聖寿山崇福寺(長崎市) 2010年 7月
 聖寿山崇福寺といい、長崎市にある黄檗宗のお寺である。
 2010年7月、興福寺を拝観したのち、崇福寺を訪れた。 興福寺からお寺の続く通りを歩いて15分くらいだろうか。
 正面に崇福寺の三門が見えてきたとき、真っ先に思ったのは、 竜宮城のイメージだ。 この三門を含めて崇福寺全体からは、興福寺にも増して異国的な印象を受ける。
 三門をくぐり、急な坂を登ると第一峰門が現れる。 中国から運ばれた資材で作られているという。 国宝に指定されている。
 さらに中に進むと、大雄宝殿の前に出る。 こちらの建物も国宝で、1646年創建という。
 右手奥には、媽姐堂がある。 境内に媽姐堂があるのは、興福寺と同じで、中国南部の風習にならったものだ。
 境内はそれほど広くない。 大雄宝殿や媽姐堂など主要な建物は赤く彩色されているので、 興福寺より華やかな印象を受ける。 護法堂には関羽を祀る関帝堂があるのも目を引く。 各伽藍の扁額には、航海安全に関するものが多いようだ。
 興福寺と崇福寺は似たような時期(17世紀前半)に作られた黄檗宗のお寺でありながら、 似ていない部分も多いのは、出身地の違いから来ているらしい。 崇福寺は、福建省福州の出身者によって建てられ、興福寺は三江の出身者によって建てられた 歴史を持つ。
 長崎は、中国文化の影響が色濃い街だが、その一例を翌日に知ることになった。 私の山仲間で、もう30年以上も前に北アルプスで遭難死したY君の実家が長崎市内にある。 今回久しぶりにお墓参りした際、横に小さな丸味を帯びた石が置かれていることに 気がついた。 石には土神と彫られている。 周りのお墓を見回すと、すべてに土神と刻まれた小さな石がある。 あとで調べてみると、土神とは中国から伝わったもので、土地の神様を祀っているとのこと。
 たぶんほかにも知らない部分で、中国文化の影響が隠れていそうである。
 写真は、RICOH GX200で撮影。


 この赤く塗られた三門を見て、誰もが連想するのは、 竜宮城ではないだろうか? 別名、竜宮門と言われる通りだ。
2010/7/11撮影

 三門を入って、階段を登りきると、国宝の第一峰門が現れる。
2010/7/11撮影

 第一峰門内側の軒裏を見上げると、複雑な組み物と文様が目に入る。 また、扉には蝙蝠の模様が描かれているのが、日本では珍しいとされる。
2010/7/11撮影

 大雄宝殿の前は石が敷き詰められていて木が植えられていない。 上の扁額には、海西法窟と書かれている。
2010/7/11撮影

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