東光寺(山口県萩市) 2010年 9月

 黄檗宗のお寺で、山号は護国山。
 元禄4年(1691年)に、萩藩三代藩主毛利吉就が建立した。 毛利吉就は、黄檗宗高僧で萩出身の慧極に帰依していたため、 慧極のために東光寺を建立するにいたったという。 当時は、隠元隆gがもたらした黄檗宗が盛んだったことが時代背景にある。 そして、東光寺は毛利家の菩提寺となり、 三代から奇数代藩主の墓所となった。
 萩は、阿武川河口の三角州に作られた町だが、 東光寺はその三角州の外にある。
 筆者が訪れたのは、2010年9月下旬。 猛暑だった夏がようやく終わり、すごしやすい気温になっていた。 おかげで、カメラを肩に歩いても、汗が出ることもなく、萩の城下町やお寺を回るには快適だった。 宿を出て、朝一番に向かったのが、この東光寺である。 お寺は市街地の東側のゆるい傾斜地にあり、赤く塗られた総門が待っていた。 さすがに中国風である。 中に進むと、二層の大きな三門がある。 さらに進むと、左手に小ぶりな建物が目に入る。 鐘楼だった。 華奢な感じがする。 同じ黄檗宗の長崎の興福寺で見た鐘楼と形は似ているが、 印象は異なる。 興福寺の鐘楼は柱が赤く塗られているため華やかだが、 こちらは柱に彩色が施されていないためのようだ。
 大雄宝殿もりっぱな建物だ。 中を覗くと、金色に輝く釈迦如来が安置されていた。
 大雄宝殿の裏手に回ると、毛利家の墓所になっている。 一番奥に奇数代藩主の墓があり、その前におびただしい数の石灯篭が林立している。 家臣たちが献上したものだという。 この一画は、木々に囲まれて、墓所に相応しく静寂な空気に包まれていた。
 東光寺の拝観を済ませたら、毛利家のもう一つの菩提寺である大照院が どんなお寺なのかを確認したくなり、循環バス「まぁーるバス」に乗って、 大照院へと向かった。
 写真は、CANON 5D Mark U・EF-24-105mm F4L IS USMで撮影。


 赤く塗られた総門
 17世紀末の建立。護国山の額が掲げられている。 門の中に見えるのは三門。
2010/9/25撮影

 三門
 東光寺創建から121年後の1812年に竣工した。 堂々たる構えだ。
2010/9/25撮影
 大雄宝殿
 17世紀末の建物。
建物正面手前の月台に置かれている石は、梵壇石というらしい。
2010/9/25撮影

 鐘楼
 17世紀末の建立。 どっしりとした三門や大雄宝殿と比べると、華奢な印象を受ける。
 もとは、今はない禅堂などと回廊でつながっていたらしい。
 なんとなくバランスが悪く感じるのは、そのためのようだ。
2010/9/25撮影

 毛利家廟所
 境内奥には、毛利家奇数代の萩藩主の墓と家臣が献上した石灯籠約500基が、 整然と並んでいる。
2010/9/25撮影

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