鶴岡八幡宮(鎌倉市) 2010年
 鶴岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう)は、源頼朝によって材木座にある元八幡から今の場所に遷され、 鎌倉幕府の中心的な施設となった歴史を持つ。 境内に鎌倉時代の建物は残っていないが、その歴史的意義を考えれば、鎌倉で最も重要な存在である。
 もちろん観光地としても有名で、筆者も子供のころ、遠足で訪れたのが最初の八幡宮詣だったと 記憶している。
 その後、足が遠のいていたが、2010年1月になってあらためてカメラをぶら下げて歩いてみた。
 久しぶりだったので、初めて歩くのと同じ感覚で、境内の主だった場所を見て歩いた。 当然、大銀杏も写真に収めたが、まさか2ヶ月後の3月、大風でその大銀杏が倒れようとは知る由もなかった。
 大銀杏の話題は別にしても、八幡宮はいつも参詣者や観光客が多い。 人気のある理由は、鎌倉のシンボル的な存在であるとともに、交通の便の良さにもあるだろう。 鎌倉自体が首都圏から楽に日帰り可能で、八幡宮が駅から適度な距離なので、散歩がてらに歩くにもよいし、 他のお寺にお参りする前か後に寄るにも都合がよい。

 鶴岡八幡宮を語る上ではずせないのは、若宮大路である。 源頼朝が、1180年に鎌倉に入って最初に造営を始めたのが、八幡宮と参道の若宮大路だとされるから、 頼朝にとってこの2つは首都のかなめだった、と考えられる。
 地図で鎌倉を眺めても、八幡宮と若宮大路は、それぞれ人間の頭と背骨のような格好に見える。
 ところで、私が鎌倉の寺社を頻繁に訪ね始めたのは2010年ごろのことで、以来、季節を変え鎌倉のあちこちに 何度も足を運ぶようになり、毎回のように新しい発見がある。 その一つが鶴岡八幡宮と若宮大路の存在感の大きさである。 司馬遼太郎が「三浦半島記」で書いているように、「狭隘な地に八幡宮が大きすぎ、若宮大路は巨大道路で、 全体とのバランスを欠いている」ことが、鎌倉を歩くうちに実感としてわかってくる。 ようするに、鎌倉の市街地であれば、だいたいどこの場所から歩いても、大した時間をかけずに八幡宮か若宮大路に突き当たり、 その大きさを思い知らされるしかけなのだ。 これこそが、頼朝が八幡宮と若宮大路を一体として考え、鎌倉幕府の権威を示す施設にしようとした意図だと思えてくる。
(2013/8/23追記)

 2014年から行われていた段葛(だんかずら)の改修工事が終わったのが、2016年3月末。 段葛とは、若宮大路の車道の中を貫く歩道のことで、起源は頼朝の時代に遡るとされる。 5月になって、その改修された段葛を歩く機会があった。 すべてがきれいに整備され、桜もほとんどが植え直されたそうで、新しく作られた公園の中の道といった印象だ。 桜の枝が伸び、改修以前のような落ち着いた風情が出てくるまでにはまだ時間をかかりそうだ。 それに残念なのは、歩道が全面舗装されたこと。 歩行者数のことを考えれば、仕方のないことなのだろうが。
 ただ、鎌倉駅方面から鶴岡八幡宮への観光客の流れを見ていると、若宮大路を利用する人より、並行して走る小町通りを歩く人のほうが多そうだ。 車道と段葛によって商店街が東西に分断されている若宮大路より、適度に狭い通りに飲食店や土産物屋が立ち並ぶ小町通りのほうが、 散策には向いているようで、人通りの数だけで見れば、小町通りがメインの参道になっている感がある。
(2016/5追記)

 写真は、RICOH GX200、CANON 5D Mark U・EF-24-105mm F4L IS USM およびPENTAX K-5・DA★16-50mmF2.8ED AL[IF]SDMで撮影。


 段葛(だんかずら)から三の鳥居越しに見た本宮(正面奥)と太鼓橋(正面手前)。
 段葛は鶴岡八幡宮に近づくほど道幅が狭く作られている。 遠近法による人間の眼の錯覚を利用して、実際より距離が長く見える効果を狙っているとされる。
2013/3/31撮影

 段葛の桜並木
 鶴岡八幡宮から延びる参道、若宮大路は海に向かって続いている。 その一部、三の鳥居と二の鳥居の間には、段葛と呼ばれる両側の道路より一段高い歩道がある。 他に類を見ない構造とされ、どういう目的で作られたのか諸説あるようだ。
 今も舗装されていないので、土の感触を味わいながら散策できるのがいい。
 もっとも、桜が植えられたのは大正時代で、それ以前は松並木だったらしい。 (2011/4/13撮影)

 2016年3月に終わった段葛の改修工事で、歩道は舗装され桜も植え替えられた。 その結果、この写真に見える風景とはかなり雰囲気が異なっている。 (2016/5追記)

 倒れる2カ月前の大銀杏を背にした狛犬。
 ここは源実朝が暗殺された場所と言われ、あまりにも有名だ。
2010/1/16撮影

 大銀杏の倒れた後の2010年4月に訪れたら、大銀杏があった場所を一目見ようと人垣が 出来ていた。
 それまであった大銀杏がなくなると、なんとなく間が抜けた景色に見えてくる。
2010/4/3撮影
 鶴岡八幡宮と縁の深い人物といえば源頼朝。
 頼朝の墓は、八幡宮からそう遠くない場所にある。 (写真左)
 江戸時代まで続くことになる本格的な武家政権を確立した人物の墓にしては、案外小さいことに驚く。
 桜並木正面の石段を登ると頼朝の墓がある。 (写真上)
2013/3/31撮影

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