雲取山(東京都/埼玉県/山梨県) 1976年

くもとりやま 標高2017m。

 筆者が雲取山に最初に登ったのは1976年4月であった。
 2011年11月に2度目の雲取山登山を行ったのを機会に、その1976年に撮影した 写真(フジのポジフィルム)を取り出してみた。 かなり褪色が進んではいるが、今(2011年)となってはけっこう興味深いものもあるので、 そのうちの数枚を当時の記憶をたどりながら紹介したい。 また、比較のために2011年に撮影した写真もいくつか載せている。
 1976年の登山ルートは地図上に赤い線で示した。 初日に奥多摩駅からのバスを鴨沢で降り、七ツ石山経由で頂上にある雲取山避難小屋に一泊。 翌日、飛龍山を経由して丹波に下った。 同行してくれたのは、山仲間のK君である。 雲も多くすっきりとした晴天ではなかったが、頂上では富士山も見え、2日間の山歩きを 楽しんだ記憶がある。

 雲取山の頂上には、1976年と2011年の2回しか登っていないが、その周辺も含めれば 何回か足を運んでいる。
 その一つが三条ノ湯の近くにある青岩鍾乳洞である。 学生時代に探検部に属していた関係で、ケイビングの訓練の一環として 青岩鍾乳洞に少なくとも2回は入ったと記憶している。 青岩鍾乳洞はある程度の規模があるし、鍾乳石を含めた保存状態がよい。 東京近辺のケイビングの練習場所として適しているのである。
 そして、三条ノ湯に通じる後山川林道と秩父側の大血川には、シジミチョウの卵の採集に訪れたこと がある。 これら2回とも蝶友のU氏に誘われて出かけたのだが、冬に北側斜面で小さな卵を探すので、 大変寒かったのを覚えている。


1976年4月24日、奥多摩駅からバスに乗り、鴨沢で降りた。 バス停の向こうのガードレールに腰かけているのがK君。 道路わきには桜が咲いている。(1976/4/24)

登り始めてしばらくすると小袖の集落が見える。 たぶん茅葺の屋根が珍しくて撮影したのだと思われる。(1976/4/24)

1976年のときに撮影した雲取山頂上での筆者。(1976/4/25)

こちらは2011年11月の写真。 埼玉県の立てた標識は、もちろん新しくなっている。
記されている標高の数字も、2017.7mから2017.1mに変更されている。
背後に見える針葉樹も枯れたりして、35年間で周りの環境がかなり変化しているようだ。 (2011/11/02)

昔の雲取山避難小屋(1976/4/25)

雲取山から飛龍山への登山道には、ところどころこのような 桟道があり、少々頼りなげだった。(1976/4/25)

サオラ峠にある1976年当時の中川神社の祠。(1976/4/25)

2011年に撮影した中川神社。 新しい祠は石でできている。 隣には、中川神社の説明板が置かれている。 周りの木もだいぶ成長している様子だ。(2011/11/02)

丹波の集落を見下ろす。 手前には桑畑が広がっているので、当時は養蚕も行われていたのだろう。 (1971/4/25)

2011年に撮影した丹波の集落。 丹波山村の人口統計を調べてみると、2010年は700人弱で、1975年に比べ半分近くに 減っている。 他の山村と同様に人口の急激な減少化が進んでいるようだ。(2011/11/02)

[Back]