝、トラツグミの声でテントの外を見ると曇っている。
駐車場には昨夜は見かけなかった車が1台止まっていて、
渓流釣りの格好をした男性が川の上流に歩いていった。
テントを畳んで6時25分に歩き始める。
林道にはすぐ雪が現れる。
8時少し前に「拓牧」の碑がある広い草原に出る。
地形図の1097m地点の近くのはず。
正面に野伏ガ岳が横たわっているが、上部には雲がかかって全貌が見えない。
左手の小ピークを越えてダイレクト尾根に取り付こうとしたが、ルートがよくわからない。
引き返し、ほぼ等高線沿いにつけられた道と思われる雪の上を歩いてダイレクト尾根に近づく。
尾根の末端まで行くと遠回りになるので、途中の斜面を登って尾根の上に出る。
尾根の下部は幅が広く木々も多少うるさいが、
まだ地面はほとんど出ていないので歩きにくいというほどでもない。
上半部は木の丈も低くなり歩きやすくなる。
北東側の尾根と合流するところまであと少しのところで、
左の登山靴のビブラム底がはがれ出しているのに気がつく。
この皮製の登山靴(マインドル)を履くのは10数年ぶりとはいえ、
まだ数回しか使用したことがないはずなので、正直少々驚いた。
冷静に考えてみれば道具の使用回数と経年変化とは直接には関係ないことであるが、
このときまず考えたのは、とりあえずの応急処置をどうするかであった。
針金を持っていなかったが、幸いアイゼンを持ってきていた。
さっそくアイゼンを取り付けて、アイゼンバンドで靴底ごと締め付け固定した。
この応急処置はうまくいき、歩行を続けることが出来た。
その後、頂上近くのやや急な雪の斜面を登り、先客のいない広い雪面の頂上に11時過ぎ到着。
このころから雲の隙間が広がり、日が差すようになったが、遠くの景色は見えなかった。
日が当たれば、休んでいても寒くない。
11時40分下山開始。
我々と入れ替わりに次々と登山者が登ってくる。
帰りは往路を戻った。
駐車場近くのほとんど雪のない砂利の林道までアイゼンを着けて歩いたのだが、
あまりに歩きにくいので、林道の途中で我慢できずにアイゼンをはずした。
するとすぐに両方のビブラム底がすっかりはがれてしまった。
傾斜がない道とはいえ、底がツルツルの靴は歩きにくいことこの上なかったが、
距離が短かったのでなんとか駐車場まで帰りついた。
帰りがけに白山中居神社にお参りしてから、往路と同じ道を5時間ほどかけて帰京した。
登る前は、季節が4月も下旬になり尾根の雪が融けてしまっているのではと心配したが、
結果的にはまだ大丈夫だった。
あと1週間もしたら、かなり地面が出て歩くにくくなりそうな気配だった。
野伏ガ岳は残雪期に登るにはいい山だが、
この山だけを目的に東京から車で往復するのは、あまり効率的ではないというのが実感である。
ビブラム底のはがれた靴は、帰京後さっそく修理に出し、1万円ほどの費用できれいに修繕されて戻ってきた。
山行記録: 2002/04/20 登り5h0m、 下り2h35m
林道終点にある「拓牧」の碑。牧場を切り開いたころに建てたものだろうか。
ダイレクト尾根を登る。このあたりまで登ると、木の背丈も低くなる。頂上はまだ雲の中。
頂上から北側の眺め。薙刀山がすぐ近くに見えるが、その先にあるはずの白山は雲の中だった。
頂上で北西側を景色を見ながら休む。頂上は我々だけのものだった。左に経ガ岳、右に赤兎山が見える。
帰路、振りかえって見た野伏ガ岳。左側手前に延びる尾根が歩いてきたダイレクト尾根。
ビブラム底のはがれた登山靴。帰宅後に撮影。