詩仙堂(京都市) 2014年 12月
 正式には、詩仙堂丈山寺(しせんどうじょうざんじ)という名の曹洞宗の寺院であるが、もっぱら詩仙堂の名前で通っている。
 詩仙堂とは、なんとも趣きのある名前である。 名前に惹かれて、いろいろ想像しながら訪れる人も多そうだ。 そういう私もその一人だったのだが、実際にはりっぱな伽藍や評判の高い仏像があるわけではない。 東山山麓の傾斜地に、住宅風の家屋とこぎれいな庭園があるだけなのである。
 でも、創建のいきさつを知って建物内部を見、庭園を散策すれば、 詩仙堂の持つ幽玄の世界に憧れと共感を覚える人は多いはず。
 まず山門の小さく華奢なことに戸惑う。 お寺の山門というより、古風な邸宅か料亭にありそうな門のようにしか見えない。 木々に囲まれた石段を少し登った先に詩仙堂の建物がある。 建物の正しい名は、凹凸か(おうとつか)で、凹凸のある土地に建てた住まいのことらしい。 その建物中央部に、詩仙の間という一室があり、中国の詩人36人の肖像画が掲げられている。 詩仙堂の名前は、この部屋の名に由来する。
 詩仙の間と隣接する部屋の庭園に面する側は、開け放たれていて、屋内から庭園が広く見渡せるようになっている。 畳に座りながら庭を眺めれば、心落ち着く世界が広がっているという仕組みだ。 筆者の訪れたときも、数人の観光客が座り込んで庭を眺めていた。
 ひとわたり室内の見学を終えれば、次は、詩仙堂の建物を出て、庭園の鑑賞。 庭は、雄大ではないが、適度な広さがあり、傾斜地を生かした作りになっている。 丸く刈り込まれたサツキが目立つが、ほかにもいろいろな種類の植物が配されていて不自然さはない。 片隅には、僧都(添水 そうず、いわゆる鹿威し)が置かれ、音でも庭園を楽しめる仕掛けになっている。
 ここで、詩仙堂の歴史に簡単に触れておきたい。
 詩仙堂とは、もともと徳川家康に仕えていた石川丈山という武士が、京都で隠棲するために作った草庵なのである。 ここで丈山は90歳で亡くなるまでの約30年間を、文人として詩作や文化人との交流を行って過ごしている。 加えて、彼は作庭にも長け、東本願寺の渉成園や一休寺(酬恩庵)の庭を手がけたことで知られている。
 漢詩や隷書の大家だった丈山は、その風貌も、肖像画(詩仙堂のパンフレットにある狩野探幽画)によると、 中国の文人風に見えるから、自身も中国の詩人になりきった気分でいたのかもしれない。
 詩仙堂が曹洞宗の寺院になったのは、だいぶ後で、昭和になってからのことらしい。 道理でお寺の雰囲気が希薄なわけだ。
 詩仙堂でひとときを過ごして、丈山の後半生に思いをはせれば、 羨望の念を覚えるとともに、京都の歴史・文化の奥深さに改めて感じ入ることになる。 そして、季節を変えて訪れたくなる。
 写真は、CANON 5D Mark U・EF-24-105mm F4L IS USMで撮影。


 小有洞(しょうゆうどう)と名付けられた山門
 これが山門かと思うほど華奢な作りだ。
2014/12/07撮影

 書院から眺めた石川丈山設計の庭園
 傾斜地を生かした庭になっている。 手前に枯山水と手入れの行き届いたサツキなどを配し、少し離れて山間地を思わせる大き目の木々が植えられている。
2014/12/07撮影

 庭園から見た詩仙堂
 中央に見える3階部分は嘯月楼(しょうげつろう)と呼ばれる。
 ここから、丈山は庭や月を眺めたという。
 訪れたときは、紅葉が終わって、落葉樹は葉を落とし、本格的な冬も間近といった気配だった。
2014/12/07撮影

 僧都(添水 そうず)の音が庭に響き、音でも庭園の興趣を高めてくれる。

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