青龍山瑞巌寺(宮城県宮城郡松島町) 2009年 11月
 臨済宗妙心寺派のお寺で、正式には松島青龍山瑞巌円福禅寺という長い名を持つ。
 修学旅行で訪れて以来何十年ぶりかの再訪を果たしたのは、 2009年11月だった。 修学旅行でなにを見たのかほとんど記憶にないので、 2009年が実質的には最初と言ってよい。
 このときは紅葉にはちょっと早いかなという時期で、 天気はどんよりとした曇り空で、少し肌寒かった。 しかも雨が心配で、折りたたみ傘をぶら下げながら歩くことになり、 散策に好適とは言えなかった。
 JR松島海岸駅から歩いて、まず五大堂を訪れ、日本三景の一つ松島を眺めた。 今回は時間の制約があったので、松島観光はまたの機会に回し、 瑞巌寺と円通院へと向かった。
 肝心の瑞巌寺本堂は平成21年に始まった修理期間中に当たっていて、 拝観出来なかったのは残念だった。 しかし、庫裡、大書院、宝物館、陽徳院御霊屋、円通院を見学でき、 伊達家の庇護を受けたお寺の歴史遺産に触れることができた。 特に陽徳院御霊屋は最近になって復元された建物で、大きくはないが豪華絢爛さには感心するばかりだ。
 円通院は、庭が見事である。 すでに一部の木は紅葉真っ盛りで、絵になる光景を目にすることができた。
 瑞巌寺、円通寺と回って、強く印象に残ったのは、伊達家の存在だった。
 写真は、RICOH GX200で撮影。
(2010/8記)

2016年秋、東京の三井記念美術館で特別展「松島 瑞巌寺と伊達政宗」が開かれた。 瑞巌寺本堂の7年にわたる平成大修理完成と伊達政宗生誕450年を記念し、併せて東日本大震災復興を祈念するという特別展である。
 東京で五大明王像を含めた瑞巌寺と伊達政宗にまつわる特別展があるとなれば、見に行かないわけにいかず、さっそく出かけてみた。
 というのも、私が瑞巌寺を訪れた2009年には、本堂の大修理が始まっていて本堂には入れなかったし、 五大堂に祀られている五大明王像(重文)は、33年に1回のご開帳の秘仏で、最近では2006年に公開されているので、五大明王像も拝観していないからだ。
 では、展示を見て、印象に残った点を記してみよう。
 お目当ての五大明王像(平安時代)は、不動明王像を中心にして5体が一列に並べられていた。 それぞれの像高は1m未満であまり大きくないが、十分な存在感を周りに放っていた。 保存状態がよく、部分的に彩色の跡が見られる。 完成直後は、色鮮やかだっただろうから、受ける印象は今とはかなり違っていだと思われる。 彫りはやや粗いようで、頭の上などには鑿のような跡が残っている。 ケヤキの一木造りで内刳りなしだそうで、そのせいか一部に亀裂が見られるが、全体の印象を損なうほどではない。 体に比べて顔が大きく作られ、頬の前への出っ張りが強調されているように見える。
 五大明王像の隣には、不動明王三尊像が置かれていた。 こちらは、鎌倉時代の作で、脇侍として、制多迦童子(せいたかどうじ)と矜羯羅童子(こんがらどうじ)が配されている。 矜羯羅童子がとても表情豊かで、現代彫刻としても通用しそうなほどだ。
 仏像は、祀られている寺院で拝観するのが、本来の姿だろうが、こうして美術館の展示室に置かれると、 細部がよく見え、細かな点に気づきやすいのも事実である。
 仏像以外の展示では、瑞巌寺の前身である天台宗延福寺に、北条正子が寄進したとされる水晶五輪仏舎利塔も、 総高6.5cmほどの小ぶりの容器ながら興味深かった。
 紫羅背板地(むらさきらせいたじ)五色水玉模様陣羽織(ごしきみずたまもようじんばおり)という、 難しい長い名前のついた陣羽織の水玉模様のデザインにはびっくり。 色鮮やかな大小の水玉が配され、とてもモダンな印象を受ける。 知らずに現代人の作と言われても納得してしまうのではないだろうか。
 瑞巌寺に伝わる彫刻欄間や屏風絵などにも見どころが多い。
 伊達政宗が武将として秀でていただけでなく、文化人としても一流だったことがわかる書や絵画も一見の価値がある。
 総じて見どころの多い特別展であった。
(2016/9/29追記)


 五大堂は、松島海岸の小島に建てられた仏堂である。 起源は坂上田村麻呂までさかのぼるとされるが、 滋覚大師円仁が仏堂を建立し、現在の建物は伊達正宗が再建した東北地方 最古の桃山建築と言われる。
 五大堂へは、赤い欄干のついた、隙間のある板張りの橋を渡る。 なかなか風情があるが、下は海である。
2009/11/2撮影

 瑞巌寺総門
 お土産物屋の並ぶ総門の前から、いったん総門をくぐると薄暗い杉並木 の中の参道へと吸い込まれていく。
2009/11/2撮影

 総門から続く参道をそれて右方向に歩くと崖にぶつかる。 その崖に沿って、やぐらと呼ばれる石窟が掘られている。 鎌倉のお寺にも似たようなやぐらが見られるが、こちらのほうが規模が大きい。
 鎌倉の場合、土地が狭いための工夫からやぐらができたといわれるが、ここ松島ではどうなのだろうか。
2009/11/2撮影

 円通院の大悲亭(本堂)
 お寺でもらったパンフレットには、
「円通院は、瑞巌寺山内 臨済宗妙心寺派の寺院で、伊達政宗公嫡孫伊達光宗公の菩提寺である。」
と書かれている。
2009/11/2撮影

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