早池峰山(岩手県)

はやちねさん 標高1917m。

 早池峰山は岩手県の北上山地のほぼ中央部に位置する山である。 深田百名山の一つに数えられていて、高山植物でも有名だから、山好きの人はたいてい知っている。
 それに、早池峰という漢字とともに、「はやちね」という響きがいい。 百名山の中でも、もっとも美しい名前を持つ山の一つだろう。
 私が最初にこの山の頂上を踏んだのは1971年10月で、2度目は2015年8月である。
 1971年のときは、岳友Tさんと二人で、平津戸駅から門馬コースを歩いて頂上に達し、 小田越コースを下り、小田越山荘に泊まった。 翌日は、なぜか薬師岳を通らず薬師堂を経由して遠野側に下山している。
 当時の写真を見ると、茅葺屋根の農家や荷物運搬用の馬車が写っているから、 早池峰山自体は変わらなくても、山麓には今とはまるで違った光景が広がっていたことがうかがえる。
 今にして思えば、まだ百名山が話題に上ることもなかった時代だから、柳田国男の遠野物語に影響を受けて 、遠野周辺を歩いてみたくなり、早池峰山を登ったついでに、遠野へ下ったのだと想像される。

 1971年10月9日に撮った山田線平津戸駅の駅舎が右の写真である。 昔は、こういったたたずまいの木造駅舎をどこでも見かけたものだ。
 今の平津戸駅は、小さなな待合室があるだけのようである。
 さて、ここからは2015年の山行時の話に移る。
 2015年の夏山シーズンになってから、普段登っている東京近郊の山以外のどこかを登りたいと思い、 いろいろ候補を挙げてみた。
 あれこれ考えているうちに、この数年、東北の山に登っていないことに思い当たった。 中でも早池峰山は、前回登ったのが1971年の秋のことで、花の季節でもなかったし、当時の記憶も薄れているので、 歩いてみたい気持ちが強くなった。
 そこで、交通の便などを調べ始めてみたのが7月末。 すると、新幹線と新花巻駅からのバスを利用すると、日帰りも可能なことがわかった。 しかし、このバスの運行日は、6月から9月までの第2日曜日とその前日の土曜日となっている。
 ほかに盛岡駅から登山口までのバスが、6月14日から8月2日までの土日祝日に運行されていることがわかった。
 せっかく岩手県まで出かけて日帰りとはもったいない。 1泊はしたいところだ。 盛岡、花巻、北上あたりのホテルを調べてみると、ほとんど空き室がない。 残っている部屋も高すぎて論外だ。 8月初めは、東北各地で夏祭りがあり、混み合う季節であることを忘れていた。 そうこうしているうちに日は過ぎ、8月の最初の週末は間に合わなくなり、 次の週を目標に準備を進めた。 毎日、ホテルの空き室状況と見ていたら、8月2日になって、8日の晩に盛岡で妥当な値段の空き室が出てきたので、これを予約。 東京からの交通手段は、盛岡もしくは花巻行きの夜行バスはすでに満席。 しかし、新花巻駅から早池峰行きのバスを利用すれば、朝一番の新幹線で十分間に合うので、新幹線利用に決定。 これで、ようやく準備が整った。 天気も曇りときどき晴れで、悪くない。
 ところが、天気予報は日ごとに微妙に変わり、前日の予報では、土日とも曇りになってしまった。 どちらかというと9日の日曜日のほうが良さそうだと判断し、8日は平泉周辺のお寺巡りにあてることにした。
 数年ぶりに盛岡市内に宿泊した翌日の9日に、在来線で花巻駅に移動。 早池峰行のバスはここが始発だが、9:20の発車で、登山本来の趣旨から考えるとかなり遅い時間だ。 これは、新花巻駅(9:35)に寄って、下り新幹線「やまびこ41号」からの登山客が間に合うようにするためだろう。 現に、新花巻駅から乗りこんたのは6人で、花巻駅で乗った人数(3人)より多かった。
 マイクロバスに揺られて約一時間、河原坊登山口に到着。 ほとんどの人がここで降りた。 河原坊から登って、小田越に下る人が多い様子だ。 山のほうを見上げると、上部は雲の中で見えない。
 11時ちょうどに、頂上を目指して歩き始める。 コメガモリ沢沿いにつけられている岩がごろごろした道をたどる。 涼しげな水音がひびくのだが、樹林帯の中で風通しが悪く蒸し暑い。 汗が滴り落ちてくる。 45分くらい登ると、見晴のいい場所に出たので一休み。 背の高い木もなくなり、各種高山植物の花が見られるようになる。 上に行くに従い傾斜もきつくなり、巨岩が迫ってくる。 この岩塊の存在が、森林限界を下げ、早池峰山特有の広い高山帯を形成しているという。
 岩塊帯から頂上に飛び出すと、多くの登山者が思い思いに休んでいて、にぎやかだった。 祠などが立ち並ぶ一角の岩に腰を下ろして休憩。
 展望を期待して、スケッチブックまでザックに入れてきたのに、景色が見えなかったのは残念。 おにぎりなどを食べてしばらく休憩後、小田越目指して下山開始。
 早池峰山を形成する蛇紋岩は、けっこう滑りやすので、慎重に足を運ぶ。 時間に余裕があるので、ハヤチネウスユキソウの写真などを撮りながら歩いた。 蝶では、ベニヒカゲが気になる存在だ。 ときおりベニヒカゲと思われる蝶が登山道を横切るので、撮影チャンスをうかがったが、近くに止まってくれない。 日が差せばもう少し多くのベニヒカゲが現れるのだろうが。
 のんびり歩いても、15時過ぎには小田越に着いてしまった。 バスの発車時刻までにまだ2時間もある。 5分ほど離れた場所にある小田越山荘脇の水場に行って、体の汗を拭いたら、少しさっぱりした。 小田越山荘は、森のなかにひっそりと建つ無人の小屋で、1971年に利用したことがあるのだが、そのときの様子は覚えていない。
 小田越のバス停に戻ると、朝のバスで一緒だった人たちも集まりだしていて、自然と山談義に花が咲いた。 多くの人が百名山を目指しているようで、情報交換に話が盛り上がっていた。
 花巻駅行バスは17:12発。 乗客は、朝とほぼ同じ顔触れ。 新花巻駅に18時半着。 新幹線切符とお土産、それに缶ビールを買って、18:52発やまびこ56号に乗りこんだ。 自由席は仙台までがらがらだった。
 22時ちょうどに東京駅着。
 遠方の山で大自然に浸って一日を過ごしたその日のうちに、 東京の人ごみの中に帰りつけるというのが、いつもながら不思議な感覚だ。
 こうして久しぶりの東北地方の登山は、無事終了。 雲が多くて雄大な景色が見られなかったのは残念だが、ハイマツや高山植物に囲まれ、 いつもの東京近郊の山とは一味違った高山の雰囲気を味わえた山行だった。

 早池峰山から家に戻った後、改めて深田久弥の「日本百名山」を開いてみた。 そこには、早池峰山の「山」は余計だと書かれているが、今となっては早池峰山が定着してしまい、もう戻せないだろう。
 また、深田が登った時代には、早池峰山の写真を入手すること自体が難しかったと書かれているから、 地元以外で注目する人は稀だったらしい。 麓の岳の集落では、「頼めばどこの家でも泊めてもらえる」とも書かれている。 全国から登山者が集まり、東京から日帰りも可能となった現在とは、事情がまったく異なっていたのが興味深い。

歩行記録 2015/8/8 登り(河原坊−頂上)2h05m  下り(頂上−小田越) 1h45m
 下の写真はすべてPENTAX K-5・DA★16-50mmF2.8ED AL[IF]SDMで撮影。

 河原坊コースは途中まで、コメガモリ沢に沿っているが、沢から離れても大きな石や岩がごろごろしている。
 早池峰山の上部は雲の中。 (2015/8/9)

 頂上の様子
 信仰の山だけあって、祠などがある。
 右下に写っている石柱が三角点。 三角点の標高は1913.6mで、見るからに背後の岩より低い。 早池峰山の標高1917mとされている。
 1971年に撮った写真と比べてみると、頂上の様子にあまり変わりはないようだ。 (2015/8/9)

 河原坊コース上部で見かけた花の群落。 白い花はミネウスユキソウのようだ。 (2015/8/9)

 早池峰山を代表する花といえば、ハヤチネウスユキソウ。 ところどころで見かけたが、さすがにピークを過ぎている感じ。
 この写真は、頂上から小田越コースを少し下った場所で撮った。 (2015/8/9)

 小田越コースは河原坊コースとはだいぶ様子が異なり、広い尾根の上に登山道が付けられているので開放的だ。
 左の写真は小田越コースの途中から見下ろしたもので、中央の少し上に見える白点は、小田越の高山植物監視小屋。 正面の雲の中に薬師岳があるはず。
 早池峰山は、上部が岩塊によって構成されているため、 森林限界が1300m〜1400m付近と、本来の2000mと比べて著しく低い(小泉武栄著「山歩きの自然学」など)。 この写真では、明るい緑と濃い緑の境目あたりが森林限界になっている。 もし岩塊がなかったら、早池峰山には今のような高山植物が見られなかったそうだ。
 小田越コースを歩くと高山帯の広がりがよくわかる。 (2015/8/9)

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