だいぼさつれい 標高2057m。
大菩薩嶺は、深田百名山の一つである。
嶺と名のつく山はあまり例がない。
深田久弥によると、もともとは嶺は「とうげ」と読まれ、大菩薩峠のことを指していたのが、
いつか最高点に移されたらしい。
では、今の最高点は昔なんと呼ばれていたのだろうか?
筆者がその大菩薩嶺に登ったのは、1978年と2011年である。
1978年のときは、会社の仲間4人と一緒に歩いた。
初日(9/23)に裂石から入山して勝縁荘に泊まり、翌日(9/24)大菩薩峠を経由して、
大菩薩嶺を往復して下山している。
地図に青線で示したルートである。
当時、上日川峠へのバス路線はなかったので、裂石から歩いたのだと思う。
2011年になって、今度は上日川峠から大菩薩嶺を往復した。
ここで紹介する記録はそのときのもので、地図に赤い線で示している。
2011年4月下旬の週末になって、どこか近場の山に登りたいと思っていたが、
土曜日は大荒れの天気で出かけられず、翌日の日曜日が快晴という天気予報だった。
それなら展望のよい山にしようと思って、思い浮かんだのが大菩薩嶺である。
しばらく登っていないし、前回の1978年のときは景色が見えなかったからである。
調べてみると、都合のよいことに、甲斐大和駅からのバスが、2011年は4月23日から運行開始に
なっていた。
24日早朝、中央線で甲斐大和駅に降り立ち、上日川峠行き小型バスに乗り込むと、
お決まりの中高年のハイカーで満員だった。
1時間弱で上日川峠に着き、9時過ぎに登り始める。
葉の落ちたままの林の中を徐々に高度を上げ、福ちゃん荘にいたる。
ここで、まっすぐ尾根に突き上げる唐松尾根のルートと大菩薩峠経由のルートに分かれる。
せっかくの快晴なので、雲が湧き出ないうちに展望のきく上部に登っておきたいと
考え、唐松尾根ルートを取ることにする。
歩きやすい道をたどって高度を稼ぐと次第に傾斜を増し、展望も開けてくる。
尾根の上に雷岩に達すると富士山が正面に、その右側に甲府盆地と南アルプスの山並み
がくっきりと見える。
展望を楽しんで数枚の写真を撮ったのち、大菩薩嶺の頂上に向かう。
樹林帯の中に入り、景色が見えない。
残雪があるので慎重に歩くと、ほどなく頂上だった。
針葉樹林に囲まれていて三角点以外になにもないので、すぐに雷岩にもどり、
景色を見ながら昼食を取ってしばらく休む。
2000mを越えているので、風が冷たい。
当初下山は大菩薩峠経由で予定していたが、なんとなく体調がすぐれないし、景色も堪能したので、
往路の唐松尾根を下ることにした。
上日川峠に戻ったのち、バスで甲斐大和駅に出て中央線に乗って帰宅した。
悪い予感は当たるもので、翌日から本格的に風邪をひき、直すのに一週間もかかってしまった。
山の上で冷たい風に当たったのがよくなかったのかもしれない。
歩行記録: 2011/4/24 登り(上日川峠−大菩薩嶺)1h15m
上日川峠のあるロッジ長兵衛。
甲斐大和駅から少し標高が上がった景徳院のあたりは桜が満開だったが、
上日川峠周辺の木々はまだ芽吹いていなかった。
(2011/4/24)
この日の撮影はすべてCANON 5D Mark2・EF-24-105mm F4L IS USMを使用。
雷岩からの富士山
特に珍しくもない景色かもしれないが、やはり富士山は美しい。
富士山が見えるのと見えないのとでは大違いである。
この写真では、富士山が小さく見えるが、ズームレンズの広角側を使っているためで、
実際にはもっとずっと大きく見えている。
もし天気が悪くて富士山が見えなかったら、大菩薩嶺の魅力は半減してしまう。
左端に小金沢山、富士山の左手前に三ツ峠山、湖は大菩薩湖。
(2011/4/24)
雷岩から甲府盆地越しに見る南アルプスの山並み。
甲斐駒ケ岳から聖岳まで主要な山は全部見えている。
(2011/4/24)
では次に、1978年に登った時の写真を2枚紹介しよう。
左の写真は、入山初日(1978/9/23)に泊まった勝縁荘。
当時は茅葺屋根だったことがわかる。
今はもう営業していないようだ。(1978/9/24撮影)
介山荘のある大菩薩峠を見下ろしたところ。
このときは雲が多く、富士山などの展望が得られなかった。(1978/9/24撮影)