東大寺(奈良市) 2010年 12月
 華厳宗の大本山。
 金光明四天王護国之寺(こんこうみょうしてんのうごこくのてら)ともいう。
 8世紀の奈良時代に聖武天皇が建立した寺である。
 筆者が訪れたのは2010年の年末である。 その年の秋に薬師寺などを拝観したが、平城遷都1300年祭もあってどこも大変な人出だった。 年末になれば旅行シーズンが終わり静かになるのではないかと予想し、 12月24日に奈良へ旅行したわけである。 案の定、予想通り人は少なかった。 なにより修学旅行生がいないので、有名な寺院もゆっくりと見学することができたが、 のんびり散策するには少々風が冷たかった。
 まず最初に訪れたのが東大寺である。 ここの境内は広い。 拝観順序に決まりはないが、大仏から拝観するのが自然だと思い、大仏殿に向かった。 時間が早かったせいもあり、南大門付近は人がまばらで、鹿だけがゆうゆうと道路を歩いていた。 大仏殿にたどりつく前に、この南大門の規模の大きさにまず驚く。 門をくぐってからもゆったりとした通りが中門へと続いている。 こじんまりとしていないおおらかさは、日本離れしていて奈良らしいと言える。
 今見る大仏殿は江戸時代に再建されたもので、創建当時や鎌倉時代の再建時のものに比べ横幅が短くバランスが悪いと言われるが、 十分に堂々としている。
 大仏殿の中に入り、瑠遮那仏のまわりを一周する。
 すべてを抱擁するようにどっしりと構えた盧舎那仏像が圧巻だが、 ほかに脇侍として左右に配されている如意輪観音坐像と虚空蔵菩薩坐像、 四天王のうちの広目天像と多聞天像がある。 片隅には賓頭盧尊者像がある。 いろんなところの寺で賓頭盧尊者像を目にするが、ここの像は大仏の大きさに合わせたのか とりわけ大きいようだ。
 大仏殿のあと、鐘楼、二月堂、法華堂、大湯屋、戒壇堂などを回ったがどれも興味深かった。
 東大寺の主だった伽藍を見て感じるのは、その歴史の厚みと規模、環境だ。 約1km四方の緑豊かで、どこからが境内なのかはっきりしない起伏のある広大な土地に伽藍が点在しているから、 一回の拝観ですべてを見ることは不可能に近い。 2010年に訪れたときも、転害門(てがいもん)まで足を延ばせなかった。
 もっとも、すべての建物や仏像を目にしたところで、東大寺の全貌が理解できるわけでもないのだが。

 2016年になって、水彩画教室の仲間数人と奈良を旅行する機会があり、前回パスした転害門周辺を歩いてスケッチをした。
 転害門は、鎌倉時代に修理されているものの、東大寺創建時の姿を残す貴重な遺構とされる。 他の多くの建造物が戦乱などで焼失し、再建されているからである。 もちろん国宝に指定されているのだが、東大寺の北西端にあるため、ここまで来る観光客はほとんどいない。
 下に載せた写真でわかるように、三間一戸八脚門は堂々としている。 門自体の中に入ることはできないが、特別に厳重に保護されているわけでもなく、警備の人も見かけない。 注意書きの札を読んでみると、「野良猫の被害に困っているので、エサをあたえないように。」とある。 人間は柵があって中に入れないので、猫には住みやすいらしい。 国宝を住処にするとは贅沢な野良猫たちである。 どんな猫なのか興味があったが、このときは姿を見せなかった。
(2016/7追記)

 2016年12月、関西旅行をした折に、東大寺にも足を運んだ。
 お目当ては、東大寺ミュージアム。 2011年に開館した施設で、筆者にとって初めての見学である。 建物が最新の技術で作られているだけあって、展示品が見やすくなっている。
 伎楽面などの工芸品の展示物も興味深かったが、諸仏像の中では千手観音菩薩立像の存在感がすごい。 かっては四月堂(三昧堂)に安置されていた平安時代(9世紀)の像で、高さが3m近い堂々とした像だ。 42本の脇手と天衣の織りなす様は、曲がりくねった木の幹、あるいは蛇が絡まりあったようにも見え、その立体感と量感からくる迫力に圧倒される。 展示されているほかの国宝級の仏像の印象が薄くなるほどだ。
 東大寺ミュージアムを出た後、せっかく東大寺の境内まで来たので、大仏殿と法華堂(三月堂)にも立ち寄った。 途中の道すがら、東塔院跡の発掘調査現場を右手に見ることができる。 ここに七重塔がそびえていたころの景色を想像すると、さぞ壮観だったに違いない。
 法華堂では、本尊の不空羂索観音立像を中心にした仏像群を拝観。 法華堂自体も奈良時代のもので国宝に指定されている。 そのほの暗く広くはない部屋で、所せましと林立している奈良時代の諸仏像を前にすると、まるで奈良時代にタイムスリップしたような気分になる。
 東大寺は何度来ても、時代を超越した魅力的な場所である。
(2017/2追記)

 写真は、CANON 5D Mark U・EF-24-105mm F4L IS USMおよびRICOH GX200で撮影。


 南大門
 大仏殿も大きいが、南側から境内を進むと、まずこの南大門の大きさに驚かされる。 現在の門は、鎌倉時代に重源上人(ちょうげんしょうにん)が再建したものだ。
 大仏様(天竺様)の建築として有名で、国宝に指定されている。 二重の屋根は巨大な翼のように見える。
 そして、ここに安置されている大きな金剛力士立像も迫力がある。 運慶、快慶ら慶派一門によって作られたもので、国宝である。
2010/12/24撮影

 南大門越しに中門と大仏殿の屋根が見える。(左)



 南大門の外見は屋根が二重になっているので二重門に分類されるが、内部が二階建てになっているわけではない。 南大門の下から見上げると、屋根裏まで見通せることでそれがわかる。 天井がない大仏様という建築様式のためだ。 門全体を支える合計18本の通し柱は屋根部分まで達し、それぞれ約21mもある。(上)
2010/12/24撮影

 金堂(大仏殿)
 現在の建物は、江戸時代の1709年に落慶したもの。
 国宝の八角燈籠は、東京国立博物館の特別展に展示されるため搬出されていた。
 大仏殿を支える柱
 江戸時代の再建時に、用材の不足から寄木金輪締めになったという。
2010/12/24撮影

 盧舎那仏像(大仏)
 金堂の本尊で、聖武天皇の発願で制作されたが、2度の焼失を経て、 現在の像は、鎌倉時代と江戸時代に補修されたものである。 当初は光背の化仏と同様に金ぴかだったという。

 大きくてちょっと変わった形相の賓頭盧尊者(びんずるそんじゃ)。
2010/12/24撮影

 鐘楼
 大仏殿から二月堂に向かって少し登ると鐘楼がある。 大仏殿と釣り合いをとるかのように存在感のある大きさだ。 梵鐘自体も大きいが、鐘楼も重厚である。
 左手に見えているのは大仏殿の屋根で、右手奥に見えているのは 俊乗堂。
2010/12/24撮影

 二月堂
 お水取り(修二会)で有名だ。 懸造の舞台からは奈良の町が一望できる。 三角の屋根は大仏殿である。
2010/12/24撮影

 大湯屋
 鎌倉時代の建物だが、僧侶のほかに作業に携わる人たちもここで汗を流したらしい。 なお日本での入浴の習慣は、江戸時代以降に広まったようだ。
2010/12/24撮影

 戒壇院
 8世紀、鑑真の来朝後に建立されたが、3度の火災により、 現在の戒壇堂は1732年に再建されたものという。
 内部には、多宝塔を中心に四天王が安置されている。
 建物の外観は、太宰府市にある戒壇院の本堂と似ている。 もっとも太宰府市の戒壇院の再建は、東大寺戒壇院の再建より後なので、 こちらの建物が参考にされたのかもしれない。

 瓦には、「戒壇堂享保壬子造」の文字が読めるから、享保17年(1732年)となる。 現在の建物が再建された当時のものなのだろう。
2010/12/24撮影

 転害門(てがいもん)
 東大寺創建時の貴重な遺構といわれる。
 屋根の微妙な反りが美しい。 ただし、この写真では屋根が狭く見えて、全体のバランスが悪い。 もう少し離れた位置から見るのが、良さそうだ。
 この門の前から西にまっすぐ伸びる一条通り(一条大路)を3km弱進めば、聖武天皇の妃・光明皇后の創建した法華寺がある。
2016/6/11撮影

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