等持院(京都市) 2016年 3月
 等持院(とうじいん)は、臨済宗天龍寺派の寺院で、京都市北区にある。 山号は、萬年山。
 足利尊氏が夢窓疎石を開基として創建されたとされ、のちに足利家の菩提寺となっている。 実際にはもっと複雑ないきさつがあったようだが、ここでは割愛。 後に、応仁の乱や火災などに遭い、創建当初の建物は残っていない。
 足利尊氏の墓が庭園内にあり、作家の水上勉が少年時代に小僧として過ごした寺としても知られている。
 等持院の山門前に立つと、傍らに等持院と書かれた大きな標柱があり、周りは住宅街となっている。 標柱が山門に比べて大きすぎるし、全体に雑然としている。 あまり見栄えのしない光景だが、昔はこのあたり一帯が等持院の寺域だったのだろう。
 明治維新以降、足利尊氏が朝敵とされていたことが影響しているのかもしれない。
 山門から奥に向かって歩くと、背後に衣笠山の緑が目に入る。 左手に鐘楼を見て中門をくぐると、受付のある庫裏がある。
 庫裏から方丈へ移動すると、まず目に入るのは衝立に描かれた達磨の顔の絵(関牧翁筆)。 赤と黒の2色が際立ち、ちょっとユーモラスな雰囲気もある。 どこかで見た記憶があるので、帰宅してから調べたら、天龍寺で同様の達磨図を見ていた。 作者は異なるようだが、よく似ている。
 方丈では、狩野派の襖絵(複製)と白衣観音が描かれた掛け軸(狩野探幽筆)を見ることができた。
 方丈と渡り廊下でつながっている霊光殿には、本尊の地蔵尊像を中心に歴代の足利将軍の木像が並べられている。 それぞれの人柄が顔の表情に出ているようで面白い。 例えば、義満はいかにも自信ありげだし、義教はちょっと神経質な感じだ。
 一通り堂内の見学を終えると、次は庭園。 方丈の北側に広がる庭園内を歩いて回ることができるように履物が用意されている。 北が高くなった傾斜地に作られていて、中央に池がある。 夢窓疎石の作と伝わっているが、様式的には江戸時代のものらしい。 一段と高くなった場所には茶室があり、ここからの眺めもいい。
 庭園内には、足利尊氏の墓がある。 室町時代を開いた人物にしては質素なたたずまいだ。
 この庭園で気になるのは、周りの近代建築。 等持院の境内は、衣笠山の山裾に広がっていて、その山側にある立命館大学の校舎が見え隠れしている。 お寺でも、ビルが見えないように背の高い木や竹をめぐらす工夫をしてはいるが、完全には隠しきれていない。
 同じような問題は各地にあり、京都では勧修寺(かじゅうじ)が、名神高速道路を隠すために竹を植えて効果を上げていたことを思い出した。

 水上勉が小僧時代を過ごした昭和初期からすれば、山門周りや庭園の景観はずいぶんと変わったようてある。 それでも、等持院の庭園はなかなかに見ごたえがある。 近くにある龍安寺や金閣寺などに比べたら格段に拝観者の数が少ないから、静かな雰囲気を好む人にはお勧めの寺院である。 広葉樹が多いので、紅葉のときの見学もよさそうである。

 写真は、PENTAX K-5・DA★16-50mmF2.8ED AL[IF]SDMで撮影。


 南を向いた山門は周りを住宅に囲まれている。
 背後に、衣笠山の一部が覗いている。、
 左手に見える「等持院」と書かれた標柱は、門に比べて大きすぎる上に汚れている。
 全体に雑然としていて、あまり風格を感じない眺めだ。
2016/3/19撮影

 庭園と方丈
 方丈(本堂)は1616年に福島正則が妙心寺塔頭海福院に建立し、1818年に等持院に移築されている。
 庭園は東西の二つからなり、この写真は西側の庭で、茶室を背に撮っている。
2016/3/19撮影

 庭園の中に、足利尊氏の墓がある。

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