日光白根山(栃木県/群馬県)

  にっこうしらねさん 標高2578m。

 日光白根山は、栃木県と群馬県の県境にある。 奥白根山とも呼ばれる。 ここから北には、日光白根山より高い山はない。
 深田百名山に選ばれているので知名度は高い。
 筆者は3度頂上を踏んでいる。 最初は、1979年11月に、東京から日帰りで湯元温泉から往復した。 2度目は1980年の10月、大学探検部OB有志の総計6人でやはり湯元温泉から登り、 避難小屋で1泊し、翌日に頂上を踏んで金精峠に下山した。
 そして今回(2013年8月)、1980年の時と逆コースを取り、金精峠から登って 湯元温泉に下った。 地図上の赤線が歩いたルートである。 そのときの様子を紹介する。
 まずは日光白根山を2013年になって登った理由を挙げると、次のようになる。
 最後に登ったのが1980年で、それから30年以上が経ち、詳細を忘れてしまったこと、 点在する湖沼と山を組み合わせればいい写真になりそうなこと、 一日で登って帰宅可能な山であること、などである。
 登山ルートはいろいろ考えられるが、丸沼高原からのロープウェイ利用ではあまりに安易すぎる。 インターネットで検索したら、日光方面への夜行登山バスが週末に運行されている。 これを利用すれば、コース選択の自由もきくし、余裕で日帰りが可能だ。 天気予報で晴れを確認してから、登山の数日前に電話でバスの予約を入れた。 最近の筆者の山登りは写真撮影が目的の一つで、晴れないと具合が悪い。 このため、登山の決定は天気を確かめてからになる。
 金曜日の晩にバスは竹橋を出発。 なんと乗客は7人だけ。 お盆休みに入る時期なので混雑を予想したが意外だった。 乗客の身としては車内が空いているのは快適でいいが、バスの運行自体が廃止になったり減便されることも考えられるので、 手放しで喜んでもいられない気持ちだ。
 翌朝、光徳温泉で一人が下車。 まだ暗い。
 金精峠栃木県側登山口に4時40分着。 ようやく周りが明るくなり始めていた。 下りたのは私ともう一人の男性。 この人は、鬼怒川方面を目指すという。 駐車場には車が2,3台止まっていた。 歩く準備をして、朝食に菓子パンを食べる。 空は雲が多い。 でも昼ごろには雲も取れるのではないかと希望的に考え、5時10分に歩き始めた。 けっこうな急斜面を30分ほど登ると金精峠だ。 ここからも急な登りが続くが、特別危険な場所はない。 金精山の頂上からは、湯ノ湖を眼下に男体山方面が見渡せるが、相変わらず雲が多い。
 次の目的地は五色山。 歩きやすい道をたどって登りきると五色山。 眼の前には、日光白根山がそびえているはずだが、雲に覆われている。 真下の五色沼と避難小屋はなんとか見えているので、一応写真に撮るが様にならない。 誰もいない頂上で少し休んで、雲が切れるのを待ったがだめだった。
 五色山からは弥陀ヶ池経由で日光白根山に向かう。 弥陀ヶ池まで来ると、登山者が数人休んでいた。 菅沼から登ってきた人たちだろう。 ここは、だれでも一息入れたくなる場所だ。
 弥陀ヶ池からはいよいよ最後の登り。 火山性の石の転がる斜面は、次第に傾斜を増し、最後は岩場を乗り越えて頂上に出る。 9時だった。
 奥多摩の山を除けば、前年2012年8月の南アルプス(赤石岳、悪沢岳)以来久しぶりの高山の頂である。 厚い雲に覆われ、期待していた景色が全く見えないのが残念だが、2500mを超える高い山の上にいるだけも涼しくて 気分がいい。 40分ほど待っていたが、すぐには晴れそうにないし、登山者の数も多くなったので、あきらめて頂上をあとにした。
 樹林帯の中まで下りたところで、鹿の親子が現れた。 かなり近づいても逃げず、人をあまり警戒していない様子だった。
 平坦地にある避難小屋まで下ってから、前白根山への登りとなる。 尾根の上に出ると、見晴らしのよい道が前白根山へと続いている。 このころからやっと青空の範囲が広がるようになり、日光白根山の頂上もときどき見えだした。
 前白根山の頂上は広い尾根の上にあり、見晴らしもよく、のんびり休憩するにはいい場所だ。
 さて、ここから先の下山ルートが問題で、湯元までの登山道が荒れて歩きにくくなっているようなのだ。 登ってきた人たちの話を聞いても、けっこう難儀したという。
 前白根山をあとにすると、しばらくは歩きやすい道が続くが、天狗平を過ぎ、斜面が急になると、 登山道も荒れだし、えぐれていたり、倒木が道をふさいだりして、歩きにくくなる。 なるほどこれでは慎重にならざるを得ず、歩く速度もゆっくりになる。 悪い箇所は短いと思っていたら、案に相違して最後のスキー場内の道路に出るまで、 特に危険というほどではないが気が抜けなかった。
 1979年と1980年に歩いたときは、登山道の状態が悪かったという記憶は残っていないが、 近年はまったく整備されていない様子だ。 それでも今回の下山中に登ってくる3パーティ計7人と出会ったので、そこそこ利用されているらしい。 このように人があまり利用しなくなり、整備もされない登山道が今後どのような状態になるのだろうか? 荒廃が進んで歩けなくなるというのが一つの可能性だが、ある程度の利用者がいるかぎり、 それなりに踏み固められるので、状態はよくないが利用され続けるというのがもう一つの可能性だ。 どのようになるのか興味のあるところだ。
 湯元の温泉街に13時半到着。 ここからバスで東武日光駅に出て、電車を使って帰京した。
 ふり返ってみると、この日は予想に反して雲が多く、せっかく重い一眼レフを持って登ったのに、 満足な写真を撮れなかったのが心残りだ。 でも、猛暑の下界(東京は37度だった)とは別世界の山上の散策ができたのでよしとしよう。
 最後に、日光白根山の登山ルートの変遷について触れておきたい。
 興味深いのは、昔の信仰登山の時代には上州(群馬県)側が表口だったようだと、 深田久弥の「日本百名山」に書かれていることだ。 その後、下野(栃木県)側からの登山が主流になり、上州側からの登山道はすたれてしまう。 ところが、1998年、丸沼高原スキー場にロープウェイが開通し、翌年には夏山シーズンにも運行し始めたのを機に、 登山者の多くはまた上州側に移った。 特に下野側の湯元からのルートを選ぶ登山者は激減したようだ。 大多数の登山者ないし観光客は短時間で楽に登れるルートを選ぶ傾向があるので、 今後、湯元からの登山道が整備されたとしても、 下野側に多くの登山者が戻ることは期待薄のような気がする。 それがわかっているから、湯元からの登山道の整備が進まないのだろうけれど。

 歩行記録  2013/08/10 登り(金精峠登山口−白根山) 3h50m  下り(白根山−湯元) 3h50m

 金精峠栃木県側登山口
 かっては路線バスの停留所があったが、今は運行していない。(2013/8/10)
 2013年の写真は、 すべてCANON 5D Mark2・EF-24-105mm F4L IS USMで撮影。

 登山口から約30分の登りで金精峠に着く。
 金精峠は栃木県と群馬県を結び、「日本百名峠」(井出孫六著)に選ばれている。
 ここには金精神社があり、背後に金精山のとがった頭が見えている。(2013/8/10)

 前白根山付近からの眺め。
 登ってきた日光白根山が大きく見え、眼下には五色沼が横たわっている。(2013/8/10)

 前白根山から湯元へ下り始めて間もなくの場所で、ふり返って見た日光白根山。 ここで、日光白根山は見納めである。 (2013/8/10)
 結局、今回(2013年)の山行では天気がすっきりとせず、期待していた景色の写真が撮れなかった。 その穴埋めも兼ねて、1980年10月に登った時の写真を3枚載せておく。 このときは、大学探検部OB会の面々総勢6人が参加し、湯元温泉から入山。 避難小屋で1泊し、翌日弥陀ヶ池経由で金精峠に下山した。

 日光白根山の頂上。 (1980/10/11)

 日光白根山頂上付近から北側の展望
 左奥に見える双児峰は燧ガ岳、下の池は弥陀ヶ池。(1980/10/11)

 弥陀ヶ池に向かって下山する我パーティ。(1980/10/11)

[Back]