聖林寺(奈良県桜井市) 2014年 6月
 聖林寺(しょうりんじ)は、山号を霊園山(りょうおんざん)と称する真言宗室生寺派の寺院である。
 創建は奈良時代の8世紀にさかのぼり、多武峰妙楽寺(現在の談山神社)の別院として創建されたといわれるから、長い歴史を持つ寺院である。 だが、多くの訪問者の興味の対象は、なんといっても所蔵する国宝の十一面観音菩薩立像である。
 聖林寺は桜井市の南部にあり、奈良盆地が多武峰(とうのみね)に向かって少し高度を上げた丘の中腹にある。
 筆者は、談山神社を参拝後に、バスで移動して訪れた。 最寄りのバス停で下りると、聖林寺は丘の中腹に見えている。
 山門をくぐり、境内に入ると庭に所せましと植物が植えられている。 サツキの一部にはまだ花がついていた。
 さっそく本堂に上がると、江戸時代作の大きな石の子安延命地蔵菩薩の坐像が目に入る。 丈六石像の大きさに圧倒されるとともに、見慣れたお地蔵様−僧侶の格好で錫杖を持つ立像−とはずいぶん違うのに戸惑う。 白く塗られた顔は女性のもので親しみやすく柔和だが、顔自体が胴体に比べ異様に大きい。 「女性泰産」を祈念して造立されたものだというから納得。
 次に、今回の訪問の主目的である十一面観音立像(奈良時代)の拝観だ。 像は、本堂とは別棟の観音堂に収められていて、本堂からは屋根付きの階段を登った先にある。 観音堂は、十一面観音立像を収蔵するために、1959年に造られた建物なのだ。
 聖林寺の像は、全国に7体あるという国宝指定の十一面観音像のうちの1体である。 しばしば仏像に関する本で取り上げられ、明治時代になって三輪山・大御輪寺から移された経緯や、その後にフェノロサが紹介し、保存に尽力したことなどが広く知られている。 また、和辻哲郎の「古寺巡礼」では、多くの紙幅がこの像の描写と評価に費やされている。
 木心乾漆像の実物は像高が2mを越えるから、かなり大きい。 取り外されている光背がついていたら、全体はもっと大きいことになる。 像が大きく、拝観者からは見上げるような格好になるため、肩の張りがより強められているような印象を受ける。 胴はくびれて引き締まっているが、肩から腕、天衣を経て足元にいたる曲線は優美そのものだ。 たしかに一見の価値はある。
 本堂に戻って外を眺めると、北の方角に視界が開けている。 残念なことに三輪山は雲の中で見えない。 聖林寺の十一面観音立像は、もともと三輪山の神宮寺・大御輪寺の本尊だったのだから、そこから遠くない場所に安置されることになったのは、幸いだったに違いない。

 2021年、東京国立博物館で「聖林寺十一面観音」展が開かれた。 まさか東京でこの像に出会えるとは思っていなかったし、7年ぶりに聖林寺の十一面観音菩薩立像を拝する機会なので、さっそく上野まで出かけた。 今回はコロナ禍での特別展開催とあって、事前予約制が取られていた。 そのせいもあってか、筆者の訪れた平日の午前中は、訪れる人の数は予想よりかなり少なく、仏像を静かな環境で見て回るには都合がよかった。
 十一面観音像は展示室の中央に置かれ、ガラスケースで覆われていた。 反射の少ないガラスが使用されているようで、ガラスの存在が気にならなかった。
 久しぶりに眼にした観音像は、量感のある体躯にやや厳しい表情のお顔で人々の視線を受け止めていた。 これは、聖林寺での印象と基本的に変わらない。
 博物館での展示の利点は、周囲360度どこからでも見られることだ。 まず、正面からの印象として、全体の均整が取れているのがわかる。 細部では、特に指先の繊細な表現が目を引いた。 よく胴のくびれが強調されていると評されることがあるが、台座の蓮弁まで含めて全体を見ると、やはりこれが最適だと感じられる。 像の真横に立つと、像が前傾していようにも見えるが、実際には、裳の裾が後方にたなびいているので、そう見えるだけなのだ。 この裳の表現によって、観音さまが今にも人々の救済に動き出す状態が表現されているようだ。
 コロナ禍で右往左往する衆生を、観音さまはどのように見守っているのだろうかと想像しながらしばらく見入っていると、心が落ち着いてくるのだった。
(2021/7追記)
 写真は、PENTAX K-5・DA★16-50mmF2.8ED AL[IF]SDMで撮影。


 山門
 聖林寺はどこにでもありそうな規模の寺で、さして広くない境内は、各種の樹木で覆われている。
 ここを訪れる大半の観光客や参拝者のお目当ては、国宝の十一面観音立像だと思われる。
2014/06/07撮影
 本堂からは、北の方角の眺めがいい。 晴れていれば、写真の中央あたりに三輪山が見えるはず。 聖林寺と三輪山は直線距離にして約5kmである。
 十一面観音像はもと三輪山・大御輪寺の本尊で、 明治維新前後の廃仏毀釈のあおりで、聖林寺に運ばれたといわれる。
 和辻哲郎は、路傍に打ち捨てられていた、という噂話を「古寺巡礼」の中で紹介している。
また、白洲正子は、フェノロサが大御輪寺の床下で発見し、聖林寺の僧と一緒に聖林寺まで運んだ、という住職の話を、「十一面観音巡礼」の中で記している。
2014/06/07撮影

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