称名寺(神奈川県横浜市) 2012年 5月
 称名寺(しょうみょうじ)は横浜市金沢区にある。 真言律宗別格本山で、山号は金沢山(きんたくさん)である。
 13世紀に、金沢北条氏の2代である北条実時が開基し、以降は金沢北条氏の菩提寺として栄えた歴史を持つ。 北条実時は広く書籍を収集し、金沢文庫を創設した文化人でもある。 その金沢文庫は、今も称名寺の隣に、県が運営する施設として活動している。
 大規模な寺院の建立には多額の資金が必要になるため、造営料唐船が元に派遣されていた ことでも知られる。
 鎌倉時代に隆盛を誇った称名寺も、金沢北条氏の滅亡とともに衰退してしまう。 現在の称名寺境内を特徴づける浄土式庭園は1987年に復元されたものである。
 場所は、京浜急行金沢文庫駅から住宅街を抜けて10分ほど歩いたところにある。 赤門から境内に入ると、仁王門に向かってまっすぐに参道が延びている。 この参道も落ち着いた雰囲気でいい。 そして仁王門から先に、阿字ヶ池を中心にした広大な浄土式庭園が広がっていることに驚く。 周りの市街地の建物がまったく視野に入らないという不思議さ。 小高い丘や森林に囲まれているためだが、池も空も広く、窮屈さがない。 現在の鎌倉市内には、似たような景観を持つ寺院は見当たらないが、称名寺の建設時には、同じ浄土式庭園を持つ永福寺(ようふくじ、源頼朝建立、鎌倉市)がすでにあり、 これを参考にしたことは考えられる。
 筆者が最初に称名寺を拝観したのは2011年5月中旬。 ちょうど黄菖蒲が満開で、いかにも浄土に相応しい雰囲気だった。
 しかも休日だというのに、参拝客や観光客の姿はまばらだった。 ここからそう遠くない鎌倉市内の有名なお寺の混雑ぶりとは別世界である。
 もっとも、黄菖蒲は明治時代以降に広まった帰化植物で、鎌倉時代の称名寺にはなかったと思われるが。
 その後、たびたび訪れている。 秋の紅葉の季節もいい。 新緑の季節とはまったく異なる色彩の世界が広がっていて、目を楽しませてくれる。
 また裏手の丘陵地には「称名寺市民の森」としてハイキングコースが整備されていて、海が見渡せる。
 称名寺は、お寺や仏像に取り立てて興味がない人にも、安らぎを与えてくれる場所といえる。

 称名寺まで来て、隣接する金沢文庫を訪れないのは片手落ちなので、いつか立ち寄りたいと思いながら、 実現したのは2013年秋だった。 特別展「東大寺−鎌倉再建と華厳興隆−」の会期中で、東大寺から国宝の重源上人坐像などがやってきていた。 会場の施設そのものが大きくないので特別展も大規模ではなかったが、内容はなかなかに充実していた。
 展示物の中で個人的に興味があったのは、重源上人坐像と弥勒仏坐像である。 国宝の重源上人坐像は鎌倉時代の彫刻の傑作だけあり、 東大寺復興の立役者の人柄がうかがえる迫真的な像だ。 もう一つは弥勒菩薩像(重文、試みの大仏)だ。 像高は40cmに満たない小さな像ながら、頭部を前に出し気味の、不思議な格好と表情をもった像だ。 最近ある本でこの像の写真を見て以来、姿や形もさることながら、左手が妙に気になっていた。 降魔印とされる下向きの左手は甲を上にしているはずなのだが、 手に実体感がなく向きがはっきりしないのだ。 今回、正面からは見えない親指が、斜めから見るとはっきり見え、手の甲を上にしていることがよくわかった。 でも、思い返してみると、筆者が最初にこれらの像を見たのは、1980年に東京国立博物館で開かれた東大寺展のときである。 そのときのことは、さして印象に残っていないから、漫然と展示物を見ていたことになる。 仏像や寺院に興味を持ち出したのは最近のことだから、当然なのだが。
 金沢文庫では、仏教やお寺に関係する特別展をたびたび開いている。 筆者が最近見たものでは、2015年の日向薬師の諸仏像、2016年の忍性菩薩の特別展があり、いずれも興味深い展示だった。
 ただし、大規模な博物館ではないゆえ、特別展が全国紙やテレビで取り上げられることは少なく、 注意していないと見逃す恐れがある。
(2011/6作成の原文に2016/11/20加筆)

 称名寺蔵の清凉寺式釈迦如来立像に触れておきたい。
 ふだんはこの仏像を間近に拝観することはできないが、金沢文庫が催す特別展にたびたび展示されている。 筆者の知る限り、最近では「忍性菩薩」展(2016年)と「御仏のおわす国」展(2018年)に展示されていた。 特に、「忍性菩薩」展では、鎌倉の極楽寺蔵の清凉寺式釈迦如来立像も来ていたので、鎌倉時代に作られた2体の清凉寺式釈迦如来立像の比較ができるという貴重な機会だった。 見比べると、極楽寺の像のほうが、お顔の表情など、より端正で整っているという印象を受けた。 称名寺の像は、なぜか体全体がかなり前傾している。 お顔は面長で、容貌は清凉寺像に似ているとは言い難い。 頭部や手が大きく作られているのは、清凉寺の像に倣ったためなのだろうか。
 同じ清凉寺の像を基にしながら、それぞれの像と見たときの印象がかなり異なっているのが興味深い。 もちろん、縄目状の頭髪や通肩の衣などの清凉寺式釈迦如来像の特徴を外してはいないのだけれど。
(2018/5追記)

 下で紹介している写真は、2011年、2012年および2016年に撮った写真の中から選んでいる。
 写真は、PENTAX K-5・DA★16-50mmF2.8ED AL[IF]SDMおよびCANON 5D Mark U・EF-24-105mm F4L IS USMで撮影。


 赤門
 自動車道路からこの赤門をくぐると、100mほどの桜並木が仁王門へと続いている。
 両側には食べ物屋さんなどのお店があるが、あまり目立たず、落ち着いた雰囲気の参道である。
2011/5/22撮影

 19世紀初めの建立といわれる仁王門。
 門の左右に置かれている金剛力士像は関東で最大だそうだ。
 残念ながら、この仁王門をくぐって中に進むことはできず、左手横の通路から中に入る。
2016/11/18撮影

 仁王門の中から境内を見ると、反橋と金堂の屋根が正面にある。
 反橋が少し左側に寄っているのは、金堂と反橋それに仁王門の向きが微妙にずれているためのようだ。
2011/5/22撮影

 阿字ヶ池にかかる反橋と平橋が左側に見え、正面に金堂(17世紀に再建)、その右側に 茅葺屋根の釈迦堂(1862年建立)が見えている。
 背後の小高い丘(稲荷山)を含めて称名寺市民の森となっていて、ハイキングコースもある。
 この深い森の中に北条実時の廟がある。
2011/5/22撮影

 2011年5月に訪れた時は午前中だったので、池の西側にあたるこの位置から見ると反橋が逆光になっていた。 そこで、2012年は時間を昼過ぎに変えたら、反橋に太陽が当たり、水面に橋が反射する光景を撮ることができた。
 左に見える大きな建物は金堂。
 池を一周する遊歩道があるといいのだが、残念なことに東側の池畔には道が通じていない。
2012/5/26撮影 PLフィルター使用

 称名寺と金沢文庫をつなぐ隧道から見た称名寺の紅葉。 紅葉の時期も黄菖蒲の季節に劣らず見応えがある。
 黄葉したイチョウとケヤキの木の向こうに金堂の一部が見える。
 鎌倉時代に作られたもともとの隧道は、少し離れて別の場所にあり、今は通行できない。
2016/11/18撮影

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