談山神社(桜井市) 2014年 6月
 談山神社(たんざんじんじゃ)は、奈良県桜井市多武峰(とうのみね)にあり、中臣(藤原)鎌足を祭神としている。
 社伝による創建は、7世紀後半に中臣鎌足の長男の定慧が唐から帰国後に、 父の菩提を弔うために十三重塔を建立したことがはじまりとされている。
 筆者は、6月初旬に桜井駅からバスに乗って、談山神社に向かった。 乗っている時間は、20分ちょっとだから大した距離ではないが、 多武峰と呼ばれる山地の中に入っていくので、けっこう山深いところだ。
 今回は、桜井駅から談山神社まで歩くことなど考えていなかったが、 司馬遼太郎の「近江散歩、奈良散歩」によれば、昔の大阪の小学生にとって多武峰は遠足で行く場所だったという。 桜井駅から歩いて向かったと書かれているので、ほぼ今のバスのルートを歩いたのだと思われる。 なかなかハードな遠足だったのではないだろうか。
 私の利用したバスは、朝早い便だったせいか、土曜日にもかかわらずバスから降り立った観光客は私一人だった。 他の2,3人の乗客は、談山神社周辺のお店などで働いている人たちのようだった。
 談山神社は、緑濃い山の斜面に広がっていて、たくさんの社殿が点在している。 さすがに長い歴史を持つ神社だけのことはある。
 背後の山が、談い山(かたらいやま)と呼ばれるようになったのは、 ここで中臣鎌足と中大兄皇子(のちの天智天皇)が大化改新の談合を行ったためとされ、神社名の由来にもなっている。
 お土産物屋が軒を連ねる道路から石段を登って奥へと進むと、 間もなく、お目当ての十三重塔が目に入った。 近づいてみる十三重塔は、各層の屋根が檜皮葺の落ち着いた色調で、屋根の反り具合が優美だ。 思っていたより大きい塔だが、威圧感は感じない。
 塔の少し下にある神廟拝所の内部には、 中臣鎌足の神像と特別公開中の如意輪観音像(鎌倉時代)が安置されていた。
 神社に十三重塔があったり、如意輪観音像があるのは、 明治の廃仏毀釈以前の談山神社は妙楽寺という仏教寺院だったためだ。 明治初期に多くの仏像が廃棄されたりした(その中に東京国立博物館所蔵の7世紀唐時代の十一面観音菩薩立像がある)なかで、 どういういきさつで如意輪観音像だけが残されたのだろうか。
 写真は、PENTAX K-5・DA★16-50mmF2.8ED AL[IF]SDMで撮影。


 奥に見えるのが十三重塔、手前が神廟拝所。 ほかにも、談い山(かたらいやま)の斜面にたくさんの社殿が立ち並んでいる。
 神廟拝所には、中臣鎌足像や特別拝観中の如意輪観音像などが安置されていた。
 左手前の広場は、けまりの庭。
 一帯は紅葉の名所として有名だが、緑の若葉もきれいだ。
2014/06/07撮影

 十三重塔
 1532年の再建だが、唯一現存する木造の十三重塔である。
 均整のとれた形、檜皮葺の柔らかく落ち着いた色合いの屋根が美しい。 想像していたより大きく立派な塔だった。
2014/06/07撮影

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