増上寺(東京都港区) 2010年12月/2015年1月
 東京都港区にある浄土宗の寺で、三縁山広度院(さんえんざんこうどいん) 増上寺 というのが正式な名称である。
 浄土宗の寺としては、室町時代の14世紀末に酉誉聖聡(ゆうよしょうそう)によって 始められたという。
 その後、江戸時代になって徳川家の菩提所になり発展する。 しかし、明治の廃仏毀釈で広大な寺域は狭められ、さらに第二次世界大戦の戦災によって大半の堂宇を失ってしまった。 今ある主要な建物は戦後に再建されたものだ。
 浜松町方面から増上寺に向かうと、大門を通って三門にいたる。 三門の前には、日比谷通りを隔てて松原と呼ばれる松林が復元されている。 この緑地が増上寺とビル街を分ける緩衝帯の役目をしていて、あたりの景観をよくしている。
 17世紀に再建された三門は、戦災を免れた数少ない建造物の一つで、威厳と風格が感じられる。
 三門をくぐって境内に入ると、グラント松と呼ばれるヒマラヤスギの枝越しに大殿が現れる。 都心にありながら、ゆったりとした空間が広がり、公園の中にいるようだ。
 大殿は昔ながらの外観ながら、戦後になって再建されたコンクリート製の建物。 そしてなんといっても目立つのは、背後にそびえる東京タワーである。
 石段を上がって大殿の正面に出て、金属製の扉の中を見ると、本尊の阿弥陀如来坐像 が金色に輝いている。
 筆者は、2010年に2度この寺を訪れている。 最初は2月で、近くに用事があって立ち寄ったのだが、分厚い雲に覆われた曇り空の 日で、写真を撮ってもあまり印象的な出来栄えではなかった。 絵になるのは、朝日を浴びる早朝か、東京タワーがライトアップ される夕方ではなかろうかと想像し、大晦日の夕方にカメラをぶら下げて出かけてみた。 冬晴れの空の青味が残る空にライトアップされた東京タワーは、増上寺の脇役というより 主役のような存在感があった。 そのとき撮ったのが下に載せた写真である。

 2011年4月末から、増上寺に秘蔵されていた五百羅漢図が江戸東京博物館で公開されたので、 5月上旬に見に出かけた。 幕末の絵師・狩野一信が約10年かけて制作したものという。 羅漢5人ずつを1幅に描き、合計100幅という大作である。 お寺に来る人々が見ることを前提にして、羅漢のいろんな姿や場面が描かれている。 全100幅を通して見ても飽きさせない狩野一信の画家としての力量も大したものだし、 幕末当時の人が想像していたインドの風俗とかがわかって興味深かった。 (2011/5/6記)

 上述の通り、増上寺は徳川将軍家の菩提所として発展した寺である。 その墓所を見ないままでは、増上寺を知るうえで中途半端なことが気になっていた。 そこで、2015年1月に出かけてみた。 普段は非公開の墓所だが、時期を限って公開される。
 拝観料500円を払うと、 パンフレットと絵葉書をもらえる。 この絵葉書セットには、戦災で焼失する前まで存在した南北御霊屋(おたまや)の白黒写真10枚と境内図が含まれていて、 資料としてなかなかの優れものだ。
 墓所の敷地内に入ると、墓所敷地の三面に沿うように、合計8基の塔が並んでいる。 ここは、戦災で焼失した御霊屋に代わり、戦後になって整備された墓所なのである。 今でもそれなりに広く、簡素な石塔や青銅の塔が並ぶ墓所になっている。 しかし、被災前の旧御霊屋の規模は、こんなものではなかったのだ。 現在の本堂の北側に北御霊屋、南側に南御霊屋があり、 壮大は霊廟だったことが絵葉書の写真と境内図で知ることができる。 つまり、増上寺は徳川家の墓所が主要部分を構成していたといえる。 その南北の御霊屋が焼失して、跡地はホテルや公園になり、現在見る境内に縮小されてしまったわけである。
 それでも、同じ徳川家の菩提所だった寛永寺に大寺の面影が断片的にしか残っていないことと比べれば、 増上寺は今でも三門や本堂に、往時の姿を連想できるだけ恵まれているのかもしれない。 (2015/1/29記)
 写真は、CANON 5D Mark U・EF-24-105mm F4L IS USMおよび PENTAX K10D・DA★16-50mmF2.8ED AL[IF]SDMで撮影。


 三門(三解脱門)は戦災を免れた建物
 正月を迎えるために、謹賀新年の文字が掲げられている。
 17時をだいぶ回って、すでに空の青味はなくなっている。
2010/12/31撮影

 大殿と光摂殿(左)
 17時を少し過ぎたころで、まだ空の青さが残っている。
2010/12/31撮影

 大殿と東京タワー
 視覚的には、東京タワーが戦災で焼失した五重塔の代わりとなっているようにも 思える。
 大晦日の夜はカウントダウンのイベント目当てに大勢の人が集まるらしく、 境内ではその受け入れ準備が進められていた。
2010/12/31撮影

 大殿の屋根越しに見た東京タワー。 2011の数字が表示されているが、時間はまだ2010年12月31日の17時ごろで、 たぶんライトアップの予行演習だったのだろう。 数字は数分で消えてしまった。
2010/12/31撮影

 鐘楼堂
 1673年に完成した大梵鐘は江戸三大名鐘の一つと言われた。
2010/2/13撮影

 芝東照宮
 徳川家康を祀る芝東照宮は、もともと増上寺内の社殿であったが、 明治の神仏分離令で切り離された歴史を持つ。 現在は芝公園の一角にある。
2010/2/13撮影

 徳川将軍家霊廟−御霊屋(おたまや)
 普段は非公開で、特別拝観の折に中を見学できる。
 ここは、戦後に将軍家墓所として整備されたもので、 奥の正面に2基の塔(右が二代秀忠公夫妻の石塔、左が六代家宣公夫妻の青銅製の塔)が並んでいる。 廟内には、この2基を含め合計8基の塔が置かれている。
2015/1/11撮影

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