三ツ峠山(山梨県)

みつとうげやま 標高1785m。

 三ツ峠山は、山梨県にある山で、日本二百名山に選ばれている。 南南西の方角にある富士山までの距離は22km。
 昔から、富士山の展望台として有名で、頂上直下の岩場はロッククライミングの練習場して知られている。 また新・花の百名山の一つであり、古くからの信仰の山でもあるというように、多彩な顔を持っている。
 山名については、国土地理院の地形図の表記も三ツ峠山なので、本稿ではそう記したが、山仲間ではもっぱらミツトウゲで通っており、 わざわざ三ツ峠山という呼び方をする人はいない。 少なくとも筆者の周りには。
 三ツ峠(山)に峠の字が含まれているけれども、峠ではなくれっきとした山である。 ではなぜ三ツ峠(山)と呼ばれるようになったかについては、諸説がある。 山頂付近の湧水から水峠と呼ばれていたものが転訛したというもの。 三つのピーク(トッケ)が見えることに由来している、とかの説があるようだ。
 筆者が最初に三ツ峠山に登ったのが、いつのことだったのかはっきり覚えていないが、 岩登りの練習に山仲間と一緒に数回登っている。 そのころは山頂を踏むことに興味はなかったから、正確な頂上がどこにあるのかも知らずにいた。
 クライミングの練習ではなく、頂上(開運山)を踏むために登ったのは、1992年12月のことである。 年の瀬も押し詰まった26日のことで、三つ峠駅から達磨石経由で頂上を踏み、木無山から母の白滝を通って下山した。 快晴で終日富士山が見えていたが、冬だったので、母の白滝は部分的に氷っていた。
 それ以来、三ツ峠山のことは半分忘れていたが、2015年の9月になってもう一度登る気になった。 というのも、2015年の9月は、敬老の日と秋分の日をはさんで5連休があったから。 連休中はどこも混むので、遠出する気はなかったが、天気は連日晴れの予報。 家にこもっているのももったいないので、日帰りでどこかに登ろうと思いたち、たまたま思いついたのが三ツ峠山だった。
 以下は、その時(9月20日)の記録である。
 三ツ峠山の登山ルートはいくつかある。 歩行時間が短いのは、三ツ峠登山口バス停からのコースだ。 だが、今回は時間がたっぷりあるので、急ぐ理由はない。 むしろ歩き甲斐のあるほうがいい。 そういう観点から考えると、やはり伝統的な三つ峠駅からのコースを登ることに落ち着いた。 そして、下りにはまだ歩いたことのない府戸尾根を歩くことにした。 地図上に示した赤線がそのルートである。
 早朝に、地下鉄、JR中央線、富士急行線を乗り継いで、三つ峠駅に降り立ったのが7時50分。 昔ながらの木造駅舎といい、駅前の商店といい、20年前とあまり変わっていないようで、時間が止まったままといった感じだ。
 人気のない駅の待合室で準備をしていると、お巡りさんがやってきて、安全登山上の注意を述べたうえで、 エマージェンシー・ブランケットを渡された。 アルミ蒸着されたプラスチックシートで、各登山者に配っているらしい。 緊急時にかぶって体温の低下を防ぐシートである。 かさばらないので、持っていて損はない。
 帰宅後調べたら、大月警察署管内では、休日早朝に各登山口で安全登山の呼びかけを行っているそうだ。
 8時に駅をあとにして歩き始めた。 晴れの予報だったが、雲が多く、三ツ峠山方面は上部が隠れている。 富士山は、雲の間から頂上が覗いている程度。
 緩やかな登り勾配の舗装道路を歩く。 視界がよければ、正面に三ツ峠山上部の特徴的なごつごつした岩場が見えるはずだが、山は雲の中。
 参考に、1992年12月に登った時に、下暮地の集落から撮った写真を載せておく。(右の写真)
 画面中央奥が三ツ峠山である。

 山に向かって歩くこと約1時間で、車道を離れ登山道が始まる。 達磨石のある場所だ。 ところどころで岩の露出した急斜面があるが、概ね歩きやすい道が続く。
 達磨石から1時間ちょっと歩いて、かなり上部まで達したころで、八十八大師の石仏群に出会う。(右の写真)
 だいぶ風化が進んだ石仏が、歴史を感じさせる。 ここには、八十八躰供養塔という石塔などもある。
 帰宅度、1992年に撮った写真と見比べていたら、少し様子が違っていることに気が付いた。 石仏群は、一部が並べ直されたようだし、供養塔は石仏群のすぐ下にあったのが、少し離れた場所に移されている。 しかも欠けていた塔の頭部が修復されていた。 どうやら、今でもここの石仏や石塔の面倒をみている人がいるようだ。
 それにしても、石仏を置くのに、なぜこの場所が選ばれたのだろうか。 見晴の点からいえば、もっと上部にいい場所があるから、なにか別の理由があったのかもしれない。
 この登山コースでは、ほかにも一字一石供養塔や親不知の碑など、明治時代より前の信仰の跡を見ることができて興味深い。

 八十八大師で一息入れてから、また歩き始める。 ここの標高はすでに1600mくらいあるはずだから、山頂まで残りはそれほどではないように思えるが、 けっこう歩き甲斐があった。 斜面をトラバースするように付けられた道をしばらくたどると、屏風岩の岩壁の下に出る。 昔、練習をした懐かしい場所だ。 この日も、数組のクライマーが練習していた。
 大岩壁の下を回りこんだのち、急斜面の階段状の登山道を登り切ると山小屋(四季楽園)の前に出る。 頂上(開運山)までは、もうひと踏ん張り。 滑りやすい斜面を注意して登ると頂上だった。
 天気予報から想像していたよりずっと雲が多く、晴れというより、曇り時々晴れといった印象だ。 展望は、ときおり雲が流れたときに、甲府盆地方面が垣間見えるだけだった。(写真左)
 写真中央に見える山は黒岳。

 左の写真は、1992年12月に頂上から撮った写真。
 中央左寄りの目立つピークは黒岳で、その背後に見える連山は南アルプスの山々。
 今回は季節が違うので、このような大展望とまではいかなくても、富士山の頭くらいは見えるだろうと期待していたのだが、 富士山を覆った雲が取れることはなかった。
 三ツ峠山は花の山でもあるが、9月ではほとんどの種類で花の時期は過ぎていた。 目についたのは、トリカブトや大きな花をつけたフジアザミなどである。
 頂上で休んでいても雲がなくなる気配はないので、早々に下ることにした。 予定通り、天上山経由の府戸尾根を歩く。
 このルートは、距離が長い上に斜度も概ね一定なので、あまり神経を使わずに歩ける。 半面、面白味のないコースだと言えるかもしれない。
 約1時間下ったところに、送電線の鉄塔があり、ここはいい展望台で、小休止したくなる。
 あとは、ひたすら樹林帯の中の道である。 ときおり登ってくる登山者と出会うが、静かな道である。 だいぶ下ったところで、林道を横切ると、天上山までの登りが待っていた。 長時間歩いたのちの登りなので、うんざりした。 天上山に着いたら、10人くらいの観光客がいた。 ロープウェイの駅から近いので、そこから歩いてきた人たちだ。
 さて天上山のロープウェイに乗ったものかどうか迷った。 富士山も見えないし、もう市街地はすぐ足元に見えているので、歩いて下りることにした。 結果は予想通り大した距離ではなく、遊歩道として整備されているので歩きやすかった。 あとは、駅に向かって道路を歩くだけ。 河口湖駅に着いたのが14時過ぎで、無事に三ツ峠山登山を終わった。

 歩行記録 2015/9/20 登り(三つ峠駅−頂上)3h10m  下り(頂上−天上山−河口湖駅) 2h50m
 上に載せた写真のうち、2015年9月の撮影分は、PENTAX K-5・DA★16-50mmF2.8ED AL[IF]SDMを使用。

[Back]