東福寺(京都市) 2009年 11月
 東福寺(とうふくじ)は、京都市東山区にある臨済宗東福寺派大本山。 かって京都五山の一つに数えられた、京都でも最大規模の寺院である。
 創建については、鎌倉時代の公卿・九条道家により発願され、開基には円爾(えんに、聖一国師)が迎えられている。 東福寺の名前も、奈良の東大寺と興福寺から一字ずつもらったというから、当初から規模の大きいお寺を目指していたのだろう。
 紅葉の名所としても名高いが、筆者が訪れたのは11月初めで一部の葉が色づき始めたころだった。
 東福寺駅から歩くと日下門(にっかもん)から境内に入ることになる。 途中には、洗玉澗(せんぎょくかん)という渓谷にかかる臥雲橋がある。 屋根付きのりっぱな橋だ。 ここから見上げると有名な通天橋が望まれる。 渓谷を囲む一部の木々の葉は紅葉が始まっているが、最盛期にはまだ間があるようだった。 ここが京都駅からさほど離れていない大都会の中なのに、深山幽谷の趣きがあるのが不思議だ。
 境内に入ってまず目につくのは、巨大な本堂(仏殿)と三門である。 これらの建物に圧倒されるけれども、ほかにも禅堂、東司、龍吟庵など広い境内に興味深い建造物が数多くある。

 上記の文は、2009年に拝観したときの印象に基づいている。 写真もそのときに撮ったものを使用したが、別名伽藍面(がらんづら)と言われる大きな伽藍が立ち並ぶ 東福寺境内の様子を紹介するには、ちょっと物足りないと感じていた。 2013年2月、宇治市の萬福寺から京都市内へ戻る途中、途中下車して東福寺の写真を撮ったので 追加して載せておく。 (2013/3/31記)
 写真は、RICOH GX200およびPENTAX K-5・DA★16-50mmF2.8ED AL[IF]SDMで撮影。

 その後、2023年春には東京国立博物館で特別展「東福寺」があり、数々の寺宝を見学する機会があった。
 東福寺を語るとき、伽藍面とも呼ばれるように、その伽藍の立派さに目が行きがちであるが、この特別展では、建造物以外の貴重な文化財が多数展示されていて興味深かった。 個人的には、禅宗文化の発展に大陸との活発な交流が大きな役割を果たしたことや、生涯東福寺で絵を描き続けた画僧・明兆(みんちょう)による絵画の数々が印象に残った。
 明兆(1352-1431)について、筆者は名前を聞いたことがある程度の予備知識しかなく、実物の作品を見るのは今回が初めてであった。 展示品の中でも代表作とされる五百羅漢図が圧巻であった。 全50幅のうち、会期中に展示替えがあるので、筆者が見たのはその一部だったが、確かで流麗な描線や修復で蘇った極彩色は圧倒的だし、五百羅漢のそれぞれ個性的な人物表現も面白い。 江戸時代までは、明兆が雪舟と並び称されただけのことはあると思った。 これを機会に、明兆は再評価されるのではないだろうか。 また、そうあって欲しいものだ。 (2023/3/19記)


 思遠池を前にして建つ国宝の三門
 室町時代初期1425年の再建。 現存する禅寺の三門としては最古とされる。
 五間三戸二重門の大きさに目を見張るが、全体の印象はすっきりとしていて美しい。
 建築様式としては、禅宗様/大仏様/和様が混在している。
2013/2/11撮影

 三門を通して見た巨大な本堂正面。
 本堂は昭和9年に再建されている。
2009/11/4撮影

 明治時代の火災で法堂や仏殿などを焼失し、昭和に入ってから再建されたのが法堂と仏殿を兼ねたこの本堂である。 すでに貫禄充分だ。
2009/11/4撮影

 細長い建物の東司(とうす)
 禅宗式の東司(便所)で、その巨大さに驚くが、室町時代唯一の東司の遺構として貴重なものだと説明にある。
2013/2/11撮影

 通天橋を渡ってたどりつくのが、開山堂(別名常楽庵、正面)と普門院(左手)。 開山堂は19世紀初めに再建された建物で、屋上に閣を持つ変わった構造を持つ。
 普門院に軒下腰かけている人たちは、朝まだ気温が低い時間だったので、日の当たる場所で開山堂や庭園を眺めている観光客の姿があった。
2009/11/4撮影

 東福寺を出て、東福寺駅に向かって歩いているとき見かけた酒屋さんの看板。
 東福寺も長い歴史を持っているが、街並みも歴史を感じさせる。
2009/11/4撮影

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