谷中七福神(東京都台東区/荒川区/北区) 2015年 01月
谷中七福神は、江戸時代から続く東京で最古の七福神といわれ、次の七寺で構成されている。
・寛永寺(不忍池弁天堂) (弁才天)
・護国院 (大黒天)
・長安寺 (寿老人)
・天王寺 (毘沙門天)
・修性院 (布袋尊)
・青雲寺 (恵比須)
・東覚寺 (福禄寿)
谷中七福神巡りの実施期間は、1月1日から10日までの間である。
実は、2014年の正月に回るつもりでいながら、うっかりして気が付いたら、10日を過ぎていた。
今回(2015年)はそのようなミスがないように、山仲間の忘年会(2014年)で、1月8日に歩くことを宣言しておいた。
8日(木)にしたのは、混み合う週末を避け、平日で時間の都合がつく日から選んだため。
結局、今回の七福神巡りには、山仲間二人が同行し、計3人で歩くことになった。
ふだんのお寺巡りは、筆者一人で出かけるのを基本としているが、冬晴れの青空の下、おしゃべりしながら歩いて回るのも楽しいものだ。
順路に決まりはないが、田端駅近くの東覚寺からか、あるいは逆に上野の不忍池弁天堂から歩くのが効率的だ。
我々は、8日の11時半に田端駅に集合して、まず東覚寺を目指した。
東覚寺に着いて、七福神の絵と寺院名入りの和紙を1000円で購入。
これに7箇所で押印(1箇所200円)してもらう仕組みだ。
地図を見ながら歩いていると、ほかにも地図を片手に持っている人が目につく。
平日でもこうなのだから、谷中七福神巡りは人気のある行事のようだ。
途中、松寿庵というお蕎麦屋さんで昼食。
長安寺の近くにあり、場所的にちょうど行程の半ばあたりというのが絶妙だ。
ここのメニューに、七福神そばというのがある。
当然、これを注文。
腹ごしらえを兼ねた休憩を終えて、再び歩きはじめ、最終の不忍池弁天堂に着いたのが14時過ぎ。
快晴の空の下、適度な運動になった七福神巡りだった。
谷中七福神巡りに人気があるのは、都内最古の七福神というほかに、歩いて回るのに適当な距離であり、
加えて、昔ながらの下町の風情を感じながら歩けるというのが、魅力になっているようだ。
さて、帰宅後にご朱印を押してもらった和紙を広げ、七福神の絵を眺めていると、どの神様の姿が七福神の誰に相当するのかわからないのがある。
まず見てすぐにわかるのは、唯一の女性神である弁才天、大きな布袋を持っている布袋尊、
甲冑姿の毘沙門天、打ち出の小槌を持つ大黒天の4神だ。
下の1枚目の画像に振った番号で、C、E、F、Aに相当する。
そのほかの@、B、Dは残りのどの神様にあたるのか、考え込んでしまった。
そこで、改めて残っている福禄寿、寿老人、恵比須の特徴と持ち物を調べて、絵と見比べてみた。
福禄寿は、あごひげと禿げた長い頭が特徴なので、当てはまるのはDだろう。
ふだん目にする福禄寿の像では、長い頭がもっと強調されているので、
Dを見てもすぐにそれとは気がつかなかったのだ。
さらに当てはまる特徴がないかと目をこらすと、Dの後ろの腰のあたりに見えているのは鶴のようだ。
最初はこれがわからず、杖の一部かなと思っていたのだが、どうやら鶴らしい。
鶴と亀は福禄寿が連れていることになっている。
ということで、長頭とあごひげおよび鶴がいるから、Dは福禄寿に間違いない。
残るのは@とBで、どちらかが恵比須または寿老人だ。
恵比須は釣竿と鯛を持っているのが普通で、寿老人は鹿を連れいるとされるが、絵にはそのどれも描かれていない。
だが、寿老人は福禄寿と同様に豊かなあごひげを持つとされるので、Bしかない。
そして、残ったのは恵比須と@の組み合わせ。
恵比須は烏帽子帽をかぶっていることになっている。
絵の@の帽子はそれっぽく見えるので、矛盾しない。
ということで、やっと七福神が絵のどれに相当するのかがわかって、すっきりした。
それにしても、この絵の作者は、なぜ、恵比須、寿老人、福禄寿などをすぐにそれとわかるように描かなかったのだろうか。
可能性として、絵が煩雑になるのを避けたかったのかもしれないが、作者が意図的に見る者に考えさせようとしたとも思える。
おかげで、七福神の特徴やら持ち物を調べるという予期しない作業を行い、正月早々いい勉強になった。
せっかく歩いて手に入れた谷中七福神のご朱印の押された和紙。
どうしたものか、思案中である。
しまい込んでおくにはもったいないので、額装して飾っておこうかとも思っている。
(2015/01/14記)
写真は、PENTAX K-5・DA★16-50mmF2.8ED AL[IF]SDMで撮影。