橘寺(奈良県高市郡明日香村) 2016年 6月
 橘寺(たちばなでら)は、明日香村にある天台宗の寺院で、 仏頭山上宮皇院菩提寺が正式名称である。
 この付近で聖徳太子が誕生したとされ、聖徳太子建立七大寺の一つに数えられている。
 太子が父用明天皇の別宮を寺にあらためたのが橘寺の始まりとされるが、実際の寺院の建立年は不明のようだ。 その後、太子信仰が盛んになるとともに、金堂や塔を備えた寺院として栄えたが、江戸時代になるころには衰微してしまったようだ。 現在目にする諸堂宇は、本堂が江戸時代末期の再建になるのを初め、比較的新しいものばかりである。
 近鉄岡寺駅から東へと延びる県道155号が石舞台古墳に近づくと、あたり一帯にはのどかな田園地帯が広がる。 その広々とした棚田を隔てて南側の一段と高くなった場所に橘寺がある。 一直線に伸びる白壁に諸堂の屋根が重なり、お城のようにも見える。 かなり規模の大きな寺院であることが遠目にもうかがえる。
 県道の脇には、「聖徳皇太子御誕生所」と書かれた石柱が建っている。
 県道から約100mほど入ると西門があり、入山料を納める。 境内に入ると、そこは本堂の裏側にあたる。 つまり本堂は東面して建てられているから、西門は裏門にあたり、正門は反対側の東門ということになる。 本来は東門から境内に入るべきなのだろう。
 靴を脱いで本堂内に入ると、本尊として聖徳太子坐像(室町時代)が安置されている。
 本堂を出て見回すと、如意輪観音像を安置する観音堂、経堂、護摩堂などの諸堂、五重塔跡、 二面石という飛鳥時代の石造物などけっこういろんなものがある。
 現在の橘寺に比較的新しい建物しかないのは残念だが、境内には緑が多く、落ち着いた雰囲気が好ましい。 それに、田んぼを前景にして見る橘寺の佇まいが、いかにも明日香村の古寺といった風情なのもいい。
 実は、筆者が訪れたのは、午前中に岡寺の参道周辺でスケッチをした後、仲間と別れて一足先に東京に帰る途中であった。 スケッチの候補地としての下見も兼ねて立ち寄ったのだが、お寺に着くころから雨が降りだしたため、早めに切り上げざるを得なかった。
 写真は、RICOH GX200で撮影。


 岡寺駅から東へと延びる県道155号の両側には、のどかな田園風景が広がる。
 石舞台古墳に近づくと、右手(南側)の棚田の上に橘寺の伽藍が見えてくる。 白壁に囲まれているので、お城のようにも見える。
2016/6/12撮影

 本堂(江戸時代末期)と黒駒の像
 馬の像は、聖徳太子の愛馬である黒駒を表している。
2016/6/12撮影

二面石(写真上)
 飛鳥時代の石造物と言われる。
 背中合わせになった顔は、人の心にある善相と悪相の二面を表しているとされる。

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